2017.10/31(火)


7:00迄寝て行く。
心を入れ替えて、頑張るつもりでも、体力なし。
ルネにカレンダー持参。20部。
午後ダウン。姉に10部送る。ロンドクレアントに行ったが、閉まっていた。風邪でダウンのSに鰤大根を作って直ぐ、八文字屋へ。
北ぐちさんが、荒木さんという大阪市大卒の向日市住まいの女性を連れて来て、先に待っていた。ウッチー&カオリン&石もっちゃん、上倉先生グループ、11:00に客が切れて、12:30迄に客が来なければ帰ろうと思っていたら、バンソンが12:35に来店。彼は、1:20に帰ったが、僕は眠って、朝7:00過ぎまで。

北ぐちさんが買ってきた資料。(頼んでなかったが、2500円払う)。
豊後竹田市のキリシタン資料館の落成式に駆けつけた北ぐちまなぶさんに買ってきてもらった資料3点。「竹田市が世界ひ誇るイコン画コレクション」(平成29年3月刊)におけるイコン画の羅列は目を見張るものがある。
市としては、これを「観光資源にする」そうだが、竹田市に行って、歩いて見ないとなんとも言えないが、いささか没価値的な扱いではないかという気がする。
「岡藩キリシタン小史」(昭和24年刊)の中の「寛政5年踏絵廻郷日記」が記録として残っているのは凄い。「検挙撲滅時代」「類族監視崩れ時代」の一つ一つの事実としてまとめた意義は深い。
「岡藩域内のキリシタン遺跡一覧」、宣教師一覧ともいうべき府内の宣教師の名前、「竹田を旅した主なキリシタン・宣教師」の名前が網羅されているのは初めて見た。また、修道会員でない日本人役務者役務め伝道師の呼称を「同宿」「小物」「看坊」というのも興味深い。キリシタン紀行マップ付きで、キリシタン用語基礎知識や日本全国各地のキリスト教修道(イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会)の人数も記載されている。
「ミステリアス!竹田キリシタン」(平成29年3月刊)はキャッチー。
これを読み込んで、竹田市を歩きたいものだ。
竹田市を中心に描いているので、ルイス・デ・アルメイダの事蹟、個別、日向耳川の戦いの際の様子、由布院の温湯左馬之介、山香の金山のキリシタン等との関わりについて、諸々想像させてくれる。

大友軍の編成も来年は、調べてみるつもりです。
親衛隊は、山香東西一揆で、このグループは、耳川て1400人ほど全滅し、山香には、江戸時代「後家神社」(氷川神社)が栄えるのですが、それから数十年後、ゴアまで行ったイエズス会の成れの果てとして、ごく一部の元刀鍛冶(そして、鉄砲職人になっていた)はイエズス会のトップシークレットを持って(と言っても、島津、秀吉にやられた領民は、啞歎して散り散りになっていたのですが)山香に戻り、鶴成金山を再発掘して、天草の乱の頃は、山香には、数千人の荒くれ?鉱夫が住み、活況を呈し、「忠直卿行状記」の松平忠直は、配流どころか、出世して、その目付に来ていたのです。菊池寛は知らなかったのでしょうね。

 結論を先に書く。忠直が切支丹だったとすれば、捏造されてきた忠直像は、根底から覆される。じじつは、忠直は、非転向を貫いた敬虔なクリスチャンだった。物証はある。彼が生前に建てた墓石に刻まれている文様*3である。菊池はためらっているが、この謎の文様に込めたものがあったからこそ、忠直は「安らけく暮ら」すことができたのだ。
 では、なぜ、上述のような荒唐無稽な忠直像が捏造されたのか。その理由は、一つしかない。忠直が切支丹だったこと、しかも、転向を肯んじなかったことである。
 忠直を中心とする別掲の系図を見ていただきたい。忠直は幕府にとって神君と崇める家康の次男結城秀康の子、その妻勝子は将軍位を継いだ秀忠の子である。忠直が切支丹であるとすれば、最高権威者の眷属の中に、国禁を犯した切支丹がいたことを意味する。それは、いかなる手段を使っても、闇に葬らなければならないことである。
 ここでつぎの構図が浮かび上がってくる。
 おどろおどろしい孕み女引き裂き伝説をはじめとする忠直乱行説は、幕府の苦肉の策として採られ、積極的に否定するものがいないまま、長い年月にわたって地元で語り継がれてきた。それを、現代の語り部と称する物書きたちが、興味の赴くままに復刻し、甦らせた結果、いまに至るも拡大再生産されつづけている。――
 とはいえ、つぎのことは否定できない。人は誰もが自らの内側にジキル博士とハイド氏と秘めている。作られ、語り継がれた忠直像の背後には、人間がもつ、人知ではいかんともし難いハイド氏的な業があるということを。
 忠直が御乱行の馬鹿殿などではないことは、配流先の豊後府中の記録が雄弁に物語っている。そのことは、菊池も肯定している。
 ローマ法王庁に現存する宣教師・フェルナンデスの報告書は、忠直について「私が思うに、気高さにおいて彼と争うことのできるキリシタンは現在の日本にはおりません」と書いている。フェルナンデスは、忠直に洗礼を授けたイエズス会所属の宣教師である。
 この時期に東洋に派遣されたイエズス会士の精神の質は、いまでは想像を絶する高さを誇っていた。切支丹弾圧を国策に据えた当時の徳川体制下で宣教することは、見つかれば即焚刑に処せられる危険と同居していた。その危険を承知のうえで来日したフェルナンデスによって、最大級の誉辞を与えられた忠直の精神の在り方は、並のものでなかったにちがいない。このことは断定してよい。
 ひとりの敬虔なクリスチャンが、国策によってその死から三五〇年を経たいまも、史上類例のない大悪人とされたままでいる。この国にも、少なからぬ数のクリスチャンがいるはずだが、彼らの間から復権の声が挙がったという話は聞かない。いかに昔の人であろうと、事は人間の尊厳にかかわる問題であり、捨てておいてよい問題ではない。
 せめてのこと、この稿を読まれた人だけでも、忠直を再評価していただければと思う。
(中島繁雄「忠直乱行」《立川書房』)

山香というのは、平家の落人の集落でもあり、宇佐八幡の御神体である金のインゴットを盗んで、下野国に配流された緒方惟義が赦され、戻り、馬城金山の前で落馬して馬に蹴られて死んだ場所で、元寇に対しても村を上げて出陣したりする結束の固い村落でした。今でも、当時の主だった家は残ってます。
僕が4歳から住んだのは、倉成又井金堂という小高いとこで、下には町内屈指の弥生遺跡があり、その上の竹藪から「馬の首」が下がるという伝承がありました。
日向耳川には12歳以上の男全員が行き、皆殺しに合い、馬の首だけが戻ったという訳です。
その男全員が居なくなった町、後家の町として、江戸初期には九州中に知れ渡ったそうです。
そこに1628年には、数千人の鉱夫が住んだというのは、「後家神社」というのも何かトリックがあるかも?でも、氷川神社に拠り、貞操を守って過ごしたそうです。
刀鍛冶で宗麟に種子島に派遣され、鉄砲職人として、また、日向耳川に従軍したその子孫が金山を発見したという(あくまで)伝説があり、その子孫と父は仲良く、飲み友だちで、僕も、その方に15年前に会い、江戸初期の話を、また、昭和12~13年頃?馬城金山に!徴用された朝鮮人が落盤で50人以上亡くなり、その周辺で「アイゴーアイゴー」と泣きながら、葬式をやっているのを見たとそのオッチャンは言ってました。
会った時は、鶴成金山(おっちゃんの山)の坑道の入り口はコンクリートで塞いでました。


