2015.4/30(木)


道出版に残金、全て入れる。(間違えて、社長名を記す)
半分は、淡交社と思ったが、道が強硬なので、出来なかった。淡交社も週あけには、終わりたい。
今日は、色んなことが起こる。宅急便で送った写真のプリントが無くなっただけでなく、ジャン=フィリップ・トゥーサンさんからのFB友達リクエストがあり、東京地裁の電話裁判も今日の所は終わらせた。
荻野さんは荻野さんで、「電磁波から命を守る全国ネットワーク」(5月16日板橋で全国集会)代表だが、いち早く反原発の運動を起こし、「地震国に原発を作ってはならない」と1976年の伊方原発裁判で証言した科学者・荻野と大衆的に認知されないのがつらいのか、ベロンベロンで来店して、苦悩をかたる。
荻野晃也は、高木仁三郎さん、久米三四郎さん、小出裕章さん、宇井純さんとも、微妙に立場が違う。反湯川秀樹の立場を鮮明にしつつある。(公にするには、情理を尽くす必要があり、ページも必要だが、場を提供する予定の第三書館が、『シャルリー・エブド』の本で立往生。緑風社が出しますというが、荻野さん的には、二の足をふんでいる。)
湯川秀樹の学生で、湯川を胡散臭いと思っているのが自分一人だけだという苦悩。
早稲田の藤本洋一教授の研究室に身を寄せた高木仁三郎さんと久米三四郎さんが、阪大の加速機使って、プルトニウム236の研究を荻野晃也さんにやらせようとした問題。反原発運動に水を差したくはないが、高木仁三郎の死期を知って、「権力」は、高木さんの息子(原子力推進派)を東大教授に据えた問題。
結局、原子力の事故が起こらないように、研究してきたのは、自分だけだったのでは!?との思い。
小出裕章さんは、伊方原発裁判のことに全く触れない問題、「汚染水を200年保存しろ」と言ったり、フクイチの地下水の第三層の問題にくちを噤んでいる問題等々の淵源に湯川秀樹がいること。ま、武谷三男のことあって、その辺のことを書いた本が第三書館から出る筈のが難礁に乗り上げていること。
反原発運動の論客があたかも、宗教家みたいになっている問題等々。

こんな自分に中尾ハジメが接近して来る問題等々、アンビヴァレンツな悩みも、、、。
今日、タイの奥地に住むデビッド・ボケットから簡潔なメールが入る。
「なんと恐ろしい!放火だろ。小野弁護士に相談したか?ガエタンに連絡する」
ガエタン氏は、45年まえの神戸でのボケットの遊び友達で「ゲイ・タウン」というニュアンスて親しまれていた。古物商なのに、エールフランスのパイロットいう触れ込みだった。先祖は「ワールテルローの戦い」の将軍だったらしい。
当時は、FWCのディレクターのニコラ・ガイガーの長女と付き合っていて、インドに一緒に行って、彼女は、グルー・マハラジと付き合い始めて、別れた。次女は、アキコ・カンダの元でダンサーをやっていた。その娘は、メリッサと言い2~3年前に「京都猫町ブルース」出版直後に来て、数冊買っていった。長女は、その後、アメリカに戻り、大学教授をしている。ガエタンは、2,3年前にパリ展の時に再会し、自宅にも招待して食事をご馳走してくれたが、ヌード写真をたくさん見せられた。エクサンプロバンスでも会おうと言っていたが、会えず、そのままだ。この写真は、1974年?
山階朋子さんが、京都市の小学校の入れ替えの時期で、西京極グランドの倉庫にいっぱいあるというで、取りに行ったが、この通り、ほんやら洞2階に積んだまま、その内、捨てたのを思い出した。当時ボケットは《RONIN》を出していて、フルブライト財団の現事務長のデビッド・サターホワイトさんらと韓国政治犯の救援運動をやりつつ、ほんやら洞をゲイの拠点にしたがっていた。ほんやら洞にゲイのためのテレクラにしよう、と。
八文字屋は、静かな夜。
申さん、「カイさんとこ、行ってきます!」と言って出ようとすると「マークが、一々、言わずに行ってらっしゃい!人生は短い、一度しかない、と言う、好い人でしょ、カマラたちも、行って!!言うの」と来店。森さんにメールするも外れ。ToToバック二つ買ってくれる。4月18日の種々、落涙駆け込みの理由をも語る。奈良井さんもステキね、と。温ちゃん。
ろくでなしで、マサオ・ミヨシ風の高取英さんに遭遇。挨拶は「血圧は?血圧、危険よ!」

