2015.8/31(月)


6:00起床。八文字屋周辺では死屍累々たるというか、屍体が、生のまま、あるいは、梱包され、また骨にされた見るに忍びない知人が入ったドンゴロスの袋が、転がっているという夢。潔癖性のSが、もう納骨は諦めて、ドンゴロスに入れたまま、抜け出そうという(星野高志郎さんの死因は、老衰でなく、脳挫傷らしい。カウンターに俯せに寝てるのを『起きろ!』と言うと『お前、殴ったのでは!?』とあらぬ嫌疑がかけられている、こんな感じでいると殺されると僕も思う)ので、瓦礫の山から這いずり出したと思ったら、目が覚めた。複雑奇怪な夢。書き留める時間なし。
厳しさが募る8月最終日、ウダウダと午前中、夕方と家で過ごす。
「KAWADE 道の手帖 鶴見俊輔 いつも新しい思想家」(2008年)を著作案内、略年譜まで、隅から隅まで読了。出て直ぐに買ったのに、2,3の論考しか読んでなく、焼失したままだった。鈴木泉、浅尾大輔、道場親信、入江公康、岡本麻里等これまで読んだこともなかった若い書き手の論考も面白いのが多かった。吉本隆明、塩沢由典、海老坂武、天野恵一も面白かったが、上野俊哉、酒井隆史のは、ぐっときた。海老坂武さんの「丸山真男と鶴見俊輔を対抗軸に戦後思想史を辿ったら?」というの面白い提起。
姉から電話。FBのコピーを入手したが、そこに古庄ゆきことあったが、別府大学の?と言い、恩師で、(初代東京市長の孫かひ孫の)有田校長(?理事長)ことをこの名で思い出した、という。僕のカメラも、岩波写真文庫もシェパード『龍『ロン』」も全て有田先生から譲り受けたもの。のちに、別府大学は、佐藤義詮さんの物になる。
八文字屋の家賃足りないが、ある分だけを入れる。吉田の家の分は、不動産屋さんにメールをして、数日待ってくれるように頼む。
昼飯は、ルネ。Bk、出町での買物を済ませ、シュークリームを買って、Sの家へ。コーヒーをご馳走になり、包帯を巻いて貰おうと思っていたが、鬱陶しそうなので、早々に退散。明日から大学でバイトでペースを掴みかねているのか。コッチはコッチでコッチのペースこそ、僕は、考えねば。万年お人好しで終わる訳にいかない。僕はもう晩年なのだ。そう理解してくれる知人との陣形構築こそ急務。
僕こそ、自分本位であらねば。Wu Haoと2、3メールの応酬。彼、11月は、パリに居らねばならぬと言う。Wu Haoの居ない北京なんて、今の僕にとって無意味。で、来年にする事にした。
永澄さんに聴き及んだ水腰記者の考え、印象を書き連ねる。
竹内好さんのお嬢さん(と言っても、僕と同じ歳の)裕子さんより「民主か独裁か」の版権切れで、接しやすくなったという事と、写真家・山本宗補さんの工夫で、鶴見俊輔さんの遺影が、8.30の国会周辺デモに参加出来たと言うメールあり。
山極寿一京大総長に影響を与えた本10選というのが、ネットにある。パール・バック「大地」コクトー「恐るべき子供たち」コンラッド「闇の奥」がトップ3だったかな?あと、アンダーソン「想像の共同体」伊谷純一郎「ゴリラとチンパンジー」今西錦司「生物の世界」ナイポール「暗い河」等があがっていた。
家に帰り、寝不足なので、1時間寝て、客の来そうもない八文字屋へ。
案の定、6:30~12:30、客は、鹿さん、モトさんのみ。
これで、8月は終わる。

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2015.8/30(日)


目を覚ましたら、八文字屋、6:00。雨なので、もう2時間いる。
9:00帰宅。2:00までグッタリ。ノンビリして、円山公園にデモに行く。堀内さん、マキさん&川添さん、ハリーナの佐藤さんご夫妻、琢ちゃん、西田勝彦さん、槌田たかしさんらに会う。森まゆみさんと遭遇せず。
5:30八文字屋でSと落ち合い、戻って、包帯を巻いて貰う。世界陸上最終日を少し見る。
八文字屋には、ゆっくり入る。浅利ちゃんも。到着すると、草葉さんが8:00に来て二度目の来店を果たしていた。朝日の田畑元治さんが造形大学の美女カオルさんとアイリさんの二人を同伴。直ぐに、段ちゃん、山の屋さん、不明5人グループ、不明アベック、アッシュバーンの奥さん、ジュンコさんが「グラフィック」の若い男をナンパして、2、3軒連れ回し、最後に八文字屋にくる。内、ひとりは、大分は、戸次生まれの舞鶴高校→分大経済出身の橋本大志君で、京都に来て、1年半、初めて大分県出身者に会ったと喜んでくれる。奈良井さん、岡西さんとくる。

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2015.8/29(土)


ウダウダして一日が終わる。
モトさん、山科の正体不明男、サユリさんのバイトが最終日なので、彼女の知人二人が来てくれた。鹿さんも。R子さんは、時間内には、間に合わなかった。土瓶蒸しを頂く。
トップは、八田能さん&星野さん、そして、あさひちゃん、段ちゃんと続く。オイタさん、津田篤太郎医師&森まゆみさん&京大再生医科学の先生来店。サユリさんの知人のナスちゃん&ユズ君も来てくれる。最後に、ルパン、吉田さん、呑海さん来店。3:00閉店。

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2015.8/28(金)


レオ、久しぶり。届いていた手紙類を渡す。
百枝さんが退院見舞いに桃3個くれる。10:30
K新聞記者Mさん来店。12:00過ぎにR子さんが来て、2:00まで。

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2015.8/27(木)


7:00起床。
ヴェンダースのサルカドみる。ノンビリする。
夜、荻野晃也さん来店。僕が大分金山話をしているのを信じてなかった反原発運動を最初に提起した核科学者にして、電磁波研究の第一人者の荻野さんが、2012年6月14日の大分合同新聞の切り抜き記事(『馬上金山と成清家』《上》」を持って来てくれる。八田さんを偲ぶ会の日にち、間違って教える。
ほとんど客なし。

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2015.8/26(水)


中尾ハジメさんが独身で彼に嫁ぎたい、嫁がせたいと言う母娘がいて、中尾さんはその気にさせるのに、歯止を掛けず、結婚の日が近づくのをぼくは、いいのかいな!?とヤキモキしていたが、案の定、一緒になって、直ぐオジャンになった。それを側目になんと僕と知人は水泳の選手になって国際大会で泳ぎ切る。、、、という、また、荒唐無稽な夢。
ハジメさん、ゴメン!
9:00府立医大病院へ。秋田先生の簡単な処置。その後、京大の食堂関係に行こうと思ったが、時間が早過ぎた。Ball&Chainも同様。
北京のWu Haoから不調なら、12月あるいは4月に延期しても良いよ、明日から、また、パリとのメール。
ほんやら洞の電話の解約を1月20日以前にしているのに、ずっと請求書がくるので、NTTに掛かり難いTelなのに、何回目かの辛抱の末、やっと説明するのに、信じがたい応答。222-1574は使用されてないとチェックすれば分かるでしょう!?と言うと、いえ、それは、分かりませんときた。うっとうしさにめげて切る。
玉屋珈琲に豆、サーバー等を買いに行く。社長と雑談。帰りに、K-Keiに会う。一昨日、見舞いに来てくれたと言う。亮太郎にも遭遇。丸善、ターケル、ナット・ヘントフ、ケネス・レクスロスにチェック噛ませるが無為。
1970年3月10日過ぎのフェザーストンの死についての鶴見俊輔さんからの報せがあり、少人数でも、一緒に追悼集会をやろうという鶴見俊輔さんの提案に対して僕は少し、ボンヤリしていたかも知れない、といまになって思う。SNCCからブラックパンサーのフェザーストンの来日時に清水2丁目の高橋千鶴子さんの店に鶴見俊輔は案内し、そのことを鶴見俊輔さんの本としては、僕が最初に買った「日常的思想の可能性」のなかにも登場していたことすら忘れて同志社での機動隊導入をした学長代理を追っかけるの先頭に立ち旗を振るのに、感けて、メンツ集めもしてなかった。「北米体験再考」には、SNCC、ブラックパンサー党、マーチン・ルーサー・キングの位置関係、エルドリッジ・クリーバーの“Soul on Ice ”のハイライトの引用もあり、ここら辺を読み込んで、月曜社の「ほんやら洞の青春」でもここについても触れねば。
7:00、Sから電話。取り損ない、客を逃がす。4:00に八文字屋オープンしたが、トップ客は、8:15。
冨樫がグルジア大使館勤務 in Canada を連れて来る。昭和初年度では、日本の雑誌には、世界一の美人の産地として、グルジアは紹介されていたというと、喜んでくれた“ガウマルジョス!《乾杯!》”と言う。
ついで川㟢さん、鹿さん、ヴォガの情宣係?の七田さん、南原魚人&女性、山田拓広さん&「元滋賀大ベ平連」今、安保法制賛成という市川甚さん、オイタさん、奈良井さん、Rさんで、12:00には終わる。カウンター内に椅子持ち込む。
1:10帰宅。

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2015.8/25(火)


午前中にルネに飯食い。
八文字屋に充電器取りに行き、ウダウダする。まだ不調?
現像フィルム取りにヒルゲートに行こうとおもったら、人見さんに会い、今週、やっとやすみを取れた、近々司修さんが来るので、その時、八文字屋に行きます、言う。その脚でルバンの店へ。八田遺作を撮影。海老坂武さんの「かくも激しき希望の歳月」を貰う。
郵便局に行き、その後、Sに包帯を巻いて貰いにいく。
台風の余波での風雨は気まぐれ。
八文字屋には、フランス人客ひとりのみ。1:00帰宅。

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2015.8/24(月)


荒唐無稽な夢。黒川創が、知人の奥さんがやっているBARで働いて糊口をしのぐと悩殺ママから聴き、黒川、大丈夫?と言う夢。舞台は、ほんやら洞。ママは、八文字屋近辺の名物ママ。
いや、鶴見俊輔読本(河出)の「鶴見俊輔入門」を感心して読んだのに、夢にこんな形で登場してはいけない、なんて思う。一枚児の父、ここでも踏ん張りを期待というとこか。黒川さん、失礼!
ルネで久しぶり食事。
出町で2日分の買物。
保険料支払いに行く。自動引落の書類に一ヶ所捺印を忘れ、明日、出直し。
7:30八文字屋オープン。
トップ客は「付き出しに蒲鉾が無かったですかね?」と言う10年ぶりのアベック。冷奴を出す
次は、石川文洋さんを師と仰ぐベトナム写真を撮り続けている村山康文さんが若いカップル同伴。若い女性、別れた、よくできた、綺麗な元嫁の話にブレーキが止まらない村山さん、次は、今日、鹿児島に戻ったはずの?清水さん、11月頃八文字屋で個展をやる心算の西田さんが、退院祝いにワイン持参。皆んなで頂く。舞踏の袋坂ヤスオさんグループは、紅乙女、京大建築出身の杉本さんが先斗町のせっちゃんを呼び出す。北口まなぶさんは、フィージーの女性、北京の女性を同伴。
あとは、琢ちゃん、段ちゃん。琢ちゃんが後片付けの洗い物をやってくれる。
姉の病状芳しからず。

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2015.8/23(日)


一日中、ゴロゴロろする。
高野東開き町の公園でモジャ&ヨリちゃんカップルに会い、滋賀の陶器のKei君、松本章さん、ハジメさんの話を立ち話。
8:00八文字屋オープンへバスで急行。逆鉾前でいつもの女性連れの河田孝郎さんに遭遇。一緒に八文字屋へ。そこへ真実さんがお見舞いに。座る間も無く、一人りで喋り捲る星野高四郎さんは、仲間を何処かにまたせて来店。SからTel「清水さんが、甲斐さんが八文字屋に居るのなら行くとの連絡あり」、朝日の田畑元治さんは、見舞いに神戸からバウムクーヘン持参。カウンターには、大谷大学を出て、名古屋で坊さんをやりながら、定期的に八文字屋にも来ている男が美女同伴。鹿さんは巻き寿司土産来店。美女は貧血で倒れ、暫く後ろのベンチに寝ていると、次女の茜さん(30)息子大地君(28)の二人の子供を連れて明日鹿児島に戻る清水さん登場、フランス人5人も。さらに、グランピエの二人、奈良井さんもグランピエ組が消え、藤喬さんが友人と。
12:20に後は、浅利ちゃんに任せてタイヤの空気が抜けたチャリで帰る、ルーターを忘れたまま。

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2015.8/22(土)


退院。朝飯、昼飯ともたべる。
血圧高し。荻野さん、バンソン、浮田兄弟、浅利ちゃん、明子さん、マサホ、千佳ちゃん、ヨッシー、等々に2時間、メール。
小田実の「戦争」(集英社の「戦争と文学』シリーズ第2巻)は唸らせる。バオ・ニンの「戦争の悲しみ」をそのうちに。
朝からシャワーそして定番らしく恋水先生の前で、帰宅後に包帯巻きできるかとうか練習披露。
朝昼の飯を食って、Sの迎えが来るのを待つのみ。R子さんがくれた美味しい退院祝いの弁当を食べてから、チャリキー、家のキー行方不明なので取り敢えず、溜まった荷物をSの家に置いて貰うために運ぶ。そして、7個しか入らなかったが、むさしで回転寿司。河原町三条での辺野古アピール等をやっているいる俊子さん、松本さん、山崎さん等の所に署名しに行く。
8:00からの趙博さんの「怒! 阿呆陀羅経」発売記念の全国巡業、ここでは「鶴見俊輔さん追悼・甲斐退院祝い・八田追悼投げ銭ライブ@八文字屋」があるので、リニューアルオープン2日目の丸善&ジュンク堂を冷やかし、7:00に八文字屋入。脚を踏み入れると異様な臭い。入院前にばら撒いたラットライスより強力な薬が威力を発揮した模様。食物はバイト君等が毎日冷蔵庫にしまい、ゴミも捨て、食物なく彼ら用にあつらえた物をちゃんと平らげてくれたようだ。慌てて発生源を探して処理。が、なお、、、と思っている所にパギやんが来て、アコーディオンの春間げんさん、「京都が世界に誇るベーシスト」船戸博史さんも合流するという。ムービーの大西さんも来て、スタンバイ。佐々木さんも来た。
今日は、目と鼻の先の高瀬川祭り、地蔵盆、東九条でのイベントも競合?する事もあって、開始になっても数人しかいず、ツイッターにその旨を記すと、中川五郎さんが、即リツイートしてくれたりもする。
2曲唄い、3曲目に入ったあたり、河合塾の数学の井上先生、同大教授・大田修さんと町内会の長岡京の片岡クリニックの片岡先生、元朝日外信関係(今、京大のの)笠原のりこさん(ノッコ)、未知のパギやんの知人きて、バイトの浅利ちゃんも入り「じゃ、再スタート」と言って、リハーサルも何もなかったし、いい感じでエンジンがかかった。パギやんは、昼も大善院でライブ、明日も膳所らしく、流石が、「ヒロシマ8.6集会?あんなのより路地で亡くなった人を供養する光景がホンマモン」と万人受けとは言わないが聴衆のツボを心得ていて、浅利ちゃんに「鹿さん、オモロかったよ!反原発嫌いって言う人にも喜んでらえる良いライブ」と言わしめる「シールズ??けっ!なにが全共闘の再来??」と言って笑わせたりで、10:00前に終わったときは、ほぼ満員。沖縄グループも二人、八文字屋のHPを見てきたと言う去年Sが働いていた京大の情報系の大学院の研究室の関係の院生4人も来て、投げ銭の前に帰ったが、賑わいを作るに十分。遅く、柳生さん、段ちゃん、奈良井さんも来る。アンコールを憚れる熱演。パギやんは、「こなから」に行き、僕は浮腫んだ脚先を心配され、浅利ちゃんとのテーブルへの脚上げツーショット・シーンを演じた後、引き上げたが、そのあとなお
客はあったらしい。ウッチー&カオリン、ジュネーブの男、海坊主、不明アベック、R子さん、神戸の「醜いアヒル」、百枝さん&解同の寺田さん、何故か?怒っていたと言う入院前も懇切な治療を施し、余分に薬もくれ、病院に行きなはれと言ってくれた「快気祝い」持参の西村さん。
夜、なかなか寝つけず。