アメリカの詩人で北園克衛の翻訳者であり、ビート詩人の父、ケネス・レクスロスについても貴重な論述を続けているJohn Soltさんから「夢のかけらを集めて 写真家甲斐扶佐義と女たち」の映像についての感想を記したメールをもらった。

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2017.10/30(月)


今日は13年前にイスタンブールで世話になった絨毯(キリム)商のサディックが久しぶりにやって来た。
今晩は超暇と見込んでいたが、京大病院の中村先生の御一行様、セバスチャン・レゼー一行、ヤニック&マルゴ・パジャ一行、段ちゃん、山田拓弘さん、バンソン、東京客等で賑わう。
大分合同新聞には、11月9日の週に3日連続の記事(水上勉絡み)に出るとメールあり。
最後は、バンソンで終わり。

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2017.10/29(日)


台風襲来。
Sと食事。
カレンダー到着。
昼はウロウロする。
浅利ちゃんは休み。
菜穂ちゃん連れの武市さん。円山公園野外集会場は雨で、皆、ステージに上がった由。
ジャーマン、北ぐちさんも来店。八文字屋泊。バンソン来店。

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2017.10/28(土)


6:00目を覚ますも、雨なので、9:00に止むまで八文字屋。松屋。
雨が上がり、カレンダー到着準備。
セブンイレブンでコーヒー。
Kyoto Journalの紙本復活記念パーティに行くのを忘れる。
不調続き。
Kanacoちゃん、東京行きで休み。
誰も来ないかと思っていたら、木戸衛一さんら平和学会の皆さんが、10人余り。
更に、龍大の勝賀瀬さん、東本願寺の大須賀さんら数人、バンソンも来て4:30まで。
辛い。ナッちゃんも友人と。
ヴィクトリアは、昨日、リカルド、サマール、ヴァネッサとストーカーの件で警察に行ったという。

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2017.10/27(金)


以下は、FBでUPした。
「イントレピッド4の衝撃(正しさ)岩国の「ほびっと」を支持する市民の確信を支えていたはずだし、中尾ハジメと2人で「ほびっと」の大工工事(岡林信康も2日来て、2年後の彼の長篇悪夢詩『ホビット!』に結実)を終えて帰洛した次の日にほんやら洞を場を見つけ【浅間山荘の銃撃戦』を側目に工事に入り、オープンしたのだが、70年代のほんやら洞支持者(客)の何割かは、イントレピッド4の支持者で支えられていた。ビート詩人の父と言われるケネス・レクスロスが毎年ほんやら洞でポエトリー・リーディングを続けたのは、詩人片桐ユズルとの交誼もさることながら、反戦思想家でもあったレクスロスのテイストにあっていたからの筈だ。ゲリー・スナイダーしかり、アレン・ギンズバーグしかり、かくしてほんやら洞は「ビート詩人の拠点」と言われ続けた。原点は、イントレピッド4にあると言っても過言ではない」

「この日の会の通訳を務めた渡辺武達さんは、大学院は同志社の新聞学科の鶴見ゼミで。脱走兵をひと月匿った。当時の左京区一乗寺界隈は、この日の会での山本健二氏の発言ではないけど、表に立つ人間と地下で活動してその秘密を持ったまま死ぬ人間がいるので?一乗寺界隈には何軒も匿った家がある。そういう学者が集中していた。鶴見俊輔さんは脱走兵支援運動が始まった以来、目星を付けて、大物学者に脱走兵を匿う依頼(打診)をして、先方の反応を(脱走兵援助を『リトマス試験紙』にして)見たようだ。例えば、思想の科学の会員、初期主要メンバーの法社会学の川島武宜等などは、それ以来、鶴見さん周辺から去ったし、京極純一は、、云々と判断した。逆に、この運動に関わった人物を大変信用した。それは、一生ものだった。脱走が、一生ものであると同様に」
「ほんやら洞の、精華大学学長の中尾ハジメは、元々渡辺武達の誘いで、精華短大非常勤できた」

「イントレピッド4の中の日高六郎さんの発言も良かった。日高さんは、この会見に出るとヤバイことになるのではないかなあ(実際は、ヤバイことになっても良いと覚悟を決めて、つまり、結果として、東大教授の職は辞職に追い込まれても良い)と一種、悲壮な決意を持って出席した。が、その自分の不安は如何にケチなものだったかと、脱走兵達の発言を聴いて思ったという。そして、この時は、辞職に追い込まれなかった。当時は、まだ、厳然と?日米安保条約が日本国憲法の上にあった(いま、そうだし、ごちゃごちゃだ)し、OKだった。この会見で東大をクビにならなかった。代わりに?日高さんが唯一だが、東大闘争において、当局を批判してやめた。ま、それがパリの事件を引き起こすのだが、関谷滋他編著「隣に脱走兵がいた時代」(思想の科学社)を読めば判るが、その中での日高ファミリーと脱走兵との関わりには、壮絶なものがあったようだ。日高六郎さんは考え抜いた紳士だったので、もう一つの「死の棘」的世界が展開されていたのでは、と想像できる。日高さんのパリいきは、山本義隆のような研究がパリで研究を続けられる施設を作る意図があったのだそうだ。それには、平凡社、岩波書店等が資金援助をしていたとご本人から聴いた。」

雲一点ない穏やかな秋の正午、ゆっくり散歩。
こんな時間を持てたのは、オーバーでなしに15年ぶり?この15年の酷さと来たら、、、4年前までは、個展で外に出れば、一応、幾分、穏やかな時間も過ごせもしたが、それで、子どもたちも犠牲になったほどだった。考えてみれば、53歳くらいから、取り巻く状況と機をいつにして、一気に老化の一途を辿った。ちょっと感慨に耽った。筋肉なんか実際に音を立てて、無くなっていったもんな。
何もせず過ごす。一冊30円の本を6冊買う。どれも火事で焼失したもの。梅棹忠夫「文明の生態史観」の解説は谷泰。中上は「枯木灘」「鳳仙花」藤原新也は「西蔵放浪」上下、辻邦生「モンマルトル日記」。
夕方S打ち合わせ。うどん。カレンダー、明日、到着とのこと。
八文字屋、Vic休み。
三上さん、岩間典子さん、稲山さん、アドちゃんの親戚の女性&BF、後でアドちゃん、バンソン、奈良井さん、春道さんが来て、稲山さんが帰ろうとする段に坪川さん来店。坪川さんが帰り、皆帰る。
Vicちゃん休みで寂しい夜。
雨になり、八文字屋泊。

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2017.10/26(木)


FBFへのメール送付に昨日、今日は、終始。
8:30稲山さん、顔を出すも、直ぐ帰る。直ぐにメールで、僕の雰囲気が異様だったと言って来る。そんな筈はなく、疲れていただけ。
伊多波さんと叔父さんが崎陽軒のシュウマイを持参。
不明知人の紹介で、スウェーデン人のOlle Segestamさんとメキシコ人の父に日本人の母のMaria Nana Sandoval Miyashitaさん来店。
ヴィクトリアがいるか?と京大のブラジル人らくる。
久しぶりに帰宅。

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2017.10/25(水)


八文字屋の大家から「次回からは、こちらに振込め」との手紙到着。8月の代理人弁護士からの不当な言いがかり(五百数十万円払え)に対する究明要求には触れず。どないなってんのや!