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2015.4/29(水)


4:00起床。以後、9:00まで1時間寝て、1時間起きてというのを繰り返し、疲れ抜けず。
でじかめのSDカード入れのキャップ紛失。ガムテープ代用。
ルネ、BK、郵便局が閉まっていて、やっと祭日と気づく。
不調、血圧高し。睡眠不足。明日の事を考えると、鬱とうしい。
「和解」と言うのは、民事では、金のある人から金を引き出すことではないのか。金のない人はどうする?
「空の走者たち」読み継ぐ。
増山実さんの「空の走者たち」は、卓抜な着眼、構成、焦点移動、何より作家の行動のダイナミズムには舌を巻く。
2020年の話になったりするのは、僕は個人的には苦手だが、二階堂家の歴史を介在させたり、宝塚と須賀川との紐帯を何重にも示してくれたり、芭蕉や曽良を引っ張って狂言回しする辺りは、グイグイと引き込んでくた。が、「夜空と陸の隙間」の後、200ページ過ぎた「ステキなタイミング」の途中から、体調も悪いのだが、中座した。増山実さんの「空の走者たち」は、端正な本であることに変わりはない。
調子の良い時に読み直してみよう。現実と幻想の間を行き来するが、実在の人物に会いにハンガリーに飛んだりするのは、作者の持ち味。終わりはキッチリ締めてくれる。

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2015.4/28(火)


夕べも〈八〉泊。
焼き魚定食。
歩いて玉屋に珈琲買いに行く。珈琲を飲んで行け言うが、断る。すっ体調が優れず、仕事も山積している。片付けるには、もう20時間位必要だ。
四条を歩いていると、電話が鳴る。告発しているA弁護士だ。道路の騒音で何を言っているか聴きれない。和解がどうだ、とか、30日の電話裁判まで時間がないで、何か書いて寄越せと言っているようだ。30分後にメールする、と言って、2軒の本屋に寄ってもどったのは、ジャスト12:00。告発しているA弁護士に考えをメールで書く。3,4日前に、一括で払うなら、300万円にしてやると言って来た。あれば、もちろん、そうしたい、がないのだ、と。そもそも不当だが、契約更新時の トリックを主張するにも、領収書、その間のやり取りを克明に記したノートも燃えている。

A様
先ほどは、失礼しました。
先日も伝えた通り、今の段階では、月5万円が精一杯です。
3月後、6月後なら、状況は好転している可能性はあります。
いえ、好転するように相当頑張っているつもりです。
なにせ、国民健康保険には、ずっと入れず、年金も一銭もありません。
子供二人は、京大医学部と京大理学部に行っていますが、親権はありません。
金目の蔵書、1万冊の写真集在庫、数十万点のプリント、230万コマのネガも全焼しました。
これから、必死に書き、撮って、稼ぐしかありません。
「和解」と言っても、こんなていたらくです。
秋に好転するように、今、頑張っています。