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2015.8/21(金)


4:00起床。
夢で病窓から外見ると、出町から鴨川に掛けてが谷底みたいで、夜景がやたらに綺麗。カメラを向けると写るのは、シーツとベッドの山。外に出ると、見舞いに来たパギやんがギターを持って立っている。山紫水明処のゲートボール場だ。慌てて、「ジュネーブ経由ガーナ風ジンジャージュース」を作る。ミキサーに無雑作に蜂蜜、生姜、レモンをいれる。氷を探すがない。水を入れて攪拌。薄い。パギやんが鶴見先生にも(プレゼントを)という。「ああ、あんまり攪拌されてなかった」とミキサー内を見ると冷凍されたままのレモンが四つ割の切れ目が付いたまま浮かび、混ざってない(レモンが鶴見さんの顔になったまま)。ミキサー台の下は東三本木通りに連なる傾斜階段。下にしんどそうな日高六郎さん立っていて別府で講演、誰か代わりに、いうので、僭越ながら、地元だし、僕がと名乗りを上げようとすると、パッと暢子さんが吹き出しみたいに日高さんの口あたりに浮かんでいる。見ると、階段は客席に成っており、100人以上がスタンバイ。ピンチヒッターの名前のかわり、金と言う暢子さんの顔がもう一つの吹き出しのなかにある。片や、パギやんは、美味しくなったグラスを飲み干し、梁ソンセンニンの娘がという。「知っている荒神橋脇の焼き肉屋をフランスレストランとしてリニューアルオープンするのは、嫁の連れだから、行くつもり」と応答。
流行ってないのだろうなと、扉を開けると奥まって広い店内にはアベシンゾウの支持者然とした顔が100人近く。ゾッとしない。店員は3、4人、先ずは良かった、出直すと告げ、出ると、マミちゃんが「この10枚の内一つ大きく伸ばして」と追っかけて来て、プリントを脇道で、ぶっ広げる。
府医大の前の酒屋から仲良しの出町の酒屋、本郷さんが出て来て「甲斐さん、何処に行ってたんや、嬶が死んだ言うてたぞ」という。
「おらん間、『どっとん』(大分の野津の大仏次郎賞受賞の歴史家故大江志乃夫の養家製造の焼酎)が切れたんや」というと、「あんなモン、とうの昔に製造中止や(現実でない)」(本郷さん)。
オモロイ夢をみたが、iPad不調で、一字打つのに、2、3秒かかるので、肝心のディテールを書けないので、止す。ヨシレイさんに貰ったノートパソコンに習熟して次の段階へ移行せよ、ということなのか?お陰で、睡眠不足。
今日、レモンの?MARUZEN&ジュンク堂京都店(元BALビル地下1,2F)リニューアルオープン。
今週、八文字屋は、3日間も休んだ。
1985年4月オープンの八文字屋は、開店以来30年3ヶ月間で、休んだのは、3日間だけだった。それも、内2日間は、バイト、客と連れだって、伊勢の香良洲浜の「権四郎」の家に泊りがけでの遊びで休み。もう一日は、3年前の6月16日。屈辱のロックアウトだ。この時の新大家との金のやり取りの領収書がほんやら洞全焼で、不明になり、そこを突かれ、東京地裁の判決を甘受した。闘いの方法は、まだあった。証拠保全の申し立てがその一つだった。時間んのロス、エネルギーの消耗を避けるために甘んじた。ひとりで闘うには、草臥れ過ぎていた。案の定?その延長上に待っていたのが、今回の入院!?
もう八文字屋みたいな店は時代遅れか?
働きたいという若い女性が来ないのだから、年寄りの男客が求めるバイト、若い女性バイトが店に求めるもののすれ違い。そこを何とかするのが、店主の仕事。この数年で2、3失敗をかさねた。もう年だ。
八文字屋に客が来なくなった後の生活を考える。12、3年前がそうだった。その時、真剣に考えるのを怠ったか?さてと、退院帰宅後、大変な事、厳しい事は何か、今晩、考えるか。
明日(8月22日)、退院の日で、趙博さんの八文字屋ライブデイ。バイトなし。誰か少し手伝って貰えませんか?Sも10:00撤収予定。詩人の奥成達がなくなったか。8月16日。73歳。一度来〈八〉。連載3回目にして初めて目にしたが、今日のに限って言えば「六曜社物語」はたるい。6人初発メンバーへの取材はあるのだろうか?「ほんやら洞日乗」に関する樺山記者のイメージが纏わりつく。
8:00食事。芋とツナの炒め物、温泉卵、まぐろの佃煮、味噌汁、ミルク。
トイレ掃除のおじさんは、日曜日以外は、朝、8:00前からせっせと仕事をしている。
9:40-10:20リハビリ。
薬剤師担当:青戸和宏さんより、「退院時服薬指導書」「おくすり手帳」を貰う。
11:00血圧、150-87。(リハビリの激しい運動後)体温36.5。
12:00昼飯。鷄肉みそマヨ焼き、もやしの和え物、ライチゼリー、お吸い物。
中上健次の「日本語について」読了。いわば、処女作?初々しいというか、読んでいて、どう行くか、危なっかしい?ハラハラ。同世代で似たような経験をした者としては。1967・11・14の「イントレピッド4」の記者会見からのインスピレーション?脱走兵ポール、任錫鈞、無数のホビット達を思い出す。中上健次か、冒頭と最後に、日本語を知らない外国人に最初に教える日本語は「勇気」と記しているが、堀田善衛の「橋上幻像」の中の「名を削る青年」の一節の「義ヲ見テセザルハ勇ナキナリ」の勇から来ているのか?堀田善衛の本書も脱走兵を預かった経験に基づく。
高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」を飛ばし読み。
今朝の京都新聞には、原誠さんが出ていた。六平がコーヒーの淹れ方を習ったひと。当時、出町の喫茶店「ヤギ」でバイトをしていた。同志社の神学部。
夕方、Sがシュークリーム、コーヒー、ルーター持参。木元彩有里さんもふたばの豆餅等を持って見舞いに来てくれる。さらに、つくばの野口修さん一家も見舞いに来てくれる。
神田さんが80年代末のポエトリー・リーディングの音源を持っているとFbに記しており、「聴きたい!」と言ったら、CD-Rをくれるとのこと。
Sがルーターを持ち帰るのを忘れ、退院ニュースを知人に送信している所、八田淳さんが昨日亡くなったと言う報せが、Sと星野さんからあり、「八田淳さん死去」も方々に知らせる。それで、日付がが変わりそう。連絡をくれたのは、京都学芸大時代からの盟友、星野高志郎さんギャラリー16でハ田さんの訃報を聞き、淳さんの弟、能(よく)さんと連絡をとり、49日までに、八文字屋で八田さんの仕事を偲ぶ遺作展をやりたいメールをくれる。
八文字屋のバイトはサユリさん。
客は、モトさん、サユリさんの友達のナオキさん、段ちゃん、読売の4人組、海坊主、奈良井さん、梅林克さんら3人、不明4人。
堀田善衛「名を削る」読了。「橋上幻像」再読の必要あり。

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2015.8/20(木)


なかなか寝付けない。(一月前に、鶴見俊輔さんは亡くなった。ぼくらが、その死を知ったのは、7月22日)追記:8月21日になって、八田淳さんが8月20日に亡くなったと知る。
石川文洋さんの「南ベトナム海兵大隊」、沢田教一「17度線の激戦地を行く」を読む。石川さんは、リンチ、首切りのげんばにいたんだ。さぞかし、気がおかしくなりそうになったに違いない。沢田さんなんかは、僕らより少し年少の男の子がよく読んだようだ。
2:30頃に寝た?
変な夢。舞台は、大分であり、大阪でもある。
大手女性雑誌の記者が都市の自由空間の取材に回るのに、何故か付いて回っている。加納ちゃんの姿もチラチラ。富士子さん似の記者の友人(外国人女性)の結婚式に付き合えと言うので、付き合う。会場は、幹線道路の交差点。信号が変わり、歩行者通行の時間帯に、両側に別れたカップルの言葉の応酬があるだけ。外国人女性の家族は、皆、車椅子で参加。何故、結婚するのか、男が一言いい、富士子さんが結婚の意味を喋り、直ぐに散会。男は、バンドギターのシャコちゃんというのだが、野球のせんしゅを目指している。道路脇のグラウンドのブロック塀目指してシャコちゃんはソフトボールを投げ、嫁はボール拾いと言うのに、僕はびっくり。野球選手?序の口も行ってないじゃん!?どうして、結婚?と訊く、お金、と返事。シャコ家に直ぐ脇の長屋。見てると家に立て掛けている段ボールが崩れ、大きな猫が出て来た。猫は川辺にはしり、仲間と合流。「大阪猫町さがし」が出来るじゃん!と思う。シーンは変わり、カズミが舞台仕立ての深窓の祭壇で怪しい能のシテ役をやっている。ここにも、政略結婚の匂いを嗅ぎ、外に出る。地図を見ると、通り名は交錯して京都と同じで、どうなつているの?訊くが訳が分からない。その後、僕はカズミになって、正体不明の老嬢から駅のプラットホームで追われて、危機から一瞬、一瞬、遁れる。
僕の仕事、ポジションは?と思っているとこ、目を覚ます。
8:00朝飯。鮭の塩焼き、青菜のおろし和え、マンゴー、味噌汁、ミルク。
9:00過ぎにシーツ交換。9:40リハビリ。
10:30体温36.1度血圧169-86(リハビリで激しい運動の直後)
開高健「姿なき狙撃者! ジャングル戦」読む。
12:00昼食。フライ盛り合わせ、冬瓜の土佐煮、キウイ、味噌汁。
松本清張「ハノイからの報告」を読む。1968年4月1日の
ジョンソン大統領の(ベトナム)北爆停止宣言の出た日に清張は、その16時間後にファン・バン・ドン首相に会見した模様。僕は、その一週間前に京都に出て来たばかりだった。学生運動の喧騒ばかり耳にして、この宣言はよく覚えてない。直後に、朝日ジャーナル等を読んだ筈だが。
14:00シャワー
甲子園、1970年以来の東海大相模の優勝。ラストバッターのピッチャーが勝ち越しのホームランを打つシーンを見逃した。1970年の夏、雨の少ない年だった。僕は、7月20日に裏千家の裏の妙顕寺を出発して、山陰まわりで、九州まで歩いて帰った年だった。野球は全く意識外だった。
15:10恋水先生、秋田先生、西野先生の病室への回診。
医者たちの眼目は、「なあ、埋まってきたやろ」「埋まってきた、埋まってきた」という言葉に尽きる。「もうすぐやで」と主任医師の西野先生が喜びを分かち合うように言う。「土曜日です」と恋水先生。が、僕から見ると、右脚は、膝から下はどどめ色で、まだ、7割位しか治った気がしない。左脚の踵の痛みは、7月5日に沖縄の地を踏んだ時の痛み(多分、循環器に問題あり)とおなじで、人差し指、中指は鬱血したまま。これから、歳をとっていくのだから、よくなるなんてないのかも知れない。
15:40S、ルーター持参。八文字屋は、休み。
永澄さんからのメール確認。8月23日に来れたら、八文字屋へ、と。
17:00、S立会いで恋水先生から退院後の傷口のケアついての説明を受ける。来週水曜日、午前の9時に診察を受けにくることになった。あまり、長時間、歩いたり、自転車に乗ったり、立ちっぱなしになることは避け、(身体の動きを考え)酒は飲み過ぎないように、と。
後で来た看護師が「お家でほんま出来ますか」と見透かしたような口を利く。確かに説明後で僕が覚えているのは、包帯は、キノホワイトというのだったっけ、位のもの。でも、自分の身体、当人なんだぜ、と思うだけで聞き流がす。
18:00夕食。豆腐チャンプル、華いかシュウマイ、ほうれん草のお浸し、パイン缶。
19:00に、先ほどの看護師が再度、忠告?に来る。看護師の信用、余程無いのだろう。先生はSにやり方を教え、それで良しとしていたのに「22日の朝、恋水先生に9:00から、見て貰います。ご飯食べたら、風呂に入る前に、入浴後、先生に見て貰えるに準備して風呂に行って下さい。看護師がチェックしますので、連絡下さい。Sさんが居なくて、悪いのですが」。やれやれ。
うたた寝の夢に、小田輝穂さんが登場。80年代半ばほんやら洞で働いていた好人物。鶴丸高→東大→島津製作所→中央市場→修学院の豆腐屋→ほんやら洞(パン作りに専念)→ブラジル→帰国後、現代企画室の太田昌国さんに原稿を見て貰いブラジル本出版→弘法さん撮影に没頭→?が甲斐さんどうしたんの?といって、夕方まで八百屋をやり夜は飲み屋の店(実在せず)から出て来る。「八文字屋で五郎さん、やったんやてねえ」という。かれは、1988年頃、島津の同僚だった政光順二さんと八文字屋を騒がしていた。今は、故郷、鹿児島にでもかえった?
9:00消灯。
一ノ瀬泰造「カンボジア報告」読む。
又吉栄喜「ジョージが射殺した猪」を読む。「ギンネム屋敷」(1980年)「豚の報い」(1996年)も読もう。
中上健次「日本語について」(初出『文芸首都』1968年9月)を読む。僕バイトとデモに明け暮れていた頃の作品。「ほびっと」しいては「ほんやら洞」のアイディアが提起された京都宝ヶ池国際会議場のベ平連主催の「反戦と変革のための国際会議」。1968年8月。ほんやら洞全焼に対してもメッセージをくれたバーバラ・バイによる。
2:00過ぎにやっと眠る。

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2015.8/19(水)


清水さんの父親、良一さん、死去。
定住と放浪(続き)
僕の場合、40年分の定住を記録した写真、ノート、アドレス帳の中を放浪する日を目前にして、放浪没入の対象を喪失した。
25年間の「美女アドレス帳」だけでも20000件以上のアドレス(内2,3割は実家のアドレス)もあった。老後は「美女巡礼」と銘打って、似ても似つかぬ旅を10年するのを夢想していた。これ、実現していたら、オモロかった。
が、今、考えるに、カイ版「美女巡礼」なるものは、中川五郎さんや趙博さんの全国ライブにくっついて全国回っても、一風変わったそれが出来る(中川さん、趙さん、変なとこに引き合いに出してごめんなさい!)のではと思えてきた。高山富士子さん、加納ちゃんのひそみに習えばいいのだ。意図は、全く違うが、似たような事は写真集こそ残してないが、田川律さんが長年継続していることだ。
僕が20歳前後に憧れていたのは、ヒッピー?フーテン?沖縄のサトウキビ狩りに行きたくても一歩を踏み出さなかった。アメリカのhoboにもなれなかった。(1歳1ヶ月上の兄はカナダに消えた。25年後に分かったのは、母が3年間、僕へと送った金を猫ババして、旅費に当てていたが、兄のようにもなれなかった。阿奈井文彦、足立倫行、中川六平にもなれなかった。目標を持って生きるというタイプでなかった。全く世間知らずというのから脱却したかった。入学金からして、親に一銭も迷惑を掛けたくなかった。
今、幼児期からハイティーン、家庭環境等々を振り返り、自分に決定的に欠落していたのは何か考えてみて、ほぼ分かったが、書かんとおこう。
まず、もっと身軽に、近畿一円、九州一円を歩いて、チャリで、鈍行でピストン運動する。
8月29日の八文字屋の映画会は何にしようかな?ひょっとしたら、デモ日?脚の状態をみて、デモに行くか。
深夜、痛みの動向を感じながら、まさか、十分に治癒の方向へと向かってないと言われるのではないかと、不安になったりする。
八文字屋のバイトは浅利ちゃん。お客さんは、海坊主、鹿さん、川㟢さん、奈良井さん、冨樫、明日、東京に帰る森重さん。