数日連続で八文字屋泊で、6:00に起きて、11:30迄作業をして、Sからの呼び出しに応じてチャリでまだぬかるんでいる鴨川を北上し、12:10に上賀茂到着で蕎麦を食い、周辺をぷらぷらしてから高野川沿いを下り、七条迄川沿いに走り、国立博物館へ。「国宝展」は混んでいて、観るのに約2時間。更にチャリで四条へ。久しぶりの珉珉は味が変わった。働くメンツも一様に変わっていた。田中コーヒーで一息入れる。買い物をして、6:30に八文字屋をオープン。終わって、八文字屋で寝ていた、6:00に目を覚ます、という1日。
バイトは浅利ちゃん。
お客さんは、数学のバンソンが台湾女性を同伴。鹿さんが来て、井上章一さん、経済学の依田高典さん、京大の体育館を設計した前田さん&杉本安弘さん、川㟢さん、K-Kei、奈良井さん。そしてバイトの浅利ちゃんが来て、1時には寝ていました。
何をしているのでしょうね。

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2017.10/24(火)


台風。
何も出来ず。アンダーソン関係のフライヤーを読み込み、iPadに打ち込む。やや無駄感あり。
八文字屋、鹿さん、段ちゃん、バンソンのみかなと思っていたら、谷川さん、連れと来店。
鹿さんは一仕事してくれた。
深夜、ビュンビュン風が吹いた。

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2017.10/23(月)


不調。河本三郎の「『男はつらいよ』を旅する」を買う。
徳正寺。PM6:00~9:00。
イントレピッド4の映像(1967年11月13日放映)を初めて見る。
入る前の意識、ベトナムで実際にどう動いたか?日本人はどのように対したか?脱走兵と分かってから日本人はどう?てな質問をしていた。
ナパーム弾を持っているのに嫌気がさしたというようなことを兵士の1人が喋る。
日高六郎さんは、一抹の不安を持って来たが、ここの青年の不安に比べたら、どうということはないと喋る。
鶴見。
自分の意思で出てきた人たちの意識が分かって、うれしいし、感動したと語る。
一億人のアンテナを通じて、我々(援助グループ)と会えたのは、素晴らしい。同時に、金東希の問題もあるとふれる。
開高健。窮鳥、、、四羽の小鳥を助けるのは、当たり前。満期務めた時の特典もあるのに、それを蹴って脱走。後方勤務をしていてなおかつというのは素晴らしいとも。
小田さんも脱走兵もまた、被害者の立場から加害者の立場になったとか。彼らの行動を活かすためには、日本人たちは、云々。
これからは、もっとこういう人達が出ると思うとも。
今、どこにいるかは言えないとも。
アンダーソンさんと再会できた経緯を平田さんは喋る。去年、N.Yタイムで記事を見たのがきっかけらしい。
彼の消息だけが不明だった。
何故、今、喋り出したのか?
今は、50年前より悪化している。
世論を喚起するために出て来たと、NY日本人書いていた。
今年に彼とコンタクトを取った。
初めてのコンタクトで「英雄」といってしまった。
「君のような研究者は、僕らが払った代償をどれだけ、理解しているのか!?」と反論。
イントレピッドの整備士だったが、ナパーム弾での爆撃が嫌で逃げだし、家族も全てをうしなった。
普遍的意味で、戦争の意味を考えるべきだ。
50年ぶりに、何故、彼は今、ここにいるのか?
最初は、日本に居たかったが、居れなかった状況が今、日本人にとって同じ状況、民衆に対するコントロールは、50年前と全然違う。
今、戦争のリアリティは、学生、世間では失われた。
戦争の原点に立って再認識しなければならない時に、彼が来てくれた。
「これは、終わりでなく、始まりである」マーチン・ルーサー・キングの影響がある。
1963年のマーチン・ルーサー・キングにも同じような言葉がある。
クレイグ・アンダーソン。(渡辺武達・通訳)渡辺家にも1ヶ月脱走兵がいた。
脱走の意味について触れたい。
当時は、そんなに、軍事化してなかった。日本は、世界第8位。
脱走を決意して、今日、10月23日は丁度、50年になる。
1977年のことを考えると、戦争に関わっているとアメリカ人と考えられてない。50万人が死んだとか、ラオスでもっと死んだということを分かってない。核兵器を持っているのを知らなかった。
日本でも同じことが言えるのでは?
ベトナムでどんなことをやったか、良心に則して喋りたい。
政府、
普通の人が普通に暮らしている時は、地域共同体、国、政府が間違ったことをやっていると分かった場合は、良心に訴えた。マーチン・ルーサー・キングはそうした。
小説、映画では、殺人がよく出てくる。
しかし、戦争の英雄は何をしているのか?
大量殺人というしかない。それと闘うというのも、マーチン・ルーサー・キングに教わった。

関西ベ平連の山本健二。
50年前の活動と今の活動。
アンダーグラウンド、表の活動を分けて来た。
アンダーグラウンド部門は、死ぬまで喋らない。
新明和工業でナパーム弾を作っているを知っているし、それに反対の活動、自衛隊への活動

鷲野。1967年当時、高校生だったがイントレピッド4のことを知らなかった。やがて69年に福岡ベ平連で活動し、岩国で活動した。それもイントレピッド4がなければ、自分も、ジャテックもないと思う。今も福岡ベ平連の旗を持っており、時々、イラク戦争反対のデモにその旗を持って行くのを子ども達は嫌がるが、ここにいる人も同じような状況ではなかろうか?
今日は、感謝を言いに来た、と言う。横山貞子さんも早い時間に徳正寺に顔を出したいらしい。
アンダーソン。
積極的に動けなくなっている。キング、アリ、ガンジーの思想に従うという。
アメリカでは、1977年に戦争は終わったという共通認識になっている。
人々をパッシブにさせるシステムになっている。
北朝鮮、ロシア、中国にとってもアメリカと闘う際、先ず、日本を攻撃するだろう。

山本健二。高槻に於いての日独の活動を紹介。
富田。アンダーソンさんは、脱走したということは国家との格闘、葛藤をどういう風に克服したのか?
心理的葛藤。脱走したということで家族、その他との間で、ストレス。
国家だけは許せない。今は、メキシコに住んでいます。

鷲野か誰か来ると思ったが、誰も来ず。
段ちゃんのみ。八文字屋泊まり。

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2017.10/22(日)