先方は、月に5万、年に1,2回15~20万は可能かと言って来たのだが、それには、応えなかった。もっとシビアな状況を伝えるべきだったかも知れないが、それは、電話で言えば良いと思い、書かなかった。
本来なら、自己破産すべきなのだが、そうしたら、海外展に出れなくなる可能性があるので、破産してないだけで、火事で焼失したものの中には、領収書だけでなく、返済すべきもの、弁償すべきものもあり、その意味では、それを計算すれば今回、返済しろと言われている額の何倍も僕は借金があることになり、八文字屋がなくなれば、無収入になることを勘案すれば、月に5万返済出来ると言っている場合では、なかった。
それを、明後日、いおう。
1:00に京都新聞の樺山さん、取材で来店。
佐賀関出身というのには、ビックリ。三島憲一さんに阪大で教わったと言う。
これから、高田渡没後10年(もうそんなに立つのか!?僕たちが行くのも直ぐだ)の取材で、これから有馬敲さんに会いに行くと言う。
今日は、40数年前の言い方では、4.28沖縄デー。デモの日で、大学では、前日、学生大会を開き、今日からゴールデン・ウィーク、丸々バリケード封鎖して、キャンパスを歩いている学生で余裕があれば、10日ほどの旅に出たものだ。
46年前のこの日に、後に岩国の「ホビット」マスターになる中川六平が四条たもとのポリボックス前で「沖縄奪還!!」とキョロキョロしながら、叫んでいるのにでくわした。その彼ももう居ない。
田中国男さんに「ほんやら洞日乗」を送る。
八文字屋には、トップに、「川嵜さん似の男」が、女性同伴。ついで、松ちゃん、胡さんが女性同伴。吉田孝光さんが「京都外大西校の図書館」に「ほんやら洞日乗」を注文したと来る。更に、谷川渥さんが、ルパン、あさひちゃん同伴。そこへ「アスタルテ書房」の佐々木さんが、同志社中高の同級生のリトグラフの京都芸大の教授の出原司さんとが入ってくる。奈良井さん、段ちゃんも。ろくでなしに行く元気は失せていた。
何時に閉店したか、覚えてない。

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2015.4/27(月)


やはり、八文字屋泊。
いつもの定食の後に、吉田の家へ。
京大で548円のめし。
小山さん、田中国男さんに本を送るための封筒、夕食用の蕎麦を買う。
八文字屋には、KG+展を見に来る方、中には、僕のキューレーションだから来たという枚方からの老人もいる。森恭彦さんが書いてくれた記事が、読売新聞(夕刊)に掲載される。それを持ち、中京郵便局へ田中国男さんに本を送りに行く。
誉田屋のマルク・リブーを観る。
誉田屋、無名舎ともに立派なものだ。小山鉄郎さんに本を送る。
八文字屋、超暇。
京都新聞の樺山さんよりTel。
トップは、昨日に続いて、ニュージーランドのアリステア・スウェールさんとジャーナリスト(TV)のマイクさん。延びのびになっているニュージーランド展について、今回は、アリステア・スウェールさんに元ジャーナリストで人脈も広いマイクさんが入れ知恵。Ans Westra(アンズ・ウェストラ)という有名なオランダ系写真家と同時開催とか、Westraさんと甲斐対談を組み込んだら、ハミルトン市としても、招待できるのでは!?と。マイクさんは、念のために、甲斐写真集「路地裏の京都」を買って行く。アリステアさんにはDVD「ほんやら洞の甲斐さん」をあげる。
梶田さん、利酒会の帰りに寄る。酔ってた。
大西正彦さんは柳生さん同伴。パーティで世話になったので、ご馳走する。坪野優太郎さんは、知人の弁護士同伴。「ほんやら洞日乗」について説明。
冨樫はラスト。
帰宅すれば良かったのだが、最近の傾向だが、来客少なく戸を開けて、客待ちの姿勢で寝崩れる。

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2015.4/26(日)


またしても、八文字屋泊。
吉田の家に帰り、ダウン。
呉ジンカンさん、ナッちゃん、篤太郎、モリモリ、アリステア・スウェールさん来店。
深夜に、ひろ作のセッちゃんが、近くで店をやっている青年同伴。「権太呂」の女将来店。

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2015.4/25(土)