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2015.8/18(火)


7:00起床。
「女工哀史」の細井和喜蔵の90回目の命日か。
病室の北の窓から、2~3カット。快晴だ。暫く保身?一本で行く。
初めて辺見庸を読んだ。短編の「迷い旅」だが、この一編で大変な力量の作家と分かった。が、かなりの読者がひれ伏すように読んでいる時事もんをこれから、好んで読むかと言われれば、ノーというだろう。
この小説は、どういう訳か、雇ったクメール人に雇ったのに半ば拉致されるようにしてソ連製兵員輸送車に乗って地雷原を走って〈バイリン〉を目指す道行感のある掌編だ。その一説に次のような描写がある。
「仰いで見ると、葉肉を射抜いた透過光が鶸色に淡く、トンネルを照明しているのでした。それは、時というものの色はこんなでないかとかねがね空想した色に似ていました。//薄い黄緑をしたゼラチン透明膜の、時。//すぐ目の前を、網状葉脈の影絵がいくつもいくつも通り過ぎていきます。//トンネルの裂け目から木漏れ陽が、ときおり激しく降っていきます。//葉の、あえかな影絵、木漏れ陽、影絵、陽、影絵、陽、、、の繰り返しは、時の継起なのでしょうが、一体、順行しているのか。遡行しているのか、滞っているのか、このトンネルのなかでは判然としません。それでいい。そうこうしているうちに、ぼくもソクも、緑の浸透圧で、手足の先から植物化していくのかもしれません。それもいい。そう思ったとき、ぼくの目は、トンネルからスポンと抜けて、いきなり白々とした風景に投げだされました。」
おお、作家ならば、時を色に例えられるのだ、と凡人の僕は感動した。その後の描写も格好いいのでひきうつした。戦争が孕まざるを得ない極限状況を行くシーンのなか上記の描写があるのだ。地獄を見ると、時も色に例えられるのか?そんな訳はない。
その点、極限状況も経験してないわ、表現者としてもコンマ以下だなあと思う。それ以前の問題もある。僕の妙なところは、自信のないことを30年もずっとやって来た事かな、それでも、ともかく、精彩はともかく、生きてきた。どこかの誰かさんもひょっとして同じなのかも。同じようにこれからもやって行くのだろうが、信の度合いをこれからは、歩きつつ、チェックし、今少し力強い生き方をしょう。愚も付かないことを記すのも、闘争の現場に居ないからだ。現場にいたら、一々、反射的に動かねば、身が持たない。
8:00食事。厚揚げの煮物、ピーナッツ和え、味噌汁、ミルク。
食事中に、秋田先生。「傷口をみせて」とくる。ステロイド塗ったら、痒みなくなりますがね、という。赤みについて訊くと、普段、浮腫みがちですか?なら、皮膚炎になり易いですね。皮膚、かさかさになってますね、とも。野菜も肉も魚も足りないのだろうな。
9:00シャワー、9:30~9:50処置、抜糸全て終了。先にシャワーで傷口は洗っており、そこから滲み出た血(膿)をガーゼで軽く拭くだけで薬や軟膏を塗る訳でもなくガーゼを置き、包帯を巻き、それで処置は終わり。皮を剥いだ部分にはまだペーパーが半分くらいくっついたままにして、そのうち、剥げるでしょう、掻いて傷をいらせんようにね。植皮部分の周辺にはまだ肉は盛り上がっていたいず、歩くのはコンビニに行く時くらいにして下さいといわれる。リハビリは、9:40スタート予定を10:20に変更して貰う。リハビリは、最後には、座って、脚で蹴る動作を10分やり、くたびれる。
まだ、十分には肉はついてないし、かさかさするかも知れないけど、8月22日に退院しましょう、後は、自宅で軟膏を塗って下さい、と。皮を剥いだ部分が普通のいろになるのは、3ヶ月掛かりますよ、と。
11:15の体温は36.7度。血圧155-95。(激しい運動の後のせい?)
12:00昼飯。鶏の生姜ソース、ごぼうサラダ、オレンジ、コンソメスープ。
3:00過ぎ、今回の入院で初めて下痢気味になる。何がまずかったか?昼飯、どれも美味しくはなかった。
吉岡忍「綿の木の嘘」読む。1968年3月16日のソンミ事件再取材の3分のTV番組に対してアメリカ大使館から来たクレーム等も含む世界の構図を浮き彫りにする、いかにも、吉岡忍らしい小説。
病室では、午後、ずっと、明日、明後日に行われる手術を巡って、患者、患者の家族、ナース、医師たちが入れ替わり、立ち替わり打ち合わせ。その最中に、新入り(これまでも何度も入退院を繰り返しているらしい)の患者が、ひとり、生き別れの39歳の娘の写真を次々にナースにみせながら、最終的には、俺には、女の子が必要なんや、分かるやろとか言い、ナースは、口々に「聞かんかったことにするわ」と言って、出て行く。何処にもいるおっさん。一昨日まで、10日間隣合わせの花大出身の青年が来るナースをナンパして鬱陶しかって、やっと退院したと思ったら、次は、これ。
岡村昭彦「南ヴェトナム前線へ」を読む。
4:00お疲れ気味のS登場。(ここから、しばらく、ルーター使用)先週、八文字屋に「10年前に八文字屋で働いていた」というジュネーブのセシールさんからの置き手紙持参。誰か分からない。バイトの女性、せめて、写メールでも撮ってくれたらいいのだが。本人もアドレスも何も書いていず、「アドレスをお願いします」と言うのは、愛が必要か?娘と旦那と一緒だと書いてある。
直ぐ後に、上の息子から、見舞いに行けず、ごめんと言ってきた。
「お疲れ様です。身体を大事にしつつ、徐々に復帰していってください」とも。
つくばの野口修さんが、金曜日、見舞いにくると、メール。小山鉄郎さん、永澄さんにメール。
お隣さん退院。今晩は、ホッと息をつけるか。清水哲男さんは鹿児島に戻る。
6:00夕飯。ゆで豚ごまダレ、ぜんまい煮、ミックス缶、香のもの。
6:30、恋水先生、明日、明後日、更に、退院後の話をしにくる。
姉は、昨日も今日も寝込んでいる。本人もずっと前から、もう書けないと言っているが、彼女が見ているものに、僕が関心ないわけでははないが、近くに住んでいて、日常的に思いを汲み取ることが出来ない。それよりも、彼女としても、僕が僕の人生を全うしてほしいと思っているし、僕もそうする積もりだ。今日は清水千鶴「日々訥々」を読み返しているところだったので、千鶴さんの連れ合いが今日亡くなったというと、哲男さんのお父さん?と問い返す。「月がとっても青いから」のね、と。
定住と放浪
お粗末な思考、志向、社会性、技術、言語能力しか持たず、マトモな就職にもつかず、この入院までは医者にかからず、保険も保健も無くややロマン主義的に生きてきた。ほんやら洞、八文字屋、市の中小企業指導所等に関わったものの、外へ出て行くことはなかった。ひとしなみに旅をすることもなく、店に来る人(客)と喋り、店周辺をなんとなく撮ってきて、少しずつ写真集にし、文章も恐る恐る書いてきた。京大の総人の科研費のチームに組み込まれる1997年までずっとそうだった。どうしようもない、何時までも田舎からぽっと出のおっちゃんだ。それから、少しずつ動き始めた。
菅江真澄、宮本常一、谷川健一、柳田国男、折口信夫が好きで少しずつ齧っていた。周りには、中尾ハジメ、室謙二、中川五郎、高史明、梁民基、吉岡忍、山口文憲、ダグラス・ラミス、津野海太郎、芝生瑞和、戸井十月、中川六平さらには、北沢恒彦、鶴見俊輔、東松照明、黒木和雄、杉本秀太郎、水上勉、ウィリアム・ジョンストン、石川文洋、秋野亥左牟、小岸昭、徳永恂、中山容、片桐ユズルらがいて、話を聴きつつボンヤリ眺めてきた。
自分に相応しいひとかどの事といえば、様々な知人、旅人、インテリが出入りする拠点に腰をすえて、時々、一地点から投網を打つような写真を撮り、出入りする群像のポルトレを描く。
日記も田中正造、永井荷風、高見順、桐生悠々、清沢洌、正木ひろし、明恵上人、ポール・グッドマン(彼は日記と言わない)、竹内好、ベルトート・ブレヒト、金芝河、大岡昇平、アナイス・ニン、桑原武夫、辻邦生、スーザン・ソンタグ、有馬敲等々のを読んで来て、自分の40年分を読み返して、一味違う自分の日記をボチボチ出して行こうと1,2年思い続けて、潰れそうな店に気をとられ、ええ、ままよ!どうとでもなれ!思っている矢先に、写真、ネガ、日記、アドレス帳が40年分燃えてしまった。その間、小中陽太郎さんらに勧められて日本アジアアフリカ作家会議に、鶴見俊輔さん、秦恒平さんに勧められて日本ペンクラブの会員になるも、一度も会議、総会に出席せず、途中から会費すら全く払えなくなり、除名され、秦恒平さんを呆れさせてしまった。身動きする金にも不自由していたのも確か、確固とした仕事をしてないというコンプレックスも左右した。

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2015.8/17(月)


4:30起床。朝からどんより曇り。
清水哲男さんは、明日、鹿児島へ予定通り、帰るのかな?
9、10月の内に、清水さんの写真展を八文字屋でやれるかどうかの確認必要。来春、高田ワタリズムへの出品の有無の確認。
11月の北京展を終えて、来春の北京の商業?ギャラリー展と並行して由布院か国東展の可能性の追求の確認も必要か?京都展は?一応、ヒルゲートが気に掛けてくれているので、要チェック。病室まで鳥羽高校の活躍?早実高の去就のニュースは届かない。パスカル・ボスさんにもう一度会いたかった。彼、ディック、ヨシレイさんが発つ日。意外と同じ飛行機かも。
70歳代に開花する田舎の事業家やアーチストはいるのだろうか?それを書物にして読ませるには大小の物語の組み合わせも必要。惹きつけるにたるナラティブも。ネタが貴種流離譚であれ、放蕩息子の帰還のヴァリアントであれ、凡百の批評はさて置き、作家、アーチストとして日本中の誰かと比較ということより、本人が納得のいく優れていい仕事をしているかどうかかが問題。回りをみわたせば、いや、京都には、じつは、良い作家は多い。地方は?いっぽう、高度な情報社会なので、大向こうを睨みつつ空回りの身振りしつつも、擬態を演ずるしかないのか?それで食っている「老作家」もいるにはいるだろうが、それは、カッコたるバックボーンがあってのことだ。街角には変則派が溢れ、未知の批評家、街場のオーディエンスに「えっ!」と一度言わせたがためのコメディアン、芸人というべき「アーチスト」近道と勘違いする者はゴロゴロいる。大学教師ですら飯のためにも鷹揚に構えてことが足る?現状は、安住を許さないか。京都だけでも毎年7000人の芸大生を卒業させている。
脱線し過ぎだ。僕のことに戻ると、両親の謎、祖父母の家の謎、曽祖父母たちの謎、100年間の狭間、庄内、由布院、竹田、九重周辺の親戚たちの謎を地理に落とし込んだ物語を40年前は、大江健三郎の「万延元年のフットボール」(その後は更に『同時代ゲーム』)からインスピレーションを得てものしたいと思っていたが、現在の方がもっと違う形の面白いものが出来る。諸般の事情を鑑みて、完全にフィクションにせざるを得ないのが分かった。近代化の裏に張り付いた根こぎの物語。大分ものの原稿依頼は置いといて、70歳代に余裕があるかどうか分からないが、もしあらば、馬城(上)金山・鶴成金山と宇佐八幡及びルイス・デ・アルメイダ、フランシスコ・ザビエル関係の貴重な資料、古い地域誌(碑史というべきか)はほんやら洞で焼失してしまったが、ほんやら洞及び八文字屋ものを早く切り上げて、数年後に大分全域を歩いたりしながら、大分を他地域との交流の結節点に置き、相対化したい。大分の古代史ものももっとダイナミックに面白く扱えよう。時間が許せば、4、5日ずつ大分か山香、由布院に泊まり込みで図書館に通い詰め、火事でうやむやになっている地元紙連載話再燃に備えて、スタンバイもしなければ。都築響一さんのメールマガジンへの投稿も始めよ
退院後はもう少し元気に居れるように、八文字屋に埋没しないように心掛けよう。(八文字屋を維持するだけでも大変だ。妙な裁判に証拠焼失のためにまけたのだから)もう週末は退院だ。北京、パリ、更には、カザフスタンを展望しよう。まず、足下を固めなければ。焼け残ったノートの読み込みを少しずつ。11月までに写真集を。
そして、退院後は、歩いて歩いて歩き倒そう。5:00過ぎにもう一度寝る。退院間近で気持が昂ぶっているのをセーブしよう。
7:00ナースに起こされる。意味不明。
8:00の朝食は、野菜つみれの煮物、青菜おかか和え、味噌汁、ミルク。
9:40リハビリ。歩くには歩いたが、マトモになるには、一月掛かるか。撮る現場、書く現場、部屋の整理、飲み屋の現場、個展の準備、復帰は何れも生易しいものではない。これが近づいてくる。
11:00の体温、36.3度。血圧133-74。早実×九州学院、どっちが勝ったかな?
12:00昼ご飯。飯、さわらの西京焼き、金時豆、よお吸い物。
3:00秋田先生が、「どうですか?少し見せて下さい!昨日の処置、見たかったのですが、、、」と2、3歩、パタパタと寄って来て残念さを表現しつつ「明日も立ち会えないのです」と言いに来た。
3:40北側の風景をツーカット。
日野啓三の短い小説「向こう側」を読む。
4:00にS、ルーター持参。コーヒー、シュークリームも。7:00過ぎまでチェック。Sがいる間、外は驟雨振り捲るかと思うと、サッと雨は引き、北山の山間には低い雲が棚引いていた。この雨で、少し涼しくなったかも知れない。ルーターのある間、清水さんの写真による看病ぶりをみた。加納ちゃんは、昨日からの写真をアップしていた。退院パーティという書き込みに森まゆみさんが「ちゃんと養生してね」と記してくれていた。
6:00晩御飯。オカズは、豚ネギ塩炒め、カボチャの煮物、パイン、香の物。
4、5月は、写真展もあり、裁判の方針が定まらず、差し押さえなら、押さえてみぃという態度でも良かったけど、あまりにも、色んな物が交錯しているのが嫌になって、和解の方法を選んだ。7月から支払いだ。北京展も当初スッキリしなかった。5、6月でどっと疲れ、八の客脚も鈍った。杉本秀太郎さん死去。7月3泊4日の沖縄旅行の道を選んだ。そして、この感染症だ。初入院、鶴見俊輔さん死去。以来、8月いっぱいまで、ダウン。さあ、どう回復するか。何も出来ない間に時間だけはやけに速く過ぎて行く。
6月末から8月末まで、ポカンと空いてしまったような気分だ。何一つ進行しなかった。休養は取れるには、取れた。
八文字屋は、17、18、20日は夏休みということにした。 昼間もほかで働いているSを連日、酷使する訳にはいかない。毎年、大文字の後は、異様に混んだり、ガラガラだったりする。Sが帰ってから南木佳士の小説「重い陽光」を読む。
いきなり地雷創(マインインジャリー)を負ったクメール人の若者のなかなか切れない脚の骨を鋸で切るシーンがあり、思わず、自分の腐っていた脚の骨辺りを触っていた。
声、音がでない、でないぞ!おかしいぞ!と思う夢を3,4続けてみる。中山ラビが八文字屋に来て初めてライブをする。続々と客が来るのに歌が聞こえない、という風な。
起きて、書こうかなとおもうが、こんなのに、2,3時間費やすことはないと思い、よす。
という訳で、店に電話もしないでいいので、寝る。病院の後の数日はユックリ眠ることにする。