時代祭、鞍馬の火祭は中止?台風襲来の中、厳しい国政選挙投票日。(鞍馬は実施したらしい)
今日も八泊。
三つややこしい夢を見る。
一つは、小林弁護士の父の容態が怪しく「応急処置はしたが、先生、来て、治療して下さい!」と言う。僕は医者らしい。ちょっと家周辺を散歩してから往診(いや、死亡確認か応急処置)に出かけるが、靴下がなくモタモタする。
もう一つは、わが家に清水さん、梶田さんらが来て、小学校の投票場に別々の行き方で、行ってから、あとで会場で、落ち合おうと出る。僕は選挙会場に行く前に川端通りに行く。そこには、三車線(ならぬ歩道が段違いにあり、一番鴨川に近い歩道で時代祭の行列があり、これからだと一番段の高い歩道で待ち受けていたが、後のまつりで、賀茂大橋に近い中段の歩道にホームレスが住処を確保しているのを発見。僕は田中関田町辺りで大事な小道具一式忘れたのに気づき、家に舞い戻ると、家を出て数時間経過していたらしいが、選挙を済ませた清水さんらがいた。
もう一つも朝、誰かと家を出る夢だった。

結局、11:00過ぎまで店でウダウダする。
家に帰ろうと思ってから5時間も経過していた。

梨木神社に入ったが、ガッカリ。
ここの「萩祭り」を提唱したのは、日本でノーベル賞を受賞した、近くで孟母三遷を繰り返した原子力科学者の湯川秀樹で、数年前までは、そのことを記した石碑があったが、それが、武者小路実篤の変な言葉に取って代わられていた。

貝原浩さんが亡くなってもう12年か。
「その内、ほんやら洞の1F2F全てを埋め尽くす個展をやりたいな」と言ってくれたものの、果たせずに終わったが、これから、世良田律子さんが、全国各地で遺作展をやってくれるのを楽しみにしつつ、観に行くのを忘れないように、しなくっちゃ!
K-Kei、バンソンだけ来店。

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2017.10/21(土)


八文字屋で、ダウン。
出町で寿司買い、Sと食う。
色校が来るので、ひと休みして八文字屋へ。4:30色校来る。MARUZENでS待ち合わせ。オープンカフェでチェック。明日行く予定だった平野甲賀の展覧会はなんと日曜日に付き休みだと!で諦める。大黒屋で蕎麦。Sは自分の用事へ。
八文字屋の大掃除、結構難儀。そんなことより原稿と思わないでもないが、そうもいかない。
八文字屋のトップ客はシュウヘイさん。鹿児島出身の河野さんという相馬病院で介護士をやっている千本十二坊に住む女性、友達の誕生日に猫写真をプレゼントしようして、甲斐のを知り、アマゾンで注文して、来八。
ニューヨークの写真家の紹介でニューヨーカーの記者兼カメラマンTraff Theaさんがやって来た。昼に何時オープン?とメールをくれた女性だ。Trekと何処かに表示があったと思い、勝手にメールを見てサイクリストと思い込んでいた。大柄な若い美人さんの登場にびっくり。思わず、ポストカードをえらんで貰い、好きだと言う2枚をプレゼント。CNNのニュースも見て貰い、ニューヨークのギャラリーを持つ知人が、いたら紹介して!と言う。近々、また、来ると言う。明日は東京らしい。名刺をなくしたが、ニューヨーカーの写真のアシスタントとあった。
奏子ちゃんの友達二人、小春ちゃんは秋山真由子ちゃん同伴。精華大学の彫刻の渡辺コウジ先生が京都芸大て児玉靖枝さんと同期の女性同伴。二人とも佐賀に縁があるような話。渡辺さんはイタリアに25年いたらしく、修猷館出身だったか?秋野青ちゃんが朱女ちゃんのDMを持参。玄考も来店。投票に行って下さい!と言って回っているとのこと。最後は、バンソン。青ちゃんを紹介したり、あれこれ喋る。昨日も言っていたけど、海人彦の進路をバンソンが心配しており、後、一月京都に居るので、是非、連絡をくれるように言ってくれるとのこと。相談に乗るから、と。

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2017.10/20(金)


夕方、30分、助っ人ひとり欲しいな。
ノンビリいこう。サングリア、パエリアを作りたいが、手、火が足りない。

夜は、バイトがなかったので、為すべきお持てなしというか、最低限のお喋りも殆ど出来なかった。
気がつけば、16時間座ることもなかった。山形の新名物の豆を持参したABC放送のディレクターの庄司さん、大分合同新聞の佐々木部長はカウンターに座ってくれたので少しはしゃべれたものの、次の写真集に解説を書いて貰う予定の東京からの早稲田の郡司ペギオ幸夫さんには本も渡せず全く喋ることもなく残念だつた。ワッキー、青ちゃんにも連絡すべきたったか。
珍しく女性の出席者が少なかったが、龍谷大学のK先生はヨッシーに紹介したものの、後でカウンターに来たということもあり、皆さんにまともに紹介出来なかった。
お世話になっている初来店の小林弁護士、久しぶりの折田泰宏弁護士ともまともに喋るべきこともなかった。
パーティ写真もヴィクトリア、サマールが来て、ワンカット撮ったものの、他は全く撮る時間がなかったのも珍しいことだった。
他の出席者の中からも、ウッチーが気に入った者とセルフィを撮ったくらいで撮ろうとする方がないのも珍しかった。
食べ物も作り過ぎたかな?と思っていたが、ほぼドンピシャだったし、初披露の大分名物のカボチャを小麦粉代わりに用いた「コネリ」も評判が良かったし、参加者数も溢れるかな?と思っていたが、途中で帰る方もいて、ドンピシャというのも珍しかった。
肝心の映像だが、「ほんやら洞の甲斐さん」はともかく、NHKの八木下ディレクターがくれたものは、どれも使い物にならなかった。途中、鹿さんが来たり、田中さんが、弄ったりしたが、無益だった。
終いには、バンソンも顔を出したり、終わってから、来年、八文字屋のバイト予定の吉田寮の景山さんも顔を出した。
カレンダー「昼行灯の京都案内」も少し予約が取れたし、まずまずの盛会と言うべき一夜だった。
気がついたら、半袖シャツのままベンチに寝崩れまま、朝を迎えた。
永澄さんより、盛会だったか?とメールあり、応答。
はい、2:00迄。山形朝日放送のディレクター、大分合同新聞の社会部長、
早稲田の大学者、郡司ペギオ幸夫さん、折田泰宏弁護士、小林弁護士等で常時いい感じで満席で食い物もどれも評判が良かったですよ。
しかも、飲み放題、食い放題で2500円でした。

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2017.10/19(木)


6:00目を覚ましたが、10:00過ぎまで、八文字屋で、ウダウダする。
ルネで食った後、Sがクリアファイルいうので100円ショツプ二軒行くもなし。ストアデポにいくとデポは引っ越しており、引っ越し先(室町通綾小路下る西側)まで行き、草臥れてしまう。
今日も1日、何も出来ず。
八文字屋、超暇。3回目の24歳のゲストハウス勤務の青年と戸城さんのみ。戸城さんとは「人生を狂わせる名著50」「どくろ杯」「ケネス・レクスロス詩集」を話題に。気がつけば3:00。

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2017.10/18(水)