今日、何を話すか?
メモる。
朝野由彦「夕日の真ん中を帰ろう」1973春一番の紹介。
「僕はほんやら洞の人脈の網の目の中で、下手な踊りを踊らされて来ただけ。
全てが遣っ付け仕事だった自分史、やっと反省。
中日新聞の記事の書き違い。
日記230冊が燃えて初めて気付いたこと。
人生を慈しむ、味わうことなき(不感症)男の強迫神経症的なアクションが産んだ写真?
もっと慈しみを!気付いたのが遅すぎた。
ほんやら洞の人脈ーー鶴見俊輔というキーパーソンーー15年戦争反省、ベトナム反戦。「思想の科学」等々。
「ほんやら洞炎上」で失ったもの。獲得、確認したこと。
ほんやら洞開店当初での僕にとっての意味?ーー宿、食い扶持稼ぎ、学校、基地、人脈及び記憶の貯蔵庫ーー勿論、意味の変遷ーー朝鮮語教室、ギャラりー、ミニコミセンター、ライブハウス、バックパッカーの宿(店の奥行、実質を作るのは客?)
2014年秋から冬にかけての反省。
「恵文社」展に連なるほんやら洞の人脈(再発掘による)ブックフェア展開早々の火事による頓挫。
この活動を基にしたほんやら洞&八文字屋の創造的再構築。そのあとの離脱構想。
名古屋との縁ーー清水哲男、清水千鶴歌集「日々訥々」、高山富士子、増山実、東松照明、水上旬、鯉江良二、建築家たち、風媒社、渋谷定輔、花崎皐平、北沢恒彦、農民哀史、下中弥三郎、農民運動ーー埴谷雄高。
ほんやら洞の実験
ほんやら洞の屋号の由来ーー岡林、中尾、室、北沢、早川(ほんやら洞は何を目指したか?)
個人的な問題ーー生い立ち?
北沢恒彦、中山容さんより、今の自分が長生きしているという事実、信じられない。
人民戦線、転向、松山主膳、ホビット(内堀、外堀ーー京大人文研ーー脱走兵がリトマス紙)
高史明、日高六郎、藤田一良、ボケット、真継伸彦、アイリーン、(荻野晃也「汚染水はコントロールされてない」第三書館)、石割隆太郎、ターケル、中山容、片桐ユズル、梁民基、ホンソンダム、黒ダライ児、ニコラガイガー(1967年来日)ハーヴェイ・ワッサーマン(グリーンピースUSA顧問)
病気、危機を通して見ることで、よりその個人、その社会がよく見える。
その伝でいくと、マイナス・シンボルとしての甲斐
(分裂、オイルショック、二度目の分裂)ーーここまでふれる余裕なし。
如何にして写真家になったか?
ストレスとしてのわいせつ裁判
八文字屋の起源
何故復帰?
あらゆることにおいて、何ちゃっての人生、気がついたら66歳
これからの活動、北京、カザフスタン、
本、ポスター、カードの宣伝」
とても、こんなにも多くの要素は語れまい。でも、気分はスタンバイ。
夕べは、2:00に寝て、4:00起床。
9:00まで、ダラダラする。ルートインの食事は、結構充実していた。腹八分にする。
11:00前には、会場到着。風媒社の稲垣会長も病院を抜け出して、早々と登場。「朋あり遠方より来たる」出版秘話(編集者が原稿を半分紛失)をうかがう。
朝野由彦さんのライブもある。サイン会に沢山の方々が来てくれたのには、ビックリする。相模原のクロちゃん(AMoグループ)、服部有恒さん、河合塾の森川仁美さん、井上美奈子さんや鶴見俊輔さんの知人の女性らも来てくれる。サイン会は、何度もやってないが、大分ジュンク堂の杮落としで水上勉さんと合同サイン会をやった時より多く、最大規模?!
終わってから「きも善」で打ち上げ。
今回の名古屋でのことでなく、キッチリ営業している店に行くと、自分が如何に、メチャクチャか、とか、中途半端か、とか、訓練も研鑽も積まずに来たか、と思い知らされ、恥ずかしくなる。店なんかやる資格はない、とうの昔から分かっていることだが痛感する。でも、何かに食らいついて生きて来た。
その卑小さをこそ、そんな僕をも網の上に乗せて生き延びさせてくれている人々の肖像と共に、対象化しようと思い続けて40年近くになるのに、殆ど何も出来てない事に対して慙愧の念を募らせている。
が、人生の残りも後僅か。
身の丈に合った暮らしを!とずっと思っている。縮小に次ぐ縮小をこそ。
ネパール大地震が発生。
八文字屋は、今日、名古屋・京都往復を「薩摩」した温ちゃんバイト。

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2015.4/24(金)