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2015.8/16(日)


2:45 起床。1時間ゴソゴソする。
ほんやら洞焼失から7ヶ月。(もう今年も終わりだし、来年も終わりりだ。気がつけば、75歳位、すぐなる。そうなれば、もう、ほんとう終わりだ。後は、一瀉千里の如し。水上さん、杉本さんを見て来ているので、わかる。)
昨日、あさひちゃから、「ほんやら洞、どうなったの?」と訊かれ、近くの魚屋さん「さが喜さん」から「甲斐さん、まだ、あそこの権利、あるんやで」と言われたのを思い出した。
火事から、100日間、心配する知人、今後に注目するお客さんが実に八文字屋へ来てくれたり、メールをくれたりした。
その後の100日間は、ピタッと客足は、止まった。特に、関西からは、止まり、東京圏からは、チョクチョクある。
さて、今日は、八文字屋は浅利ちゃんの日。そして、大文字の送り火の日。毎年、自分の身内の墓には参れないが、8月15、16日は、京都の墓場の周辺をウロウロしたものだ。そして、32、3年前、20年前にもう一つの大文字の送り火の行事を提案していたことも思い出す。「西山大文字」という、すっ飛ん狂なものだ。その提言を京都新聞に連載する計画すらあったのだ。あれを連載していたら、どうなっていただろう?八文字屋は潰れていたか?お盆になると、思い出すことだ。
明日は、ヨシレイさん、ディック、パスカル・ボスがヨーロッパへ発つ日。八文字屋には、サッちゃんが入ってくれる。
18日(火)、20日(木)、22日(土)のバイトなし。22日(土)は、趙博(パギやん)の「鶴見俊輔さん追悼・甲斐扶佐義快癒祈念投げ銭ライブ@八文字屋の日。
変な夢を2,3。
皆、事実でないと分かっているのに、ほんやら洞に集まっており、ここは、集まるのには良い場だなあ、と言っている。
高橋幸子さん、森まゆみさんがおり、高橋さんは、汀子さんの家に電話をしている。出ないと思っていると、いつも大仰な声を出す汀子さんが、自転車ごと突っ込んで来た。これからまた、彼女との付き合うのか、と思うと、ウンザリ。
次は、僕は、ゴーストタウンの寺町のやけに明るい空き寺を亥左牟さんと見て歩いている。
次のシーンで一乗寺恵文社のNo.3のアイジ(元ほんやら洞バイト)が突然、ゴーストの亥左牟さんと結婚するといいながら、人っ子ひとりいないお寺に入った。隣りの墓場には亥左牟さがいるようだ。アイジの50代の父親が見送っている。僕は、アイジの父親を見ているようだ。
勿論、秋野亥左牟さんは、死んで数年になる。
8:00朝食、がんもの煮物、白菜のゆかり和え、かつおおかか、味噌汁、ミルク。
体温36.3度。血圧142-84。
9:00シャワー。9:30処置(写真)左脚不使用につき弱体化著しい。明日から車椅子なし院内歩行許可降りる。
2時間居眠り。
12:00昼食。ハーブ焼き/煮、マカロニサラダ、キウイ、コンソメスープ。
ダイエーの中内功をモデルにした小説、退院後、立ち読み?
今年の送り火は、雨風の心配ないようだ。
開高健の小説「 岸辺の祭り」を読んでいるところに、13:00過ぎ、ウッチー&カオリン&ツインズが墓参り、下鴨古本市(後でFbを見ると、御手洗祭りの神事の水にも浸かったようだ)の帰りに、チョコアイスを見舞いにくれた。中川五郎さんは、まだ、今日もライブ(仕事)で京都に留まっているとのこと。
入れ違いでアドリーヌ、奈良井さんが食物を大そう持って来てくれる。退院の日程が迫ると原稿に専念てねばという思いが募るが、如何ともし難い。4:00にサッちゃんがきてくれる。Fbを見ると、アベちゃんの対米従属は何処まで行けば気がすむのかと呆れる。このままでは、そこら中に害を及ぼし、滅びるしかない。石破は前から言っているのかも知れないが、原発は、核兵器を作る為に必要なのだ、と公言している。
清水哲男さんもご両親の病院に詰めているようだ。ルパンは二日間、古本屋を休むとのこと。彼こそ、体調はOKか。
ほんやら洞全焼7ヶ月目にしてこの有様。要するに、僕は、人間関係以外の一切のものを火事で失ったのだ。この200日余りの間に100人、200人の友人に助けられた。これからは、そうも行かない。年齢のことを考えれば、余計、その感を強くする。今年に入ってから5歳から15歳上の知人が何人も亡くなった。市井三郎の「歴史にとって進歩とは何か」について考える。そういう歳なのだ。僕は、40年以上、必死に守って来たプリント、ネガ(なけなしの蓄積)、これから活用するはずだった膨大なノートを焼失した。これさえあれば、後は何を失っても良いと思っていた、そのものを失った。数年たてていた計画全て、オジャンになったのだ。それに比べれば、今回の入院1、2月なんて、どうってことない。もちろん、命あってのモノダネだ。止せばいいのに、フラストレーションに感けて、この間、あっちこっちに厳しい視線を投影したかも知れないが、寛恕願うとしよう。これから10年、20年はアッと言う間だ。
いつ飲み屋を止めるかもポイント。暗室を潰す時期も早めるべきか。
今晩は、病院から、ボンヤリ、送り火を見る。相変わらず、八女の姉も苦労しているようだ。立ち回りを聴き、笑うにわらえず。70すぎてもダンはんが家を飛び出したりするのだ。八文字屋は、大丈夫か?
明日発つヨシレイさんから二度メールがある。
明日からは、車椅子なしになる。明日は、リハビリだけ。皮肉を削り取った部分がどうしようもなく痒い。
11:00に浅利ちゃん電話。松ちゃん、公演のフライヤー持参の「劇団ローヲタルヴォガ」の座長・草壁カゲロヲは帰り、奈良井さんは居て、長岡京の三菱に居て、3月に定年退職した草葉さんは、長唄仲間を早い時間に連れて来てくれたという。
ふと魯迅と周作人の兄弟は何時から分かれて行ったのだったかと思う。
1:00就寝。

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2015.8/15(土)


2:00就寝。敗戦記念日。今回、入院して、今日でジャスト一ヶ月。
7:00起床。8:00朝食。米、和風スクランブル、ツナ和え、味噌汁、ミルク。
9:00抜糸。脚先の赤み意味不可解。元々、赤い?8月22、23日退院の車の手配を!と恋水先生に言われる。
体温計36.2度。血圧154-84。睡眠不足?
12:00昼飯。おかず、鯖のカレー竜田、ひじきの煮物、パイン、味噌汁。
兄の家はお盆というより大勢「弟子」さんが食物持参で「先生」の家で宴会という趣向らしい。1943年生まれ、東京の私学に行き、東京が一番オージーかつ活気溢れた時代の転換期にジャズ喫茶に入り浸り、そこで絵を描き始め、フーテンとアーチストとの虚実皮膜の生活から脱け出し、インド・ヨーロッパを安旅行し、千葉、札幌、鎌倉、福岡で慕って来る女達に絵を教え、替わりに養って貰い(本人はもてただけとか、絵で食ってきたとか、皿洗いをしたとかいうかもしれないが、あるいは、時には大スポンサーが付き、ずっと絵を描きつづけたり、店をやったりして生き延びて来た訳だが)、親が亡くなると(いや、男としての魅力が無くなっただけかもしれ知れないが)都会から離れ、田舎で子供と共に待つ嫁の家に戻り、父死後、長男だから、家長然と田舎暮らしをしたくとも、地域に馴染めない。そこでは長年に渡るボヘミアン生活、渡り歩いた都会の話、アート話、言わば、全てが勲章へと繋がりそうで繋がらない、スリリングなライフスタイルがいつか芽を出したいとの夢を持つ些か薹が発ったUターン、Iターン組の田舎に燻り組を一派絡げて面倒を見、若者には都会の夢、異国の夢を謳い、称揚し、煽り、面白おかしく講釈する。大学をでていれば、キャリアの辻褄合わせでもして田舎の大学の講師にありついていたかも。気がつけば、スッカリ田舎の興行師スタイルに嵌り、昔取った杵柄を活かす事も出来ず、然りとて、手放す訳にはいかない。長過ぎるジレンマだ。僕は、我が身を見るように、深く同情する。(これは、応仁の乱で都の貴族が地方に流され、地方で歌舞音曲を教えるパターンと類比出来るのかも知れない。一種の貴種流離譚好みの風土に乗ることは出来る)幼い頃に、そんな兄の思考回路を我が身の足しにした事が無いではない(いや、影響を受けたと言える)僕は辛い。(それはそれでいいのだが、魯迅、竹内好の言う意味での奴隷根性《僕が奴隷根性から脱していると言うのではない》に裏打ちされているのは頂けない。奴隷の主人も奴隷なのだ。)兄弟、親戚の紐帯も無きに等しく、後10年もすれば、甲斐家の葬式など誰も見向きもしないのは、目に見えている。兄に対しては、僕同様に最後の力を振り絞って作品集でもつくれば、同じ自転車操業でも格好がつくのに、と願う思いだ。余計な世話か。まあ、他人の心配をしている場合では、ない。
「いやあ!!甲斐さん、悪運強いなあ~、危なかったらしいじゃないのぉー」
洛北ほんやら洞助っ人軍団長(ハンバートハンバートのマネージャー?)加納ちゃんの登場だ。自身も87歳のお母さんの介護?でこれから帰宅で、夜、チャップリンに召集がかかっているらしいが、「甲斐さん、阿部さん、知っている?知らんやろうな、会っていたら、喧嘩やろうね」と言って、山下洋輔の元マネージャーで、先年亡くなった大阪の阿部登の「1969年、新宿PITINNからはじまった」(上田賢一聞き書き・K&Bパブリッシャーズ)をくれた。荒神口の法務局前の店の京クッキーもくれる。PITINN本には、1973年「ほんやら洞月曜コンサート」で歌った懐かしい名が沢山あった。クッキーには、5個、五山の絵がそれぞれ描かれていた。晩年のアベさんは、春一番で「下手な」歌も歌ったらしい。最後に山下洋輔がアベさんの人柄を偲ぶポートレイトとを記している。69年といえば、僕が検見川の兄の家に7週間転がり込んでいたころ、だ。ボチボチPITINN転がり込んだ頃だろう。すれちがいだ。初期のほんやらら洞と京大西部講堂との行き違いについては、すでに、他所で何度も書いてきたことだ。
あさひちゃんは(加藤登紀子出身の)中学の同級生の小学校の先生の岸さんと一緒にお見舞いに来てくれ美味しそうなクッキー「プレジール・シュクレ」の詰め合わせをくれる。あさひちゃんが入った日には、彼女を一目みると、モトさんは、帰るらしい。いつも「ろくでなし」で一緒だから、だ。昨夜は、石丸商店にいると、Kei_K、タケボウが来たと言う。「ほんやら洞は、更地のまま、どうなるの?」とも言う。あさひちゃんに8月10日に来八した東大教授Aさんは、女装したりするらしいよ、というと「ひぇえー!?」と喜ぶ。
5:30S、お茶、コーヒー、シュークリーム持参。
Sは1時間いる。神田さんは、昨日、デンマークから帰って来たようだ。
夕飯のオカズは、牛肉の中華炒め、スープ煮、ライチゼリー。今日は、抜糸だけなのに、疲れ、熱が出た。ということは、近い、というこやないけ!?何も出来てないのに!!という焦り?
8:00に電話した時には、由布の姉は、高熱で苦しんでおり、だいぶ心配。いざという時は兄がいるか。
11:30 就寝。
八文字屋バイトの木元さんからのメール。

お客様は、シノハラさん、草葉さん、10年前八文字屋で働いていた、フランス人?の女性とその旦那さんと子ども(お手紙預かってます)、
ダニエルから紹介されたという新規の女性の方(東京在住)、タニガワさんとお連れさん洛北組カノウさん、ウキタさん、ササキさん、だんちゃん、ナライさん でした!終始ワイワイとした楽しい夜でした*\(^o^)/*涼しいと飲みにでようとゆう気になるのでしょうか?

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2015.8/14(金)