出町(多分、ほんやら洞)で出町商店街の皆に囲まれ、作業をして、さあ、打上げに行こう、世話役と「ますむら」と言う店に、世話役が会費らしき2000円を渡そうとしながら、向かうが、カメラを忘れているのに気づき、取りに戻る。そこに星野高志郎さんが待っていて、自分の作品を逐一説明するのにつき合わせされる。星野さんもついて来る、会費は俺が払うと言う。河原町を下がって、「ますむら」を探すが見つからない。ネットを調べても何処ある何屋かも分からず彷徨く、、、。気がつけば、もう朝方という夢。

起きると、琢ちゃんが、青土社から本を出すことになったとメッセンジャーで報告。ニューヨークのKat Jansenが鴨川画像に「いいね」。松山の松本昌之さんが「東京到着」報告。有松の西川氏が相変わらず「瓜破」と料理写真をアップ。SはEpiceという出町のフランス料理屋で美味しかったと画像アップ。東京の内海信彦さんは相変わらず長い芸術論を何本もアップ。エネルギーたるや凄い!昨日は、鹿児島の勝久さんが「萩ちゃんが来て、いい感じの時間を過ごした」てなことを書いていたのを思い出した、
夢で、もう、おれはダメかもと思う。書けないで終わるのか!?と。
先ず、今日は少し入って貰わねば、ヤバイと思いつつ洗濯。
ルネ。生卵、鯖麹塩焼き、オクラ鰹節、納豆、味噌汁、フルーツヨーグルト、ミルク、ライス。金子光晴「どくろ杯」をよみつつ「人間内奥の極秘の潺湲」なんて言葉を知る。
「どくろ杯」の扉写真を見て金子光晴とケネス・レクスロスの顔は少し似ているのを発見。金子の方が10歳ほど上だが。
以下、FB用のメモ。

電子本 甲斐扶佐義 写真集 「70年代 京都」出版記念パーティ
10月20日 午後8:00~10:00 八文字屋
会費 2500円(エビス生ビールを除く)ドリンク飲み放題。おでん、巻き寿司等各種つまみ付き。
スクリーンでは、先般NHK Eテレで放映された「夢のかけらを集めて 写真家・甲斐扶佐義と女たち」と「ほんやら洞の甲斐さん」を放映します。

・ “70年代 京都”(ペンシルランド・Kindle)アピール
井上義雄 甲斐扶佐義
・限定100部の甲斐扶佐義2018年カレンダー「昼行灯の徘徊記」
 Sightseeing with a Noonday Lantern
(頒価 1800円 八文字屋にて10月末日まで予約 は1500円)
・時間が許せば、使用プリントの解説

3:30頃、SよりTel。コレクションで会う。
「一種の不幸の手紙」をそれと知らず、全FBFに送ったことで、馬鹿にされる。
夜、小芋の煮っころがし作り。
八文字屋、7:20オープン。
今日も見事に何もできず。「どくろ杯」がメチャ面白いのは判った。
八文字屋、浅利ちゃん入り。9:00過ぎまで客なし。
先ずは、9月は忙しくて来れなかったという上ノ薗さんは寺町の「キムラ」での新入社員歓迎会帰りに寄り、ナッちゃん最新情報を齎すと共に来月か再来月、彼の社で「20~30代はカイ写真を全く知らないので、知らしめる『カイ、写真を語る』という飲み会をやり、二次会は八文字屋で」という企画を通す通す有り難いプランを開陳。しまいには酔い鹿さんに拉致?される。川嵜さんも来て、外人をチャリで案内する等のガイド業で二度目の来店の札幌北園小学校出身で千葉に住み、前回は母親がインドネシア人で東京芸大生の女の子が歌い、三島邦生さんがギターを弾いたのを覚えている藤田さん。珈琲の木栽培から豆焙煎までの仕事をこなしながら一年強メルボルンに住んでいて帰国し、当地の英語の先生のアドバイス通り来店した旭川出身の31歳の男性。次いで、風邪からぜん息をこじらせている奈良井さん。段ちゃんも来て、映画「地の塩 山室軍平」の東條政利監督がフライヤーを持参。後ろ席には摩弥ちゃんらソフトドリンク組の4人。真打ちは、久々の天QLive帰りのカオリンズが来て「袖八」の人選についての腐心話等をする。段ちゃんと並んでツートップの宗ちゃんもいたか。まあ、そこそこ賑わう八文字屋。八文字屋ダウン。

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2017.10/17(火)


8:30に目を覚ます。
ゆっくり鴨川沿いに戻る。セブンイレブン、ルネ。
三宅香穂(天狼院)著「人生を狂わす名著50」(ライツ社)買う。五分の一読む。素晴らしい。
FBの1966年1月1日のサイゴン西の戦闘に怯えて川の中に身を屈める母と子どもの画像をヨシレイさんはシェアした。
原稿進まず。終日、雨模様。八文字屋暇。トップはロイの知人の(先日、九条のゲストハウス『ジェイ・ホッパー』の連中と来た)女の子がアントワープの男で作家の卵とやらを同伴。ロイは結婚するので、1月ちょっとニューヨークに戻るとのこと。普段は祇園で飲んでいると言う馬町の元陶芸職人が数時間、缶ビール3本でいる、祇園でビール3本5000円内の飲みに行くとのこと。家賃なし、厚生年金が10万円で、飲み代はほぼ月2万円。西大谷に納骨所をもう300万円で買っている。金のない家は、一人の骨がやっと入れる100万円のを買っているらしい。そんな話ばかり齎しただけだが、ずっと来たかったと。職人気質、手に取るように分かる。鹿さん、松山からインターネットカフェ・バンビーズ(元キャバクラチェーン経営)の松本昌之さんが「憧れの甲斐さんに会いに」と来る。東京まで服を取りに行くのにふたりの従業員を引き連れて。財政状況も開けっぴろげに言う。少し宮沢章夫さんの風貌。
1:40閉店。

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2017.10/16(月)


昼から八文字屋のひとり大掃除。苦手というより、僕では片付け捗々しくないが、仕方ない。
消防法で探知機を付けに来る。
カレンダーの詰めで、オープンは9:00前。トイレでSに変更依頼するが、撥ね付けられているところに宗ちゃんが入って来る。
後、川﨑さんと名古屋の女性のみ。
疲れた。そのまま、寒いけど、寝る。

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2017.10/15(日)


10月15日が来れば、1977年10月15日の同志社大学学生会館ホールでの僕が初めて集会の司会をした日の醜態を思い出す。醜態だけでなく、非社会性、秘めていた野心も。
写真家としても、ひとりの人間として独り立ちする上でも、思い出深い日付だ。
集会名は 「ただの人の優しい裏切り」(共催:『中川五郎フォークリポートわいせつ裁判を支援する会』『ほびっと裁判を支援する会』)。これは僕の一世一代の(!?)超赤面ものの司会だ。あまり信じられないかも知れない(多分、信じて貰えるはずだ)が、それまでの僕は、絶えずそういう状況から逃げまくっていた。28歳(いや、60歳を過ぎた今)逃げられなくなった。落ちこぼれとして生を受けたとはいえ、如何にぼくが過保護、無菌状態で育ったか思い知らされることになった。失態を演じた記憶と、その前後の事件とニ重三重のトラブルを想起するとゾッとする。未だに人前はダメだが、僕は4歳迄「歩けず、喋れない」という生育史を抱えた超落ちこぼれで、人前で喋るなんてことは、小中高を通じてほとんどなきに等しい生き方をしていた。40年前のこの日まで、逃げて、逃げて生きていた。それが許される場所にしか居ないようにしていた。人前に立つくらいなら、あらゆる便利も犠牲にして良いと思っていた。
それが、28歳と半年の1977年10月15日の日に微温的にだが、この日から路線を変えざるを得ないと自覚することになった。これは、事件であった。
ステージに上がると何が何やらサッパリ判らず、動転しまった。僕の甘さ、杜撰さ、アホさ加減、小心さが一気に噴出する日だった。
その半年前に僕は処女写真集「京都出町」を出していた。
イベントは、ヨネヤマママコさん(団塊の世代なら、岡田眞澄の元連れ合いの方が通りが良かった?)のパントマイム、伊藤一葉さん(すぐ後に亡くなった)の手品、いいだももの講演で構成された。本来なら、岡林信康の歌もある予定だった。ところが、岡林とは確認が取れておらず、2、3日前に「その日は、高倉健と会う約束がある」と蹴られたのである。
発行日はこの年の4月30日と奥付にある処女写真集「京都出町」を出した。それは写真撮影を止めるとの決意を秘めてのことだった。
八文字屋、6:00前入り。
浅利ちゃん9:30入り。鹿さん、奈良井さん、K-Kei、オイタさん、韓国のShinhye KimさんがノルウェーのミュージシャンのKaroline StomshovedさんとAsk T.Borgenさんを同伴。西川氏は八泊。

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2017.10/14(土)


8:30起床するもウダウダする。
10:30に外出。相当、頭も悪くなっている。
鴨川往復。Sとの食事用は業務スーパー。八文字屋でも家でも眠くなるので、鴨川土手で原稿1時間。
7:30八文字屋入り。バイトは奏子ちゃん。トップは「メディアウオッチ100」の編集デスクの長沼節夫さんの来店だった。八文字屋は初来店。
長沼さんは60年代末の京都の市民運動では大切な働きをしていた方で、京大での自主講座「朝鮮語教室」や「思想の科学」の朝鮮特集で活躍していた。記憶に間違いがなければ、「京大新聞」の編集にも従事していた。
最初にお会いしたときは、「ジョージ・オーウェル」の輪読会(後に、鶴見俊輔他編『ジョージ・オーウェル著作集』《平凡社》になる)をやっていた。
その後、宝ヶ池の田んぼの中の一軒家に住んでおり、お子さんが出来たばかりで、子どもを押入れで寝かせようとすると、家が傾いでいて、子どもがゴロゴロと転がりそうだった。
その時だったか、朴正功名義で「大村収容所」(京大出版会)を出していた任錫鈞さんのボディガードを頼まれた。
48年前の今頃か。家の周りは稲穂に囲まれていた。
以来の、飛び飛びの付き合いだ。古都税で紛糾する京都市の影のフィクサーと呼ばれていた「京都ファンド」の山段芳春の事件の時の「週間朝日」用の隠密撮影依頼も彼周辺から来た記憶がある。
次いで、戸城君、津村喬信奉者の女性が友人同伴。奈良井さん、段ちゃん、ヴィクトリア、サマール、マルサ来店。段ちゃん、オーストラリアからのカップル、スコットランドからのカップル、西川&小山祐司さん、千秋ちゃんの元同僚の瑠璃子さん、宗ちゃん。4:30まで段ちゃん、戸城君、瑠璃子さんいる。5:20帰宅。

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2017.10/13(金)


ルネ。
原稿を書く時間なし。
高橋鐵の河出文庫2冊買う。
Vicちゃん、風邪で休み。
元田中のカレー屋へSと。タイカレー大盛りを食す。プリンターのインク届く。4242円。PCの不都合も治る。
三上さんが「八文字屋、何時オープン?」とメールをくれたので、慌てて八文字屋へ。10:20迄は、三上さんと山形君のみ。誰も居なくなってから稲山さん来店。
三上さんが帰って直ぐに稲山さんがきて、栃木県からNHKの番組を見て来たというカップルあり。西宮市の市田響さんら4人も。ゼミ帰りの稲山さんは頻りに今日は、よく飲んだ、ここのところ、全然飲めてなかった、という。福田春道さん、山田拓弘さん&友人も来店。
稲山さんとサシになったところ、吉川恭生さんの息子が結婚式帰りに6人スイスの親戚の男女を同伴。

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2017.10/12(木)


バブリーで思い出したけど、京都の四条~五条間の土地、今、ずっとバブリーらしい。
京都に一泊20万円で気分よく泊まれるホテルが少ないと言っている外国人客がかなりいるという。そういう層向けのちょっとしたホテル建設ラッシュが進行しているらしい。現に、そういうホテルに泊まっている人が、どこで食べたら良いのかを紹介しろと言って煩いと言っている医療関係者がいる。京都駅付近の武田病院に入院していることになっているけど、実は、ホテル・グランビエに長期間逗留しているだけだという、なんか頭がクラクラするような話を一昨日聴かされた。京都の一部ではそうなっているのだとか。
対する以下、西川さんのコメント。
「日本の物価は、労働賃金同様、「先進国」とくに欧州からしたら、やたら安いのは事実です。とくに外食費用。日本人は500円ワンコインでお腹いっぱいになる良い国、とか 言っているけど、その精神、その思い込み、そこが根本的な間違いで、日本がどうしようもない格差差別社会と貧困社会にまい進している本当の原因。人件費が安過ぎるから、外食が安くできるのであって、それは良いことでなくて、悪いことなのだという認識がないと。少し脱線すると、、社会保障の実態が、先進国レベルとは到底よべず、医療も教育も強盗レベルなのを、日本の「左翼」もほとんどが知らないというのは問題。医療費も大学までの教育費用も、欧州では基本無償。欧州の消費税が高い(20%など)のは、ここに使っているからであって、ただ高いのではない。日本の政治家も、事実を知らないのがほとんど。知っていて騙すところまで行っているのは、与党のごく一部。他方、海外経験のある上層の官僚は皆知っている。いつまでたっても井の中の蛙で、処置なし、と悲しく思う。20万円の宿泊が良いとは決して思わないけれど、一泊5万円すら極少なのは、世界の先進国で、とても珍しい観光地なのは事実。パリで一泊100ユーロ(1万3千円)は安ホテル。とにかく、日本人は、この20年で、日本の市民社会が、世界の経済基準から著しく落ちたことを客観視しないと、未だに日本は経済的に豊かで、貧しいアジアの国々を助けてあげないと、などと誤解しているようでは、世界との溝がどんどん広がっていくばかり。アジアには日本より物価・賃金高い国がどんどん増えている。中国人を見下す日本人の懐は、中国人より全然薄い。格差社会で「中流」が消え、1%対99%になった自覚をもたないと。なぜ20万円もの宿泊費のホテルを要求する観光客が実際にいるのかを、正面から考える必要があると思う。」

9:20セブンイレブン。
ルネ。
午後、不調。
夕食。うどんすき?
八文字屋、坊主?と思ったが、段ちゃん、同志社大学の政策学部3回生の安西菜苗さんが男の子4人引き連れて来てくれる。オイタさんも。1:30に終わり、村屋。