6:00起床。
8:00食事。白米、肉豆腐、ほうれん草の和え物、味噌汁、ミルク。
8:50に、恋水先生が来て、明日、多分、部分的に抜糸。そして、来週から歩いてみましょう、と。僕としては、剥いだ個所の痛みを訴える。
9:00~9:30リハビリ。
今日は、何故か体温も血圧を10:00の段階で一度も測ってない(10:30測定、体温36.5度。血圧は、146-86。多分、ゴンコブ食べ過ぎで、血圧UP?)。10:40に身体拭き。10:55玉岩信義、見舞い。
12:00昼飯。炊き込みご飯、ほっけ塩焼き、さつま芋甘煮、オレンジ、味噌汁。
鳥羽高が、3-0で勝っているとこ、チョイ見。
3:00過ぎ、佐枝ちゃんと在田京都市教育長が見舞いに来てくれた。丹後半島の温泉、宿、レーダー基地、最近増えたアメリカ人の話、広河原の松上げの話をする。佐枝ちゃんのお土産の鼓月の饅頭を5個パクパク食べてしまった。佐枝ちゃんは「フランスの国立造形芸術センターの写真部門のキューレーター、パスカル・ボスはほんやら洞全焼と言っても、甲斐さんには未発表ネガはあるだろう、それを見たいと言っていた。このセンターが買ってくれたら、いいのにね」と言う。5:00には、八文字屋用の買い出しを終えたSが持参した大きなシュークリームも僕は食す。疲れ切った様子のSは、5:40に、洗濯物を持って帰ってくれる。
彩有里さんには、チュータローの事をメール。
18:00夕食。白米、鶏肉の生姜焼き、なすの煮物、マンゴー缶、酢の物。
僕は20代半ばからーーやっとだったのだがーー大した事もできず小賢しいことばかり覚え、大道を行くということを忘れていた。それに気づき、ほんやら洞を離れたという側面もあった。が、それだけでは、大道を歩めない。次に来るのは、不幸なことに、バブル経済期だった。
安倍は、5年間で30兆の武器を買う約束をしていて、それをも隠していたとの事。(一日一嘘)?
清水哲男さんの「吐噶喇へ」は素晴らしい本だ。次のようなメモリたくなる記述もある。
諏訪之瀬島の滑走路脇で中空をめざして軽トラのアクセルを上げ120キロで海に突っ込むところまで行ってブレーキかけて、横転しそうになり、止まり、テイク・オフしない。そして、核廃棄物の貯蔵庫を作る話が持ち上がり、「都会の夢」と「島の夢」のすれ違いを描写して、「僕はあの滑走路を思い浮かべていた、、、、「あの日バックミラーに写った滑走路にはおだやかな光があふれていた」で閉める。まさに手ざれのライターだ、清水哲男は。
「、、、海も彼の仕事の場となる。、、、彼は、、、ウミヘビ捕りの名人でもある。それを燻製にして島の特産物にしようと取り組んでる。、、、/彼はぼろぼろになってたどりついた蝶を捕る、、、標本にするためだけではない。卵をうませて孵化せて大空にかえす。代を継いで旅を続けさせてやるのだ。/まるで自分自身の旅の本能を蝶に託し、動かない自分の魂を解放するかのように。」
「台湾海峡に媽祖島という島がある。、、、海難から海の男を守るという媽祖が祀られている媽祖信仰は南九州一帯にも伝えられている、、、日本に最初に伝えられのが野間岬、、、媽祖伝説と信仰は台湾、沖縄、奄美、トカラというルートを経て九州に伝えられたはず。、、、トカラ列島には媽祖伝説信仰は存在しない、、、乙姫に姿をかえたんだ、、、女神に姿をかえて島に上陸したんだ。/、、、浦島太郎っていうのは漁師の象徴であって、、、善い行いをしておけば、、、乙姫に助けられる、、、あの物語の主人公は、、、乙姫さまだったのかもしれない。」
次のように思い出すこともある。野間岬も野母崎も海人にとってのランドマーク。野茂英雄は野母崎の出身だ。紀州の熊野も国東の熊野も神仏習合の頃、媽祖信仰から熊野信仰に代わった。九州は6,7世紀から九州と呼ばれていた。つまり、州が9ある、と。海人の認識、海からの認識だ。
居眠りしながら読んでいるので、次のように、思いは飛躍する。
僕にとって楽しい70年代でも、また、マスメディアが喧伝する70年代でも、片桐ユズルがアメリカで蓄え、その後も「輸入」し続け自分なりにアレンジした矢(思想)を撃ち尽くす場の感の呈したほんやら洞でも、中尾ハジメにとっては楽しくもあり、苦しさも一筋縄では行かない苦しい、言ってみれば、精華大学に乗り替えたほうが自分の能力を活かせた、そんな70年代のほんやら洞だっただろう。これを何処まで細かく論じるべきか。ここで書くべきではないか。ユズルにとってのほんやら洞とハジメにとってのほんやら洞は意味が全然違う。そして、僕にとってもだ。
ウチの親父は、戦争に3回(兄によれば、違う)召集され、満州からフィリピンにやられる直前に敗戦があった。僕の長兄は、いいやつ、良すぎて、本来、仏教等にさほど造詣があるわけではないのに、サービス精神が旺盛でもあり、最初に見出した絵画世界は、セクシャルであるにも関わらず、普遍性の文脈に放り込み、マンダラだのいい俗耳に入り易い説明をしてきた。それなりに仏教本に目を通し、インスピレーションも得たと思う。一般論として、俗世間(田舎)では、お寺が金やちょっとした力を持っており、中央メディアから疎外された地方在住アーチストは、勢い、寺と組もうとする。上手くすれば、地方の文化の活性化に通じる。地域社会の一員として催事に関わることは、ないが、盆ということもあって、姉は、普通に仏事をこなしているので、長兄としては、本来苦手法事も「家長」として、熟さないわけは行かず、姉と喋り、親の代の様な寺との付き合いはないが、気持ちだけは先祖を敬い、慕う形は整えている。両親の死に対して、僕は何もしてないのであれこれ言えた義理ではないのだけど、一応、物書きとして、家の歴史、地域の歴史、近代史に強烈な関心持つ者として、父親の微々たる遺品にも何某かの考える手掛かり、求めたかったが、思うように行かなかった。仕方なし。父親は、大変なメモ魔だっただけに、どのようなメモがあったのか、興味深いところだった。思い出すのだけど、少し残していてくれたら、嬉しかった。親父の兄、弟など彼らはがどうして筑豊の炭鉱に行ったのか?戦争へは行ったのかどうか、知りたかったのに訊かず仕舞いになった。親父とコミュニケーションを取れた子供はひとりとしてなかった。せめて、父のアルバムが数冊あったし、メモマニアでもあったので、想像力を働かせるヒントになったはず。死んだ時に遺品は有ったと思うが。そういう物に対して僕がきっと興味を持つはずだと、ちょっと考えれば、分かると思うのに、錯乱していたのか、何も知らせられず、処分された。現場は何事であれ、大変。話は違うが、親父もオーバーに言えばダヴィンチ的キャラで、ウッチーみたいに何でも出来る人だった。電気工事、大工、莚打、乗馬、花作り、釣り、マムシにも免疫があった。多趣味で水泳も上手く、長距離ランナーであり、短距離ランナーだった。ハーモニカの名手で、我流の変な踊りまで見せた。父の孤独は何処から来たか?何か資料が欲しかった。結局、姉が、「形見に」と父が晩年着ていたカーディガンを一つ貰っただけだった。こんなことを書いたら、どんどん父の実像から遠くなってしまう。1941年の27歳から僕の生まれる1949年45歳まで満州の戦地へ行き、帰国後、一時は、竹町の「一丸呉服店」で経理の仕事をやった事もあるはずだ。その後、九水(後、改め、九電)に入り、労働組合の旗を振っていた。家に対しては、特に、父母、祖父、祖母のことに関してはどういう内的ブロックがあるのか、子供たちにちゃんと語れなかった。祖父は、英彦山の西南、確か、廃物毀釈、西南戦争、自由民権運動でも何重にも割れた地域の落魄れ士族か寺の家の息子らしく「オイッチニ」のおじさん(?)だった模様で、明治末から大正に掛けて軍服に金モールを付けてウロウロしていたのが、これまた、幕末、明治、大正と打ち壊しが頻発した、隠れキリスタンを200年以上も抱え込んでいた節のある由布院内の日向藩の飛地の小平(おひら)の、由布院小町と呼ばれた娘のいるお寺の養子に入ったのだった。オイッチニの長男の名前は、ただ縦に一棒で、(すすむ、読んだ)。共産主義者やクリスチャンの子供にまま、「旗男」、「旗之進」という名を見かけるが、その類か?「オイッチニ」「オイッチニ」と「ススム」のか。次男の僕の父は、義雄、三男は、孝嗣となにか、ファナティックなトーンが収まっている。どういう風にしてか、両親は、矢継ぎ早に死に、結果として、両親が入れ替わる家となり、兄弟、義理の姉妹は、根こそぎにされ実家から放り出されてしまっていたようだ。父らが祖父の後妻を一緒に寺から「追い出した」というがその人の孫は、いまでは、由布院の町作りのリーダーとしては、中谷健太郎さんの後継者と聴いたことがある。とんでもない誤解もあるに違いない、話が成立するかどうかも分からないが、機会があれば、その方の立場からその家のその前後の経緯を中谷さんに仲介して頂き100数十年のその寺での葛藤を恩讐を越えて語り合いたいと思って20年になる。せめてその地域の歴史、地域性に付いてくらいは話ができるのではないだろうか。大正6年には、飢饉に際して由布院を含む大分郡では、郡代布告という形で、ブラジル、朝鮮、宮崎へ移住をすすめる政策があったのを40年前に読んだ。この時点で大分郡周辺から、大挙、筑豊の炭抗へ流入したと思える。戦後は、由布院の男達は、大抵、2,3年は自衛隊に入隊して、免許等の資格を取ってUターンしていると中谷さんに聴いた。諸々、この辺はちゃんと調査してないので、明言できない。清水哲男さんの「吐噶喇へ」や永田浩三さんの「奄美の奇跡」を読むにつけ、同時代の奄美、吐噶喇等と大分、宮崎、佐賀の寒村をつきあわせてみたい誘惑にかられる。僕は、1975年頃、僕の10歳前後、よく一緒に遊んだ同じ歳の従兄弟(父親は『すすむ』で、1959年の鞍手郡鞍手町の炭鉱の落盤事故で生埋め)が釜ケ崎で兄弟して寿司屋をやっているという噂を聞きつけて、よほど2,3月くらいほんやら洞を休んで調べようかと思いつつ、思いとどまったものだった(何回か探しに行った。その時の阿倍野から、三角公園辺りの如何にも大阪の下町らしい、気に入った写真を撮っていたのだが、とうとう発表せずに焼失した)。当時出ていた古庄ゆき子「豊後女土工一代」(ドメス出版)に引用される資料の紙背を懸命に読み取ろうとした。国の近代化のうらに張り付いた「棄民政策」を小さな地域を扱うことで。僕は、今日、九州に住む二人の兄の中に、父の面影、2,3代まえの我が家の人達の苦しみを読み込むのは、単なる妄想だろうか?
比較するのは、牽強付会の誹りを免れ難いが、京都の6,7代も名うての指物大工の清水家と九州の僻村のゴロツキ(折口信夫的な意味で)の家は100年取って見ても、所詮、土台が違うというものだ。そもそも、豊臣秀吉の時代に大友の頭がぶっ飛んでからの豊前、豊後はスッチャカメッチャカだった。領民は逃げ惑った。磯崎新さんのご先祖がいた瓜生島が別府湾に沈んだ大地震の被害も甚大なものであったはずだ。そこまで遡らず、明治維新以降の大分のまともな近代史というのは、出ているのだろうか?追求していないので、ちゃんとしたことは言えないが、僕は家の歴史を全く踏まえてないので、江戸時代からの指物大工の家の代々の当主の評判も清水哲男さんは、ちゃんと押さえているのは、歴然としている。戦中は職業革命家の心情を宿す清水家の父親の子の物語を語り、清水さんは返す刀でという訳ではないがキッチリ吐噶喇の島々に対して鋭い眼差しを向けている。土台、僕なんかとは元が違う。それにしても、40歳にして、よくぞこんなにも素晴らしい「吐噶喇へ」という著作をを残したものだ。1975年頃、片桐ユズルを頼ってポンこと山田塊也(その前は、『エメラルド色のそよ風族』と言っており、その後、東京国分寺の『ほんやら洞』の向かいで『CCC・子供大使館』という店をやっていた)がほんやら洞にきて、やや意味不明の「ヤマハの野望」というスライドショーをやったものだが、彼らが諏訪之瀬島で当時、どういう生活をしていたかも彷彿とさせた。巻末の対談も重量級だった。
読書からとんだ脱線をしてしまった。
八文字屋はさゆりさんのバイト。お客さんは、オサムラさんという初めての客、松ちゃん、篠原さん、四国の鈴木さん、琢ちゃん、Kei_K(は閉まっていて『石丸』に行く)、マサホ。琢ちゃん、チュウ太郎の死骸処理。

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2015.8/13(木)


5:00起床。
植皮手術1週間経過。
8:00食事。お粥、だしまき、おろし、野菜サラダ、ドレ入り、温奴、しょうゆ、味噌汁。
9:00体重87キロ。今日から痛み止め、薬一切なし。
体温36.9度。血圧134-64。
早稲田実業の清宮君とやら見る。
9:40リハビリに行き、肉を剥ぎ取った大腿部が収縮しているのを無理やり伸ばそうとして痛みが走り、とろーり、とろーりと冷や汗が滴り落ちてきて、卒倒しそうになる。その感じは、鹿児島に戻るのを明日に控え、沖縄から帰って来たばかりの7月8日の僕を掴まえて8月のことを話しておこうときた清水哲男さんを前にして、焼酎を一滴舐めただけでクラクラとなり、横になり、何も喋れなかった、あの倒れ方に近いものがあった。あの時も、痛かったのかも。で、やはり、薬を11:00に出して貰う。1時間眠る。
12:00昼飯。やっと、お粥からふつうの白米にしてもらえたが、不味さにかわりなし。
オカズは、豚肉の味噌漬け焼き、ブロッコリーサラダ、白桃缶、お吸物。
退院が、あと10日かそこらという事になると、店、原稿、家賃、入院費、8月末から9、10月の八文字屋でのイベント(清水哲男さんの写真展、中川五郎さんとの鶴見俊輔さん追悼講演&ライブ《これには全く未打診だが、鶴見太郎さんを呼んで話して貰う》等々)、ほんやら洞通信の再出発、八文字屋31周年記念本、北京での「路地裏の京都」展、いや、それよりもずっと気になっているのは、1月18、19日と大勢の人の仲間に手伝って貰って回収したネガたち(5月の連休中にNaoちゃんが2日掛けて整理してくれたまま)がこの夏の熱でどう変質しているか、いないかだ。
鶴見太郎さんを八文字屋に呼ぶにしても、「父、俊輔を語る」なんて月並みで僕らが頼むには失礼過ぎるものでなく、学者・鶴見太郎の著作を2、3人が読み込んで、その上で、鶴見太郎論をやり、その作品にこういう風に父の影響を見たという高尚な論述する、そんな会にしたい。そこで、中川五郎さんが鶴見俊輔さんの詩に曲を付けたものと「中川五郎にとって鶴見は?」というような歌も披瀝して貰いたい。高田渡を歌ったように、或いは「一台のリヤカーが……」のような歌を。
ところで、さて、太郎作品4、5点を誰によみこんで貰うか?
ディックは太郎さんと松尾研究室で一緒で、研究会も持続しているので、ディックに、「俊輔、和子、太郎」論をやって貰う余裕がある有るかも打診せねば(この12月、1月阪大に集中講義に来る折りというのは、早過ぎるか?)。
井上章一さんなら建築史やプロレス話でなく、斜に構えた事しか喋らないだろうが、何時もの井上章一節でなく、鶴見俊輔著作の中でどの3点を本当のところ推薦するか喋って貰うのもいいかも。故人となった那須正尚や藤本敏夫ら鶴見俊輔さんの同志社の新聞学科のゼミ生がFIWC、奈良の大倭アジサイ邑に交流の家を作り、そこの飯河四郎さん&梨貴さんはほんやら洞とも交流があり、稲葉真以ちゃんもこの縁で韓国へ行ったのだった。その辺で、なにをどう組むか。矢崎泰久さんもだ。60年代初期の大阪労音もかれらの仲間たちが、ジョーン・バエズ来日の頃まで中心的メンバーだったはずだ。大倭印刷の矢部基晴さんは元気だろうか?息子・娘のヤベッチ、妹の写真家はどうなったのだうか?
HATAOは、八文字屋で、数人で杉本秀太郎を偲ぶ会をやりたいと言っていたな。一周忌かな?
これと並行して、八文字屋の月、火、木のバイトを早急に決めなければ。
8月17日は、ディック、芳礼さんの出発の日だ。
15:45形成外科主任の西野健一先生、秋田先生、他2人があと10日位ですね、と伝えに来る。退院後の脚の快復の程度は如何許りか?11年前から、手足の筋力が急速に衰え始めた。7年前には、30歳の女性より歩くスピードがおそくなった。2、3週間あとは、どうか?体重は、10キロおちた。
今日の八文字屋バイトはいるのか?千佳ちゃんに打診したが、ダメで、さっちゃんが入る事になった。その後、オイタさんが入ってもいいよ!とTelくれたが、さっちゃんで通した。
今年の5、6月時点の心づもりでは、今日位に珍しく盆に兄姉の所に帰り、そのあと、大分から鹿児島まで、チャリで行き、途中、高鍋の詩人・(元北白川バプティスト教会の)牧師の横川澄夫さんに会えて、天文館で清水さんと飲めれば、最高と楽しみにしていた。という訳で、今、清水哲男さんの「吐噶喇へ 都会の夢・島の夢」(再海社)を読み始めた。ウッチーが入院と同時に貸してくれた本だ。
5:00にSが来てくれ、ルーター30分OK?交信も同様と思いきや、今晩は、ルーターを僕に預けるとの事。
晩ご飯は、白米、サーモンステーキ、ジャーマンポテト、キウイ、香の物。
退院後、店の経営(イベントも必要)を考え、海外展もこなし、これまで以上に社会問題(運動)にコミットしながら、長年の宿題を片付け、ネガ整理に分け行くとした2016,2017年は、それ一色かな?
2026年まで、生きていたとしても、身動き取れない。
八文字屋には、やはり、ねずみの腐乱死体が2ヶ所あると報告。僕が動けたら、片付けるのだが。今晩、オイタさんも嫌がったみたい。そりゃ、そうだろ。

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2015.8/12(水)


植皮手術から6日目。皮を剥がれた大腿部は傷口が萎縮しそうなのを逆に引っ張っているので、引き攣る痛み、残存。
日付が変わってから、SにTel。出ない。賑わっているのなら良いが。
1:00就寝。4:20起床。これが自宅だったら、早朝散歩後、お茶でも飲んで、読み掛けの本をめくる。ここ、病室では、散歩にも出れず、本を読むのに、ライトをつけるも憚れる。何時の間にか寝て、ルーターが来るのが遅い!なんて夢。多分、2週間内に退院。
8:00朝食。お粥、焼魚(さわら)、青菜の柔らか煮、味噌汁。
9:00体温36.3。血圧130-63。
体温測りに来た看護師にカメラを買い変えたいのだけど、やはり、ニコンですか?と相談されるが、全然、分からない。「今、ソニーを使っているのですが、ズームが」と。僕としても、ボチボチ営業にかかる時だ。それにしては、まだほとんど何も喋ってない。秋田先生以外とは。秋田先生はHpを見て「素敵な生き方じゃない!?」と、この時代、大人がこんな感染症に罹り、こんなになるまで如何して放って置くのだろうと誰しもが疑問に思うときに、まず、先生はHpで探っていたのだ。
僕がもう20~30歳若くて、八文字屋が(かつて、呼ばれていた)カサブランカ八文字屋だったなら、「路地裏の京都」なり「八文字屋の美女」なりを見せれば、何人かの看護師が覗き、ひとり位2、3年間常連さんになり、誰か良い男客と一緒になることはあり得ただろう。じっさい、20年前には、不適当な関係の看護師が如何にも遊び人風情の医師と一緒に、2ヶ月に一度位、半年から一年位通っていたものだ。府医大の看護学校の2、3人は20年前まで11:00の門限に遅れて、八文字屋で朝までいるケースが20年前まであったのだが。
水村早苗×小森陽一「谷崎没後50年ーー『細雪』に見る昭和」読む。時代、世相を見る目がいいのだと。
昼飯。お粥、蒸し鶏レモン醤油和え、ボイルサラダ、ノンオイル焙煎ごま、オニオンポテト、フルーツ。
12:35S、ルーター持参して、直ぐ、どこかに消える。
1:00Vak(弁当箱)取り替え。恋水先生、秋田先生二人の処置。来週土曜日(8月22日)退院というラインが見えて来た。2:40~3:20リハビリと言っていたのが、20分早まった。3:30から身体拭き。
4:30Sが、シュークリームを持って再度寄り、郵便局に行って貰い、洗濯物も持って帰って貰う。
また、無為に終わりがちな過ごしにくい(?辛い?)夜が来た。今日で入院4週か。
かねてより感服している辻原登の新連載「籠の鸚鵡」(『新潮』9月号)をつい読む。導入から手練れの作家によるバー未亡人ママのエロ手紙が町役場の出納長を誑し落とし、汚職事件へと発展が予想される一回目。こんなのに、毎月、付き合えるか。でも、上手いもんだ。
同じ「新潮」にやはり、連載1回目の松家仁之の「光の犬」があり、読んだが、次号は読まないだろう。
同じ「新潮」の川本直「ノーマン・メイラーふたたび」を読む。おもしろかった。僕も、大半の著作を齧ってきたが、どれも最後まで、読み通せなかった。大江健三郎、石原慎太郎の二人に影響を与えた作家というのは、面白い。翻訳していたのは、山西英一というトロッキストであった。メイラーは最初にヒップスターいう言葉を使った作家でなかったか?2006年に死んだが、避妊もマスターべーションも認めない立場で、何度も結婚をして9人子供がいて、慰謝料に追われ幾ら稼いでも追いつかなかった。今、彼の生涯が息子たちの手によって映画化されようとしているらしい。鶴見さんより、一歳若い。僕も気になって60年代は幾つか読んでいたのが、1970年のケイト・ミレットの批判で尻込みしたというちょっと恥ずかしい思い出もある。読書どころでないと周期的に反省していたというのが、事実だが。ポール・グッドマンが「不条理に育つ」を出版した年は、ノーマン・メイラーとグッドマンは人気を二分したのではなかったか。グッドマンよりメイラーは12歳若い。グッドマンは一貫してメイラーを無視していたのではなかったか?「夜の軍隊」はそのうち僕は再読するかも。ヴィレッジ・ヴォイスはノーマン・メイラー創刊とは知らなかった。
7月15日裁判の金を振込んだのは、出町の中信ではなく、前日、家に帰る元気もなく、ゆうクリニックに行くのに余裕がなく、朝10:00に西院の駅でSと待ち合わせ前に慌てて四条河原町の銀行だったのをやっと思い出した。今月も明後日まで振り込まねばならないのに、振込み先口座がまだ分かっていない。入院のドサクサがあったので、先月の領収書も出て来ない。病院から一歩も出ていないので、荷物の中にあるか、Sに渡したものの中に入っているはずだ。先方のA弁護士にメール。
Vakがほとんど膿を吸出しなくなった。後は、肉を刺激し、盛り上がらせるだけでいいのか?看護師に訊いても要領を得ない。多分、それで良いのだろう、ひとり納得する。
11:40に連チャンで疲れているはずの浅利ちゃんに早く閉めてねと言うつもりでTel。「丁度、アマ君(息子)が来たとこ、代わるわ」と言って代わる。退院予想を言うと「意外と早いなあ」と言う。浅利ちゃんは、「店には、昨夜来た数人連れのイギリス人がまだ来るかも知れない」と言うのでもう早く閉めてねと念を押す。倒れられたら、大変。「脚、如何?」と言うので「脚より、喉がアカン、手術のたび、全身麻酔で酸素吸入器を突っ込まれ、喉がいがらっぽくてよくない」というと「嘘!言っている事、ハッキリ分かるよ!また、突っ込んで貰った方が良いかも」と言って、浅利ちゃんが笑う。客は、草葉さん(浅利ちゃんにもご馳走)、奈良井さん、川㟢さん、ウッチー&カオリン、モトさん、フランスの新聞を見て来たという夫婦、ヨ氏、百ちゃんもきたようだ。付き出しは、Sが作った「もやしときゅうりと豆苗のナムル」「胡瓜とジャコとワカメの酢の物」。
清水哲男さんはウッチー(清水家のホーム・ドクター)&カオリンと飲んだらしいが、甲斐なしの八文字屋行き甲斐なしと、帰ったとか。
少し原稿を書いて、2:00就寝。

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2015.8/11(火)


7:00起床。朝食は、お粥、卵炒め、味噌汁、マンゴー、白ヨーグルト、プラス、琢ちゃんのちりめん山椒。
9:00に恋水先生、秋田先生が来て、今日は、処置なし宣言。
10:00体温37.0度。血圧140-94。何れも睡眠不足のせい。
11:00身体拭き。
12:00昼食。お粥、鶏の照り焼きき、ボイルサラダ、和風ドレごま醤油、小芋の煮ころがし、浸し。
1:30事務方より、7月分の請求(8月30日まで納入)
リハビリは、PM2:40~3:20。
4:00前にS、お茶。コーヒー、シュークリーム持参。
「鶴見俊輔さんの思い出」間に合わず。新幹線で岐阜羽島通過中の五郎さんから、メール。「今日は、前哨戦ということで、今度、僕も鶴見さんの歌を作ってくるので、改めて一緒にやりましょう」
八文字屋は、6:00にSがオープン。浅利ちゃんも20:00に加わる。佐々木米市さんが、僕の不十分な「鶴見俊輔さんの思い出」をコピーして配ってくれる。
お客さんは、三上さん、鹿さん、モトさん、琢ちゃん、加納君紹介の4人、R子さん、東京の内海信彦さんの友人(『地図のない京都』『ほんやら洞日乗』を買う)、サカイセンイチロウさん他。
今日で京都は、連続12日目の猛暑日とのこと。
晩ご飯。お粥、鮭の塩焼き、すき焼き風煮物、和風サラダ、フルーツ(りんごふた切れ)
大泉黒石には、島尾敏雄、竹内好、由良君美が関心を持っていたという。八文字屋にも、大泉黒石全集は、27~8年前から、2~3冊埋もれてあるはず。武林無双庵、辻潤の本等と固まってるあるはず。でも、夢野久作全集も全巻あったのが、いまでは、1巻だけになっているもんな。
北京のH・Wからメール。代わり、日本文化会館の会場を見て、ディレクターとも話をつけてきた。この「路地裏の京都」展の解説(解題)をH・Wが書くと言ってくれる。ここは20点でいきましょう。そして、今回は次の商業ギャラリーにあたりをつけましょう、と。来年、売るためだ。入院中、「杜牧詩選」(岩波文庫)も読みたい。松浦寿輝じゃないけど、「エラスムス=トマス・モア往復書簡」(岩波文庫)も中国関係なしに読みたい。中国に関しては、渡辺浩平先生に相談するか。
両親、祖父母の墓参りを今年こそしようと年頭には思っていたが、今年もできず。九州には4人兄姉がいるが、誰もが逼迫しているのは、解っている。いやいや、大変な時代になったものだ。もっとも、甲斐家は、数代にわたって、そのようだ。何かが、問題の根底にあるのだろう。せめて、盆だけは、殊勝な気分になるのは、歳のせいかな?
「すばる」には、橋本治の連載「日本ーー性のタブーのない文化」(最終回)があり、相変わらず面白い。「葉隠」の山本常朝の「恋の至極は、忍苦」、女相手の恋はめんどうくさい、和歌の詠めない男達、女から男、和歌的日本語の限界、下品を志向する文学、等の見出しの下に日本史を縦横に駆け巡り、同性愛、性のタブーのない日本文化について見事に書きちらしている。近々一冊になるでしょう。また、立ち読み本が増えそう。
今日は、コピペでチョンボをやらかし、原稿の6割以上消したので、この不調を極めるiPadでは、慌てている場合、手間取っても、コピペをやらず、ゆっくり進まねば。いや、1年くらい後には、ノートパソコンととり組もう。
明日は、吸盤(VAK)の取り替え日。

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2015.8/10(月)


6:00起こされる。その前は、階段を踏み外す夢を見る。夢では、八文字屋の後ろには、整然とべたべたとポスターが貼られていたが、イマイチ気に入らず。体温、36.8度。
8:00食事。お粥、卵と野菜煮物、味噌汁、バナナ、のり佃煮、白ヨーグルト。
9:00体温36.7度。血圧は、131-73。
10:00抗生剤投与。スムーズにいかず。途中で漏れはじめ、2時間かかる。植皮手術の時の点滴がいい加減だったのだろう。(全身麻酔のときに管を突っ込まれた後遺症?まだあり)採血用の針なので、30分じっとしていて下さい!と言われる。変な姿勢では文庫(マルテの手記)が片腕で済むか、ハードカバー(開高健『岸辺の祭り』)がいいか?暇潰しにどちらも捲る。
誰かからメールが入ったようだが、自分のガラケーのメールの見方も僕は何も知らない。
12:00昼飯。お粥、豆腐の薄くず煮、煮物(白菜)、南瓜煮物、フルーツ(りんご二切れ)。
トイレ使えず、談話室に行くと、鳥羽高校の試合をTVで放映中で、見ていると四国中央市の鈴木さんが見舞いに来てくれる。大きなメロンを頂く。直ぐにかえったので、鳥羽高校の試合の続きを見に行き、5対1になる8回を見る。
14:00リハビリの先生が病室に来ると、再度、確認しても、そう言ったが、やはり来ず、3:00前に慌てて、8Fリハビリ室へ急行。皮剥ぎが気になり、軽くしかやらず。
5:00前にSがお茶、コーヒー、シュークリームの差し入れにきてくれる。40分ルーター有効。6:00~明日16:30のあいだ不能。
夕飯は、赤。魚の煮付け、炒り豆腐煮物、ポテトサラダ、味噌汁。
6:00に秋田先生、やっと手がすき、「擦過傷」部分を洗い、ガーゼを着け変えてくれる。「後、3,4日で痛みが治ってくるでしょう。植皮した部分もほぼ同じペースになるはずとも。手術したどちらの部位も小さな怪我に弱い。用心して下さい。長時間歩かないで、歩いては、休み、休んでは歩く生活を!」とのこと。
大石芳野の「コレクション 戦争と文学 2『ベトナム戦争』月報 11」の中の「『ベトナム戦争』の戦後」を読む。彼女の年季のほどを知る。9:00には消灯、それまでにと手当たり次第によむ。短いとはいえ、また金井美恵子に引っかかり、「『こどくの賛歌』あるいは、カストロの尻」を読む。アメリカとキューバの国交回復まで絡むか?金井美恵子は、、、と引っ掛かったが、、。
10:00点滴。「これが《この手術に関わる》最後の点滴です」と告げられて、嬉しくなる。
少し原稿を書いていたら、眠れなくなる。2:15だ、寝よう。
すると、擦過傷の周辺の一部が、痛み、痛みから痒みに変わろうとする。ここまで来れば、しめたものか!?
今晩は、入院以来、初めて至福の数時間を過ごせた。バリケードの中の大衆団交での鶴見さんのチョムスキーやキケロへの言及シーンを記述するまでには、至らなかったが、その辺りを如何に書くかあれこれ思案し、おまけに最後まで行けなかったが、四方田犬彦の「大泉黒石と表現主義の見果てぬ夢ーー幻の溝口健二『血と霊』の挫折」(新潮9月号)という巻置くを能わずの大泉黒石ワールド(1923年に若き日の溝口健二監督して売出し中の異色作家・大泉がホフマンの『マドモアゼル・ド・スキュデリー』を換骨奪胎した小説『血と霊』の表現主義映画化されたが、関東大震災で焼失したのを再現させるというプロジェクトが2,3年前にあったらしい。それを梃子に大泉黒石の独自性を分析)を堪能出来るとは、快癒の予兆と共に無情の喜びの数時間だった。お陰で不眠気味。四方田犬彦は、夢野久作と大泉との比較を示唆する一方、カンディンスキー世界と大泉の類似性にも触れる。1917,8年頃の映画の世界、日本の表現主義の映画状況、ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」にも立ち会った前衛画家・柳瀬正夢が編集顧問だったり、川上音二郎一座の生き残りの俳優を主演に起用等、当時でも話題性満点だった。監督に昇進したばかりの溝口を監督に起用するアナーキーな若者の情熱支持したようだ。森鷗外自身もホフマンに関心をいだいて弟と「語らって」なした邦訳「玉を懐いて罪あり」をものしていたり、松竹から多くの人材を引き抜いた隅田川ほとりの向島日活撮影所は、杉山茂丸(夢野久作の父)の所有地だったたして活況を呈していた様子も紹介。
安富さん、マスコミのマキさんとくる。
八文字屋にはボランティアのあさひちゃんが入ってくれ、客には、圭一郎君、史君、モトさん、安富さん、牧教授、奈良井さん、あっちゃん、段ちゃん、秋元君。

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2015.8/9(日)


熱は、36.9度。血圧149-86。
8:00朝飯。お粥、炒り卵、ツナサラダ、フレンチドレッシング、味噌汁。
古井由吉と12歳しか違わないことに、愕然とする。人生残り、後、僅か。
10:00点滴。
12:00昼飯。お粥、照り煮、野菜ソテー、ポテトサラダ、フルーツ缶。
海人彦からスタンプが送られて来た。日向太から「回復、早いのやね」というメールあり。姉は、相変わらず、暑い中、草毟り。日向太、海人彦が見舞いに来ないのを気にやむ。
1:30ディックさんが山端の双鳩堂のおはぎ等6品お土産に持参。直ぐに一人で食う。8月15日の京北町の盆の行事を済ませ、大文字の送り火を見て帰る。鶴見さんの死後の太郎君の発表もしっかりしていたと言う。バート君は(大分まで足を伸ばしたようだが)一度、鞍馬の奥で迷ったらしい。ディックさんが、まだまだやと言いつつも頼もしそう。10月もちょっと来日するが、佐賀の鍋島という酒屋と福島の酒造組合に呼ばれて来るが、京都に寄れない。12月と1月に大阪大学に集中講義に来る時には会おう!今年前半は凶事?ばかりだったが、挽回するよ!と言う。
ディックさんと入れ違いにサッちゃんが来る。
サッちゃんの後、琢ちゃん、マキコさん、八太君くる。川端二条の加藤順のちりめん山椒を貰う。
夕飯は、お粥、さわらの照焼き、炒め煮、玉葱と麩の味噌汁。
8:00の体温は、36.8度。
メールは、今日から、ルーターがなくて出来ず。
先日から、今日、見舞いに行くつもりと人伝てに前ぶれのあった八文字屋客の見舞い客、音沙汰なし。
高橋源一郎×瀬戸内寂聴「言葉の危機に抗って」(群像9月号)はすっと読む。
中島岳志×浜崎洋介「福田恒存と読む、戦争、戦後」(すばる9月号」は妙なものを読まされた気分。
角田光代×芳川泰久 往復書簡 (『失われた時を求めて』一冊本を巡って)仕事人、角田光代本領発揮10:30点滴。
1:00就寝。
バイトは、浅利ちゃんだが、遅れ、Sがカバー。浅利ちゃんは2:00までやってくれる。山形君、片山茂樹さん、舌癌の男、鹿さん、小中高と同じだったという坪井秀文(剣道部だったとは、知らなかった)、四国中央市の鈴木さん、R大学のSさん、鹿さんがいて、奈良井さんは、後ろで爆睡していたらしい。遅く、野島君、曽和ちゃんらを連れて山田拓弘さんら、浴衣R子さん、冨樫が来たりした。