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2017.10/11(水)


去年のFB投稿。
昨日、アシスタントのSと来年の計画について喋り、序でに再来年のことまで話は及び、やはり、昼の店、ほんやら洞があった方がいいな、と言う結論に達し、僕は店にたてないが、Sが本気にやる気なら、ほんやら洞を再建する方向で頑張ることにした。

6:30起床。
10:00迄ウダウダ。
茜ケ久保さんのOfに5。
坪川さんに遭遇。
ルネ。
出町、糺ノ森、田中神社。
本を読みすぎ。

去年の決意からだいぶ距離が出来たのを痛感。
でも、諦める訳にはいかない。
由無し事で午後を潰す。一昨日の松茸ごはん、小芋の煮っころがしで夕食。
八文字屋、浅利ちゃん。
彼女より少し遅れて入る。
川嵜さん、閔さん、鹿さん、宗ちゃん、堺のカメラ叔父さん&元ベラミ&シスターハウス職員、奈良井さんが9:30迄に来店。ザッツオール。
一応、1:30迄ウダウダいる。
小雨の中、帰途につく。

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2017.10/10(火)


暑い。
真昼の散歩。
鴨川で読もうと、水上勉「京都遍歴」(立風書房)松下竜一「狼煙を見よ」(河出書房新社)を持って出たが、暑いこと、暑いこと、30度以上?それで諦めて、包丁、布巾、塵取り、ゴミ袋封筒、便箋を買い、帰ろうとしたが、100円の古本屋が気になり寄る。赤瀬川原平の「老人とカメラ 散歩の愉しみ」「ちょっと触っていいですか 中古カメラのススメ」石川淳「諸國畸人傳」「六道遊行」「現代文学22 長谷川四郎 開高健」(講談社)があったので、つい。10個300円のイチジクも。ウチで少し飛ばし読みをし、今日は、17:00くらいから八文字屋に行き、少し掃除の予定と書いたら、北ぐちさんよりメール。何処に居ますか?と。北ぐちさんが16:00に来るというので、鶏皮餃子を仕入れ急行。5分留守番をして貰い、酒屋へ。
ジョン・ソルトさん、田口哲也さん、青木映子訳編「K・レクスロス詩集」(思潮社)を恵送さる。
ロンドクレアントに行けず、秦さんへの手紙、原稿も書けなかったが仕方ない。ウィンドウWPとやらを貰う。
8:00過ぎに鹿さんが来て、30年以上前のGFの親友が15年ぶりにきて雑談。彼女と別れたことについて誤解があるが、触れず。
9:30~11:30誰も客なし。姉は、詩吟の会で出費過多をぼやく。鎌で手を切った模様。兄は入院していたようだが、退院したとか。

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2017.10/9(月)


カレンダー打ち合わせ。
ぶどう、松茸ご飯、自分で買って作ったのは初めて?
昨日につづき、ノンビリする。
景山さんよりメールあり。
久しぶりに西村薬局さんとゆっくり喋りました。
土地バブルのこの2年の京都の街、四条から五条の河原町通り、川端通りの物件の幾つか例に取り、具に状況を教えて貰った。京都は今、土地バブルだ、と。
メルボルンのリサさんの知人3人がやってきて、次は、芸大アンドレアスの知人のパリジェンヌ3人がやってきて、徐々に両グループの差が縮まる。
お陰でビールがすすむ。
高田渡の姪も初来店の男同伴。

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2017.10/8(日)


昼ノンビリして、粟田大燈呂(ねぶた擬き)に行く。
植田元気君同伴の来年、八文字屋でバイトしてくれるかも知れない景山さんを、うっかり撮影し忘れた。京大D3の医療社会学専攻。松蔭寮、吉田寮にいたらしいが、なんと境港出身。
K-Kei、R大のSさん、来店。
浅利ちゃんは、10:00から入る。
福知山の伊田さなえさんがNHKを見て来る。
呑海さんも来て、パリ展決定と報告。伊田さんと意気投合。
ミツコはんも来る。
S、仕事においても決意を固めたようだ。

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2017.10/7(土)


8:30起床。
不調。ルネ、セブンイレブン。
「図書」10月号面白し。
マタレーゼさんに、カレンダーのタイトルの英訳を相談。
「昼行灯」の京都ガイド的ニュアンスを入れたいと。最初は、被写体たる風景が昼行灯と誤解していたが、直ぐに納得、
"Following a Noonday Lantern" "Noonday Lantern, Show Me the Way"
"Lighting the Way: Following a Noonday Lantern"
納得して貰うために“Lighting the Way of 2018 by a Noonday Lantern”というのはどう?とメール。Noonday Lanternの語呂が好きという。

今日は招徳の蔵出しも南会館での「エロス+凌辱」にも行かず、ノンビリする。
後で、マタレーゼさん、以下2案を提案。
Lighting the Way Through 2018 by Kai, a Noonday Lantern
Kai's 2018 Calendar: Sightseeing with a Noonday Lantern
八文字屋、バイトは奏子ちゃん。
郡上八幡組、八文字屋に寄ってくれる。
段ちゃんも来る。
四国中央市の鈴木さんが放言し、段ちゃんが絡むという局面もあった。
中村一成、鳥栖の女の子も来る。

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2017.10/6(金)


装幀家グループは、郡上八幡へ。
エイリンに行ったが、開いていず、オープンを待ち、修理も!待つ。
その後、ルネ。更に寝る。大手筋のサハラまでリュックを買いに行く。
八文字屋は、戸城君、奈良井さん、パジェ夫婦、セバスチャン・レゼーら。戸城君には、本家という法蔵館の戸城三千代編集長の事を告げる。編集長の兄は90年代の人気バンドZiggyを率いていたという。戸城君は、パーカッションで11月祭では、クルリと共演と言う。
永澄さんの知人の九大と立命大の先生が国連勤務を経てR大で南太平洋開発論?をやっていると言う67歳の先生が来て、嫌中嫌韓風な物言いをするので、思わず、軽く絡んだ。
ヤニック夫妻、セバスチャン・レゼーら、ニュイ・ブランシュの後に来店。
段ちゃんも来る。

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2017.10/5(木)


とんでもない日中でした。
怠いけど、出た。出たは良いが、電話がなく探し回ったり(家にあった)、京阪の切符を10分以上探したりした。
Sとパチャンガへ。
カラー1本に絞ることにした。最終的には、チャリのチェーンが外れ、3キロほど歩いて、疲れた後に、八文字屋オープン。
宗ちゃん、木村紫光のみで、歩いて帰宅。何も出来ず。

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2017.10/4(水)


11:00ルネ。
芋茎祭りに(天神さん、天神御旅)遅れて行き、アーニャに会う。写真はイマイチ。
八文字屋、超暇。
浅利ちゃんは、9:20入り。十三の銭湯の娘、ゲシさんが2、3日前に心筋梗塞で亡くなったと言う。段ちゃん来店。鹿さんも来る。
最後に木戸衛一さんの知人の京大の研究者Mahon Murphyがスイスに住む市岡智子さんらを同伴、市岡さんと意気投合したせいでMahonさんを奮い立たせた。
この後に更に2人来て、3:00まで。