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2015.8/8(土)


6:00体温は、36.5度。
朝飯は、お粥、青菜の煮浸し、味噌汁、みかん缶、白ヨーグルト。
8:30体温は、37.2度。血圧149-86。
10:30処置。後、点滴。
昼飯、お粥、蒸し鶏のおろしあん、豆腐サラダ、和風ごま醤油ドレッシング、ソテー、ジョア。2:00過ぎに、Sがコーヒー、シュークリームと緑茶の差し入れ。
「又吉直樹から芥川龍之介への手紙」
「島田雅彦×羽田圭介『天然ボケのユーモア』」
「川上弘美×又吉直樹『漫才と小説の近さ』」
「堀江敏幸『二ダースのうずらを巡って』」
「中森明夫『又吉直樹論・又吉直樹の宿命』」
「加藤典洋『死が死として集まる。そういう場所』」
等を読む。
俊ちゃんが、各種ジュース、瓶詰佃煮等と共に次の3冊の本を差し入れてくれた。
戦争×文学 現代篇 泥「ベトナム戦争」(集英社 解説 奥泉光)
想田和弘「熱狂なきファシズム」(河出書房新社)
岩波書店編集部編「私の『戦後70年談話』
段ちゃんはリルケの「マルテの手記」を貸してくれた。
夕飯は、お粥に鮭のムニエル、なすの煮付け、味噌汁、浅漬け。
8:00前に恋水先生が来て、剥がした部分のケア。明日は、何もしないでいいだろう、と。
林京子さんの「もういいかーい」では、のっけから、北澤恒彦・秦恒平さんのお母さんの次の歌が出てくる。

十字架に流したまいし血しぶきの/一滴を浴びて生きたかりしに

林京子という作家も家出話等を読むと、なかなか因果な生活を送っているようだ。
加藤典洋の「死が死として集まる。そういう場所」という1945年筆、46年発表の柳田国男の「先祖の話」を手掛かりに、マッチョな同窓会文化を基盤とした英霊の物語を超克術を二点の留保条件付きで提示する。
堀江敏幸さんの「2ダースのうずらを巡って」は、日々の言葉のふるまいの劣化の事例を幾つもあげて、それにどう対処すべきかを、高尚なレトリックのもとに、論じ、「蛮行を脇で見ていながら黙り込む偽りからも遠い、人としてごくまっとうな呼吸、、、に必要な酸素を、秘密裏に処理される重いボンベの中に閉じ込めてはならない。これは特定の個人や集団に対する批判ではなく、むしろ自分自身の息継ぎのしかたを絶えず見直せという自戒である。個の力は小さい。しかし沈黙をもふくむ正しい言葉の運用によって、これから来る人々の、これから来る言葉のまわりに、『暗い胸のなかにひとつの小さい休閑地』がひとつでも多く見出されならば、それはやがて大きな空地になって、使用済みではない言葉を溜めておく貴重な空間へと育っていくだろう」と言う。埴谷雄高の本籍地と島尾敏雄の実家のオーバーラップについての指摘もある。
8.11の追悼ライブに向けて、鶴見さんの事を書く時間ない。ウッチー&カオリンの海辺のライブの動画あり。生憎、病室なので、音を出せない。
夜10:30点滴。消灯時間が9:00なのが辛い。ジュースをたっぷり飲む。八文字屋には、俊子さんが娘と娘友達を連れて行ってくれたようだ。
八文字屋には、俊ちゃん&娘さん&ボーイフレンド、百ちゃん、いずみさん、奈良井さん&田中君。

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2015.8/7(金)


夢の話。去年、あったままのほんやら洞でコリーヌ・アトランさん(村上春樹、平野啓一郎、山本周五郎の仏訳者)とあったことのない頭の禿げた男友達、彼女の小さな子供とほんやら洞に座って喋っている。
あれ、もうないのにと不思議に思い、2階に上がるが元のままだ、今座って場所も瓦解するやも知れず、コリーヌをここで巻き添えにするわけはいかない、と思って、外に出ると、立命館の学生、郷田君(現西陣ほんやら洞)に会う。
「郷田、ほんやら洞、あるじゃないか」というと奴は、怪訝な顔をする。振り返ると、ちゃんとほんやら洞はある。先ほどまで大分市の三田(何処か知らない)という漁師町の網元の家を後ろから、前から撮っていたが、暗すぎて写らなかった。また、来ようと思って、この場所は何処か判る人をつかまえ確認しようとするが、誰も居い。
その後、コリーヌ等と川べりを歩いた。山香の立石みたいでもあり、杵築の八坂川でもあるが、根際に御土居がある。御土居の説明をするが、コリーヌは興味を示さない。
此処は、「数十年前の御土居」(ということは、江戸時代?)と言ってもコリーヌ、ピンとこず、「甲斐さん、岩波文庫、星一つ30円?スミレ文庫、一冊7円よ」といって、とにかく、この(禿げた)男と娘は気が合ってというと男と娘は川に入っていく。鴨川なのに、凄く雄大。「危ないよ!何処に流されるか、判らないよ」と言うとみるみるうちに、二人は、流されていく。三田の網元の屋敷に近づくか?
そう思って、目を覚ますと言う荒唐無稽な夢を見ていた。
痛み止めを二回飛ばすが、やや痛いので、夜は飲む。兄が山香に行った事、姉から聴く。僕の地盤でもあるので、「ほんやら洞日乗」を運んでくれれば良いのに、気が向かないだろう。
バイトは、さゆりさん。付き出しは、Sの作ったししとうのおかか和え、トマトとタマネギとエリンギのマリネ。客は、段ちゃん、琢ちゃん、石原君(国民健康保険課に移ったらしい)、奈良井さん、20年前に来店した糸乗さんの友人。松成さんというお客さんから、8月11日のライブについて教えろという電話があったと言う。

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2015.8/6(木)


7:00起床。
8:30に恋水先生が変わりないですか?予定通りに行きましょうね、と言う。
9:00まで、OS-1を1000cc飲む。
体重は、88キロ。姉に電話。オモロ兄姉の事を聞く。熱中症の八女姉は、ウソかマコトか、チャリで病院通い、毎日MR取りと笑わせてくれる。皆、必死に生きているのは判るが、笑わせもする。大変だ。
10:30体温36.7度。血圧151-95。
永澄さん、見舞いメール。
甲子園、鳥羽のキャップテンの宣誓、談話室でチョイ見。
11:30に顔を出したあーす(玉岩信義)に、「思ったより、元気じゃん!と残念( ?)がられる。「ルパンは、重症と言っていたのに」
ハードスケジュールのSは昼過ぎにきてくれ、書類チェック。「今朝6:00起きで、浅利ちゃん、チーちゃんは、甲子園の開会式に行くと言っていた」とのこと。
手術室入りは、1:40。入る恰好をSが撮る。手術が終わるまで、Sに時間を潰して貰う。
部屋に戻ったのは、6:00前。喉に酸素吸入の管を突っ込んでいたので、喉がイガラッポい。植皮手術に使った(皮が剥がされた)部分、サンドペーパーで思いきり擦ったみたいにヒリヒリする。大規模な擦過傷。まだ飲み食いも出来ないし、喋る元気もないので、Sには帰って貰う。全然眠れないが、安静に!といわれ、iPadもいじれず、1時間おきに目を覚ます。6:00プッチンプリン二個食う。
明子さんは大丈夫だったか?お客さんは、後で分かる。修復師の若林さん、佐々木佳奈さん、モトさん、シンボウさん。
8:00朝食。お粥、味噌汁、豆腐の蟹あんかけ、フルーツ(バナナ)、点滴、体温37.2、血圧131-74。先生のチェック、尿管外し、身体拭き、10:45に部屋に戻る。
直ぐに浮田潤さんに入院先は、形成外科、とSにメールして貰う。Sが来るまで、Fb使えず。術後、体力なし。
出来るだけ痛み止薬を飲まないように心がける。12:00昼飯、お粥、フルーツ、豆腐ピーナッツソースかけ、ジャコと白菜煮、野菜炒め。
久しぶりに尿瓶に小便。
外では、「戦争法案」の共産党のラウドスピーカーの音が聞こえる。まだ喉のイガラッポさ残る。
稲山さん&Tamotsuさんの見舞い。ビックコミックオリジナル8月30日号貰う。Tamotsuさんが、1967年に鶴見俊輔さんを交通費だけで、講演して貰ったというはなし。鶴見さんに何故、日本に帰って来たのか、聞きそびれたとも。
昨日の京都新聞で「中川五郎の鶴見俊輔さん追悼ライブ@八文字屋」の記事が出たとのこと。今日の読売の社説及び中曽根の寄稿文が良いとの噂。

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2015.8/5(水)


5:00起床。
もう一日吸盤を付けておれば、赤みはほぼ抜けるが吸盤は今日外れていくことになる。手術室のスケジュールと折り合いを付けるためだから、仕方ない。
7:00採血。
8:00前に、食事。お粥、馬鈴薯の卵炒め、味噌汁、白ヨーグルト。
朝刊届く。8:30痛み止め。
10:20リハビリ。
11:00処置を控え、シャワー。
11:00体温は、36.0度。血圧131-84。シャワー前、小樽のHATAOから、経過を案じる電話。
吸盤は1日外す。明日、麻酔の下、13:00から2時間予定の自分の脚の皮肉(ひにく、ですよ)を剥がして傷口患部に移植。その後、Vak(バキュームナンチャラ)を今度は圧着(密着)に装填して、今度は、数日安静気味。剥がした患部の方がかなり痛いらしい(でも、僕は痛みには耐えられる)。4~5日動かず、その後、おもむろにリハビリ再開。最速2週間で退院。部分的失敗で、数日、大きな失敗で、さらに、再手術でもう2~3週間入院。
昼飯は、お粥、野菜いため、蒸し茄子田楽、ポン酢和え(錦糸卵)、フルーツ(キウイふた切れ)。
2:00先生の家族(誰もなし、代わりにS)への明日の手術説明と諾否とり。2Fの麻酔科の「術前外来」に説明を聴きに行くのにも、Sは付き合う。なんだか、いっぱい書類を貰う。
夕食を6:00に食べたら、後は、手術が終わるまで絶食。明日7:00以降に、OS-1というのを2本飲めと言う。
Sの仕事の件で優太郎さん(は深夜、応答あり)、アーニャにメール。アーニャにも新八田情報なし。
八女の貧乏姉兄より連絡あり。
マサホより、8月16日マサホの朝粥会で、俊輔さんを偲ぶ会をやるとのメール。
もっと大胆な追悼会をやる奴は居ないかと思って、Fbに次の書き込みをする。
鈴木マサホさんから、次のようなメールが届いた。

「吉田文化サロン特別企画「朝粥の会―朝粥食べながらお喋り会」
「戦後70年目の夏 鶴見俊輔先生を偲んで」
◎8月16日(日)午前9時―10 時30分
◎話題提供 鈴木正穂
◎会場「カルチャーガーデン吉田の森」(鈴木マサホ事務所一階)
◎参加費(朝粥代)300円
なお準備の都合上8月13日までに 参加ご希望の方はご連絡ください。」

鶴見俊輔さんは、小さな会が好きだったので、地域の老人、選挙の支持者を集めて、「反戦の誓いを新たにする」会は、鶴見俊輔さんに相応しいかもしれない。が、一方、鶴見俊輔は、自分でも言っているように悪人で、マーク・セルダンやバーチェットや鶴見さんの独力でないにしても、ジェーン・フォンダを呼んだり、宝ヶ池で国際会議をやったり、恩師ライシャワー大使が同志社に来るのに反対デモを仕掛けたり、大向こうを唸らせた様な事を数々やってきた。国境を越えての反戦の大きなウネリを生み出すの素(酵母菌)を植えて回った。そんな鶴見さんが笑い転げて天国から転げ落ちて来るような奇妙奇天烈な企画が出来ないものか。アマノウズメのストリップショー?とか、誰かやりませんか?
小田実さんの場合は、追悼デモをやった。
マサホが、全野党をひっくるめて、鶴見さん追悼の反安倍デモの指揮を執るのもいいかも(まあ、ありえないか!)。アクティブケイの山本恵さんの出番はない?円山野外音楽堂で一発、どう?今だったら、結構面白い取り合わせになりうる。
八文字屋では、ベ平連、思想の科学の人脈とは、あんまり縁のないお客さんによる「鶴見俊輔追悼」本を来春までに出したい。
八文字屋には、Sがいる11:00までには、鹿さん、ボトル入れの奈良井さん、R大学のSさん、ボトル入れの川嵜さん、オイタさん、太っ腹払いのチーちゃん、R子さんがいたと言う。その後、ウッチー&カオリン、百ちゃん。

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2015.8/4(火)


7:00起床。昨夜から、車椅子なしでトイレ。体温36.6度。手先、やや痺れの感覚で目覚め。
共同通信の文芸担当記者、小山鉄郎さんが師と慕っていた出口裕弘さん(1970年から一橋の教授だが)が一昨日亡くなった。数年前に「出町柳の桜の回廊へ案内する」と言っていたのを思い出す。
8:00朝飯、お粥、ふわふわ卵、ソテー、赤だし、フルーツ缶。
8:30、体温は、37.0度血圧146-78。
9:00処置。
今朝の傷口。やや狭くなった。もう一週間すれば、もう少し小さくなり、中の白いチョボチョボが消えて植皮手術には理想的。が、麻酔下の手術は明後日にやる。傷口が大きいので、自然治癒で塞がることはないらしい。ほっとけば、それなりにゴワゴワになり、固まるが、歳いったら、膝を曲げ難くなるかも知れないとのこと。この白の点々は少し気になるが、擦り取るか、取れなくとも、いずれ、癒えるかと恋水先生。ともかく、明後日、手術。よほど、緊急手術患者が飛び込んで来ない限り。明日、2:00にS立ち合いの下に恋水先生の手術の説明と麻酔の先生の説明も聞くことになった。
10:20リハビリ。
若干疲れる。12:00に昼食(お粥、煮浸し、白身魚のグリル、春雨サラダ、和風ゴマ醤油ドレP、煮浸し)の煮浸しを食べようとして、入院後、初めて気分が悪くなり、30秒横になり、回復。いつもと違ったのは、脚を高く上げるために隆起させたベッドの上に座り、腰の位置がやや高かったくらいのもの。吸着器のコードを一応1分外した。
後で、看護師に報告。「野菜で、何かアレルギーがありますか?」と訊かれる。。思えば、朝一、両手がやや重、やや熱っぽかったので、これも看護師さんに言い、「はい、じゃ、手を挙げて見て下さい。異常ないですね」というやり取りもあった。この吸盤のせいで手足が痺れる可能性があると、当初、言っていたように、多少、関係があるのだろう。
これも明日までだ、用心しておこう。
麻酔科のキレイどころ2人が、7月15日の麻酔以降、トラブルはないかと来る。
神田さんが昨日ユズルさんに、僕の入院の事を言ったらしく、ユズルさん、びっくりして「よろしく!」とのこと。ユズルさんがまだ、クルマの運転をしているというので、ユズルさんの父、大一さんの70歳代後半になっても東名高速道路をバイクを走らせ、東京・京都を行き来する身体能力について、神田さんに書く。Sがシュークリーム、お茶、オイタさんはポカリスエットを差し入れ(これを見て、アーニャがいいね、と)。Sは、昨夜の喋れない70歳の男は舌癌と聴いていた。
姉に明後日、手術と電話する。八女の兄姉話を聴いて笑いこげる。姉の入院、次兄の孫の八女入り。
夕飯は、お粥、鶏の塩焼き、おくらの青煮、炒り豆腐、カボチャ和え。
日向太より、病院実習長引いて、見舞いに行けず、ゴメンとメール。
八文字屋は、開けると、直ぐに海人彦が顔を出し、友達と待ち合わせだけど、水一杯だけ飲ませてと言い、出しな「明後日、手術?」と確認して行ったらしい。ジェローム、ルパンらが来たようで、ホッとする。後で、Sからのメールには全客名あり。
今日の八文字屋は、ナッちゃんからSにタッチ。
お客さんは、板さん、鹿さん、斉藤さん、ルパン&ハンダさん(写真)、ジェローム、奈良井さん&写真友達(バー人妻で撮影会)、口のきけない人(元埋文研の人らしい。ろくでなし客、ルパンも知ってる)、横浜から来た男性二人(一人は狛犬研究、もう一人は美女365日を見て)。
ビールのボンベ、リカマンに交換してもらいました。
なっちゃんはJR終電で帰り、私が閉めました。
この2,3日で赤みが少しは脱色するかと思ったが、なかなか思うようには行かない。
一気に膿を吸い取れ!と願いつつ寝る。

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2015.8/3(月)


一週間、暇な日が続くと、現場に居なくとも疲れる。昨日の京都は、最高気温が39.1度。他所に行って酒を飲んでいる場合ではないか。
昨日も必要以上に寝たが、今日は更に寝てしまい、荒唐無稽な夢まで見る。
ほんやら洞の大家は、替玉で、それを巡って殺し合いが起ころうとしており、払った家賃を片手に八文字屋に飲みに来ようとしているようなので、Sに用心をとメール。
僕のいる方では、偽大家に食わせようと本家筋が毒饅頭を用意し、野良猫が間違って食い死んだ。残りを八文字屋に持参しようとしている。クワバラ、クワバラという夢。
7:30起床。
新聞には、相変わらず、「中国、西大西洋制空狙う/爆撃機、ミサイル増強 《長期戦略報告書》」なんて、アベの主張に正当性があるかの如き記事があいかわらず、出る。
8:00朝飯。粥、目玉焼き、サラダ、和風ごま醤油ドレ、赤だし、ジョア。
10:00 リハビリ。11:40体温36.7血圧158-85と高め。ふりかけかけ過ぎ?
12:00昼飯、お粥、冬瓜あんかけ、茄子の煮物味噌汁、ボンズP。
13:00 シャワー。
手元に写真集がないので、不正確だが、鶴見俊輔さんの登場する甲斐扶佐義写真集は、ほぼ、以下の通り。
生前遺作集、路地裏の京都、地図のない京都、Beautiful Women in Kyoto、94年版八文字屋の美女たち、出町転々八文字屋有情、我らが仲間、遠い視線、On Reading、2000年版八文字屋の美女たち
S見舞い。寺山修司の名言集「身捨つるほどの祖国はありや」(Parco出版)を置いて行く。
1969年から付き合いのある小野誠之弁護士からの暑中見舞いにはノーベル文学賞を受けたポーランドの女性詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「大きな数」(沼野充義訳)よりの引用の言葉があり。

この地上には40億の人々
でもわたしの想像力はいままでと同じ
大きな数がうまく扱えない

あいかわらず個々のものに感激する

秋田先生、吸盤の修復に来て、一瞬、取り替えるか迷ったが、明日で良いと判断。
夕方、雷鳴が轟く。
夕飯は、お粥、鮭の塩焼きレモン添え、高野の味噌炒め煮、ノンオイル焙煎ごま。
八文字屋は、 Sが入り、時々来る喋れないおっちゃん、鹿さん、奈良井さん、東京から年に2回来る(前回は、ほんやら洞餅き)斎藤さんのみ。
ナッちゃんに明日の件でメール。

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2015.8/2(日)


5:30起床。
百万遍辺りをのたうち回る夢を見ていた。
酷暑の京都、何処の零細業でも同様だが、経営的には厳しいものがある。地方はもっときついか。都市であれ、地方であれ、水商売は、水商売。必要悪だったり、切り詰められたり、エロスに関わるもの。
ほんやら洞もそうだったが、八文字屋でも8月初めの2週間はおなじか。通年、努力の如何によって多少動きはあるが、似たりよったりで、そんな所で働くバイトにも精神的にキツイので、離れて貰ったり、出費削減のために、唯一、休んで貰ったりした時期だ。この時期をステップ(基礎)にする構想力が必要だ。逆転の発想が必要。お客さんの肩を叩いて写真展等をやって貰ったりで乗り越えて来た。ない頭をチビチビ捻る捻り時。今年は、冒険的な連続的映画会と沖縄写真展等で乗り切る心算だった。予期せぬ入院という体たらく。如何ともしがたい。僕もヤバかったが、八文字屋が瀕死の淵にある。
昨夜は、奈良井さん、あさひちゃん、ともう一人の3人。とはいえ、まず3人に感謝。
お盆迄の10日。お盆で帰省客のマーケッティング?(洛北高校軍団たのんまっせ!)八文字屋のコア客のコンスターレーション(?笑)。
陶器市、六道参り、万灯会、墓参りの帰省客の流れが読めない。
久しぶりに帰省の、友人、諸兄姉に先制的(?)によろしく!と。(本来は、イベント案内を出す)
入院16日目、体調良好。が、これほど寝苦しい日なし。金土の客入りに唸る。一番厳しい時期は時期。
坪川さんからメール。

カイさん
お久しぶりです。坪川です。
Facebookの写真を拝見しながら、我が身のように痛みと疼きを感じています。同時に、灰色のスポンジと一体化したカイさんの脹脛を、なんだか、めっちゃカッコええなぁ~と思ったり、肉が再生されていく様に、人間の動物としての底力がみえて、感動したりもしています。こんなこと書くと、必死で療養してはるカイさんには、怒られてしまいそうですが…。とにかく、心に響くのです。
実は、今週から、またアフリカのガボン共和国に来ています。ゴリラの調査です。今回の滞在は7ヶ月間、帰国するのは来年の3月の予定です。日本を発つ前に、八文字屋へ挨拶に伺いたかったのですが、カイさんは入院され、私も病院へお見舞いに伺う余裕も無く…。ごめんなさい。
カイさんの居はる八文字屋は、私にとって、いつでも帰巣したくなる居心地の良いところです。大切な方々と時間を共有した、私なりの思い出が詰まった大事な場所でもあります。そんな八文字屋の危機に、駆けつけることも出来ないことが、もどかしい。
いったん森に入ると、ネットに繋がれない環境なので、メッセージをお送りすることも、Facebookを拝見することも、なかなか出来なくなります。でも、大好きなカイさんが、これからも元気に写真を撮り続けられるよう、ずっと心の底から祈っています。
カイさんを支えてはる周囲の皆さんも、秘かに応援しています。7ヶ月後に帰国した時には、お土産のゴリラ話を肴に、カイさんや皆さんと一緒に飲めたら、こんなに幸せなことはありません。
くれぐれも、いまは無理せず、お大事になさってくださいね。また、お会いする日を、楽しみに…。
坪川桂子

今日も鎮痛剤トラマドール塩酸塩を食後に服用のみ。
朝食は、お粥に、ツナの野菜煮、味噌汁、鯛味噌、フルーツ缶、ジョア。
9:30の体温は、36.9度。血圧は、145-73。傷口は、ややヒクヒク。
日曜日なので、処置(施術)なし。リハビリなし。
後は、火曜日の審判?を待つのみ。
TPP決裂爽快。少しは、政府、米国の鼻柱をへし折ったか?
永田浩三さんの「奄美の奇跡」(wave出版)読了。
堂々たる仕事だ。このあと「ベン・シャーンを追っかけて」(大月書店)も一気に読みたいが、1~2ヶ月後にする。自分の仕事と療養に専念せねば。
Sが「知っていると思うけど、ご時勢だから」と言って、寺山修司の名言集「身捨つるほどの祖国はありや」(Parco出版)を置いて行く。Save 8 で、Safe 8!!
S8S8、Fight 8。
吉川勇一さんの市民葬・お別れ会(9月6日)の案内あり。
サッちゃんが帰った後、佐枝ちゃんがコリーヌの友人、元ヴィラ九条山のレジデント、Pascal Beausseさんと連れ合いを同伴。
夕食は、まずまず。
八文字屋は、浅利ちゃんが大阪に出っ張る仕事もあって、9:00出勤。それまでは、S。客は、ウッチー&カオリン、鹿さん、奈良井さん、段ちゃん、深夜にKei-KがTake-bowを連れて来る。タケボウは、実に2年2月ぶり。Take_bowのギター教室には、京都府医大病院の総婦長中村さんの息子が通っているとのこと。京都は、8月20日までという読売の森重さん。

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2015.8/1(土)


5:30起床。
八朔。
8:00食事。お粥、だし巻き卵、こまつなのごま和え、のり佃煮煮、白ヨーグルト。
昨日から、薬は、痛み止めのみ。食後3回。9:00の体温36.7。血圧136-77。
10:00前から25分処置室で「バキューム」(笑)交換。次は、火曜日次第。秋田先生、Fb見ましたよ。あれは、綿棒、歯ブラシを使うこともありますけどね、交通事故で砂利が入ったりしたときはね、甲斐さん、出す前に言ってと言ったでしょ、とクスリと笑う。処置後、談話室に行き、姉と経過喋る。息子たちのこと。兄弟の様子。
今日から、生活を一点において変えられるか?それが僕にとって大問題。
夕食は、お粥に鶏の生姜やき、茶碗蒸し、青梗菜の浸し。
今年ももう8月だ。
僕の今年の終わり(12月)までほぼ読めた。やるべき事は明白。
アメリカもウクライナから手を引くという歴史の大きな転換期。日本も大ピンチ。
安倍をなんとか引き摺り落とさない事には。東電元社長がやっと告発された程度。されど「再稼働に影響なし」と政権はほざく。何が政権を支えるのか?
僕の個人的な危機は例年だが、1年前には自覚出来るほどに出来していた。(その時、今年の12月までになすべきことを決めた)今年の春先から、パリ個展、更にギャラリー・マロニエ、「ほんやら洞の甲斐さん」TV放映、ほんやら洞でのSとのKG+2人展、ギャラリー・ヒルゲート展、鹿児島天文館での作家・清水哲男さんとの「どうしてぼくはこんなところに?」2人展があったが、どれもどうしようもなく、不本意に終った。その頃、援軍としてウッチー&カオリンらのライブ、梶田さんの“Kyoto My Love”展とあり、まだウェイブ切れてなかった。その波がある間、新写真集も出せず、書下ろしに励むこともできず、状況というものに対しておざなりにしか対処できず忸怩たる思いをしていた。でも、八文字屋、ほんやら洞も、徐々に上げ潮の渦中にあった。
その頃、堆積した個人的サボタージュで、2~3ヶ月後には、写真家として生き延びるには、〈八〉か〈ほ〉から足を抜かざるを得ないのは、理性的に感得していた。その時点で、どう足抜けし、5年、10年先を見越して、200万コマの寄贈先、一部売却先を考え、おっとり交渉とも付かない交渉を開始した。(それより、11~12年前に、生前の針生一郎は、東京都写真美術館に寄贈すべきで、そのためには、ひと役買ってもいい。連れ合いの父の写真の処遇について、今、相談しているところだ、と言ってくれていた)狼少年よろしく、「八文字屋は11月で、いや、12月でデッド・エンドだ」と言い続けていると、「来春、八文字屋、ほんやら洞に集うアーチスト、作家等の写真展を、登場人物のブックフェアをやらないか?」と恵文社から提言があった。丁度、オランダはライデンでの大規模な2ヶ月半に及ぶ「京都の人々」展を成功裡に終え、パリでは、SNBA関連でルイ・ヴィトンのミュージアムの館長、ジャン・ラリヴィエール記念賞を受賞した。
この機を逃すことはない!2015年の4月19日の八文字屋開店30周年に照準を合わせて、月曜社の書下ろし「ほんやら洞の青春」も脱稿し、その日に向けて、ほんやら洞でも42年間のお客さんの著作、作品を集積して一大フェアを何ヶ所かでやろうと動き始め、12月15日を皮切りに広がっていくブックフェア&古本処分市を開始した。
それに向けて、来春から不遇をかこつよりもニュージーランドへ留学しようかと思案するS引き留め策を兼ねた仕事作りとして、甲斐写真集「美女と野獣」「パリ」出版へと向けて舵をきり、「ほんやら洞の青春」の付録とする「ほんやら洞・八文字屋往還日乗」の整理をSに始めて貰った。
その一方、八文字屋開店30周年に向けてのLIVEの相談に中川五郎さん、趙博さんにも乗って貰い、清水哲男さん、しいてはウッチーにはファドの人気グループのほんやら洞LIVEに向けて動いて貰い、実現まで後一歩まで今年初めには漕ぎ着けた。
セレン、レオら異色スタッフが集結し始めたほんやら洞での定期的な映画会を開くために神田稔さんの協力を仰いだ。映画会としては、大阪芸大の北口学先生の個人コレクション、申芳礼さんのコレクションを活用することも考え、まず1929年の大阪を舞台にした「鞠の行方」、戦前の「崇仁のはしり」の試写会を北口学さんに頼むところまで来た。
また、写真展としては、フィージー、パプアニューギニアでも精力的活動をされているMayumi Satoさんを顧問に南太平洋周辺の写真展をほんやら洞で開催するところまで、今年の初めまでに漕ぎ着けて、万事順調に動いているかに見えている時に、ほんやら洞の全焼だった。
その後、「ほんやら洞日乗」出版、杉本秀太郎さん死去、甲斐北京日本文化会館での個展始動、沖縄写真展も頓挫し、あわや脚の切断かとも覚悟しての入院、そして、鶴見俊輔さんの死。
二ヶ月以上の入院による八文字屋の窮地。頑張るしかない。
8月11日の中川五郎さんの「鶴見俊輔さん追悼投げ銭LIVE@八文字屋、8月22日の趙博さんの「鶴見俊輔さん追悼LIVE@八文字屋。
僕の次の施術は、8月10日前後。
徳俵に脚を掛け、諸々の悪事にうっちゃり勝ちでカムバックするつもり。
つい、長々と自己確認をしてしまった。八文字屋の客は、奈良井さん、あさひちゃん&友達と。奈良井さんがDVDプレイヤーを入院中の僕に持って来てくれた。

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*1〜3月は、ほんやら洞のホームページに移動します。2015年以前の日乗は、ほんやら洞のホームページよりご覧下さい。








お知らせ&イベント

(11/7更新)

カイ日乗 9/1〜30まで更新しました。
イベント情報更新しました。

★「GRAPHICATION2 No.16」(電子版)に、「対抗文化のなかの『ほんやら洞』」が掲載されました。(下の画像をクリックするとWEB版をご覧いただけます)

・PCで閲覧する場合は、富士ゼロックスHPから、パソコンでご覧になる場合はこちらから電子版16号(2018年6月号)」のリンクをクリックするとWEB版がご覧になれます。

・無料アプリ(電子書籍版)のダウンロードについては、下記URLをご参照ください。タブレット端末やスマホでご覧いただけます。
http://www.fujixerox.co.jp/company/public/graphication/g2/

CNNのネット記事にほんやら洞のインタビューが掲載されました。


★甲斐扶佐義写真集「70年代京都」(Kindle 電子本)発売中!

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