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2017.10/3(火)


8:30起床。
11:00ルネ。
正念場だ。
Sと相談してカレンダーの方針を変更した。
八文字屋は超暇。
オイタさんがトップ。
鹿さんがDVDを持ち帰ってくれる。
後は、フランス人カップル(Garcin Emilie)、増田さんが久多の状況を喋る。シャコジロウが立命の映画学科の女の子と精華の日本画の卒業生を連れて来る。
鹿さんが「スマートメディカル株式会社」の下地貴明さんを連れて深夜に戻ってくる。

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2017.10/2(月)


関谷滋さんから10月23日徳正寺で「イントレピッドの4人」の会があると、メール。
「1967年11月14日のイントレピッド4の記者会見をテレビニュースを見たことが、暫くして、大学入試では体育学部は止めよう、この運動の息吹きを感じられる地を選ぼうと決心することになったーーその後の僕の体たらくは置いといてーー個人的にも記念すべき事件の中の当人の生の声が聴けるのは、嬉しい」と関谷さんに返信。

昨夜は、大変美しいままの29年前の八文字屋バイトの俊子さんが来店して、店内にどよめきあり。その雰囲気を伝える画像をアップしたいが、彼女がストーカーの被害にずっとあっているらしいので、撮るのもやめた。
面白いことに、K-Keiが彼女を胡蝶蘭に誘い、それで、早々と閉店になった。

渡辺浩平からメール。
11月19日残念ながら京都に行けなくなりました。また改めて。
かねてから、定年後に、何冊か後世に事績を残しておくべき人物の伝記を書きたいと思っており、その第一弾として、吉田満(戦艦大和ノ最期)の評伝を書きました。来年には出る予定です。出たら送ります。

皆んな、こんな風に感じ、ちゃんと生活するのだ。
それに比べ、俺等は、、?
3、4日コンつめて、かなりの数のネガに目を通した。鴨川が良いか40年の街並みが分かるシーンが良いか未発表の傑作が良いか、カレンダーを念頭に置いて探した。
結果は、翩々たるカレンダーごときに閉じ込めるには勿体ない未発表の傑作の数々を発見して、やはり、この一群のネガの山は写真集にするしかないと確信。それも、自費出版をやっていたのでは埒があかない。後何年ネガと付き合えるかと考えると、結構、深刻だ。
今やるべきは、ネガ探しでなく、中途半端なままに放り出している書き物を早急に仕上げることだ。そのあとに、やっと立派な写真集作りを目指すしかない。でないと、膨大なネガ群が可哀想だ。今、残っているのは、10万かそこらだが。この20倍あったのにと、死んだ子の歳を数えるようなマネはよそう。
数百点のネガを見たSも久しぶりにプリントをしたくなったと同意した。彼女は、後半年は身動きが取れない。僕は僕で喫緊の課題をやっつけるしかない。

3週間ほど、櫻井正一郎「京都学派酔故伝」を精読して教えられることが多かった。
登場する学者、100年間で30人余りが登場するのかな?何処に住み、どの辺りを歩いていたのか、地図で確認したりもした。各学者の内面まで踏み込んだ正統的な京都学派論だ。結構、めちゃくちゃな「考古学京都学派」にはほとんど言及してないが、古き良き京大の学者たちの伝統を若い人たちが読んでも理解出来るように記されている。京大の学者たちの15年戦争の潜り方についても好意的書かれている。「桑原武夫すら、その点に触れない」というような言及の仕方だ。が、おそらく、戦時下の身の処し方を反省した上での60年代から70年代にかけての桑原の反戦勢力への肩入れの仕方だと思うが、これについての目配りはない。石田英一郎は、京大には短期間しかいなかったが、戦時下の知識人の在り方において河上肇と共に、左のポールと見て良さそうだが、武谷三男、戸坂潤についても同様だが、触れられてない。飛鳥井雅道のような、典型的?京都人学者についても同様だ。そういう憾みはあるが、読み込んで楽しい本であることには変わりない。僕なんか、深瀬基寛からその師匠の島文次郎の来歴に少し踏み入れて、幕末から明治にかけての大分の政治的動向にまで、思いを馳せるという余徳?遭遇。櫻井先生としては、九鬼周造、今西錦司、吉川幸次郎等についての論が自信作のようだが、深瀬基寛、青木正児なんかを深く愛しているみたいだし、元同僚の小岸昭さんへの愛情は深い。少し先輩の高橋和巳や山田稔には点数が辛いのかな?再読しないと断定出来ないが。裏京大史を書くと15年前くらい頻りに言っていた荻野晃也さんが本書を読んだら、どういう感想を抱くのだろう?

杉村昌昭さんは、大阪女子大時代の同僚だが「櫻井さんによろしく言って欲しい。如何にも文人という感じの方で、僕のことなんか、ああ、あの青年って感じでしか覚えてないかも」と言っていた。
「武士道」の起源について、通説とは全く違う「日本中世史」の原勝郎の説を紹介。公卿の住居を守る武将の心得、身につけたものに求めている。それらは「文学の嗜み」「仏道への帰依」「勢力の拡張」に三位一体の要素に求められる、とのこと。
客は、段ちゃんと西川さんのみ。西川さんは泊り。

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2017.10/1(日)


朝帰り。3:30と4:45に扉を開けようする動きあり。
5:30帰宅。
9:00起床。妙な夢3題。
1: ほんやら洞の火事で焼失した6×7のペンタックスが土手の木陰の下で、傷んでない姿で発見されたのだが、これが機関銃のサイズ。
2: 父母が初登場。吉田の家の寝室のぶっ散らかっているのを母が見て、父に見せようとする。僕は見せたくないが、ああ、20年近く手抜きしなければ、生きていけなかったのだなぁという感慨に耽る。
3: 佐藤寛子さんが執拗に段ちゃんを口説くが、段ちゃんは靡かず、そのままで幕切れかなと思っていたら、6:00過ぎの列車で東京に寛子さんは帰ると言うのに、5:00過ぎに段ちゃんはその気になり、彼女を連れて帰ろうとしている。1時間もないのに、、、と思いつつ、見送るという夢。

午後、ずっとネガ探し。一旦、家に帰り、予告のあった東京の玉置明人さんの来店時間に合わせて、7:00前に到着と、すぐ八文字屋へ。
トップ客八文字屋は先日、ルパンともう一軒飲みに行った店「たぬき」で、チュン君の師匠(冨樫の今の勤務先)にブチ切れたという段ちゃん、ついで、今日、契約書に捺印の件でヨッシーが来店。37歳の映像と音楽関係の仕事をやっている玉置さんが来て、浅利ちゃんは9:30に入り、暫くe-book販売戦略上について雑談。玉置明人さんは、2年前に鹿児島での二人展を!見たみどりさんという女性に甲斐を紹介されて、今日、初めて来店したと言う。濱ちゃん、グランピエの社長&ジョージさん、奈良井さん、女性同伴の西村さん、K-Kei、モモちゃんと続く。
1:00前には閉店。
なか卯で海鮮丼+小うどんを食って帰る。
村屋に寄ろうと思ったが、閉まっていた。吉田学区体育祭で疲れたのだろう。

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