8時に川口さんの車が迎えに来てくれ、10:00ジャストに正文館に着く。
風媒社の山口社長、営業の方も終日、助っ人、シンガーの朝野由彦さんがいて、大助かり。搬入をおえて、中華?料理屋へ劉編集長が案内してくれる。
ホテルは、ルート・イン。

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2015.4/23(木)


この1週間、生活のリズム、バランスを崩している。
パーティー準備、パーティー、取材、PNG写真展で長時間の店詰め、未知の客の応対、写真集の発送、ままならぬ名古屋写真展、写真展を盛り上げにむけての過剰なFB上への写真UP、八文字屋電話裁判、本屋さんチェックパトロール等々なにかと振幅(営業時間の多寡等)の多い日々だった。変動係数?が多かったと言うべき? 仕事が手に付かなかった。
でも一昨日、画像UP用のKitを超安物から普通品に買い替えてちゃんとUP出来るようになり、一息つく。月曜社、澪標の原稿、全く進行していない。今日は、少し翻訳。
1970年前後、アメリカのベトナム脱走兵支援運動に関わったニユージャージー大学の教授のSandy からのメールだが、FB上では意外と評判がよかった。その彼から、また、来た。

Hello, Kai-san! Sekiya-san sent me three e-photos taken from your book launch party in Kyoto. "Omedetou gozaimasu" to you. And Professor Kitagaki wrote me a detailed commentary on the party.I hope you will stay strong and healthy!Do not give in, do not give up !----David (Sandy)

今日、名古屋展用に、彼が、1月火災以降、何度もくれた激励のメッセージを掻い摘んで正文館展用に訳すつもりだったが、一つが関の山だった。
「ほんやら洞日乗」が出て、3週間。
友人、知人がFB上に紹介するのに有効な新聞記事も出て、良かった。東京方面が気になる。これは書評待ちか。
自分も書きっ放しで、本になってから読んでない。
次の本を出すまで話題が持続するだろうか?
昨日、電話裁判の相手の弁護士が八重洲ブックセンターでは平積みされていたと言っていたが、これも書評が出ないことはには、無効かも。
今の京都周辺での動きは、火事に対する同情によるものだろう。
早く、次の書下ろし、写真集に取り掛からねば、とボチボチ焦り始めている。
河北秀也氏よりFB友達リクエストあり。
パリの某弁護士から、僕がUPしているYoutubeを出来るだけ速やかに消去して欲しい、と言ってきた。未返答。
大して完成度の高いYoutubeではない。
それでも、僕には、貴重な記録であり、写真家としてやって行くには、業績とまで行かないまでも、欠かせないもので、これを取り下げろいうのは、保証問題に発展させるしかない。パリのこんな所でこういう風にやった言うセールストークの足しになるものだし、これからもこれを援用した画像が流れる可能性も大きい。これは、だれかを誹謗中傷する類のものではない。それでも世の中は分からないもので、僕の記録が存在することで不利益を蒙る人がいると言われれば、ああ、そうですか、どんな不利益を?と訊きたくなるのが、人情というものだが、それ程、僕は下衆でも暇でもないので、突っ込んできかない。
こちらから細部にわたって訊かないことでやばいことでも生じるのだろうか?
僕が、イヤだと言ったら、どうするのだろうか?
弁護士まで雇っているクライアントがいるというのは、今の僕には、余り、気持ちのいいことではない。裁判は懲り懲りで、ノンビリ暮らしたい。
でも、「放っていたら、どうなるのか?弁護士まで雇っているのだから」と邪推するに、Youtubeから、企業名ならば、外していいと僕が言ったら、どう出るか?
いつか、僕のYoutubeが消えるかも知れないので興味のある方は、早めにご笑覧願おう。一週間以内に、要望?に対して応答しよう。
サンディからの第一便の訳稿。

「 親愛なる甲斐さん
貴方からの詳細なるほんやら洞炎上レポートを受けて、私の心は千々にみだれ、一時は、精神はおろか、詩情をも乱されました。知らせてくれてありがとう。
貴方の喪失の深さは察するに余りあります。
甲斐さん、私は全ニューヨークそしてニュージャージー在住の同志社会(私も準会員)全員に、貴方の炎上報告を送り、注意を促しました。精確な数は不明だが、多分、150に登るはずです。
同志社会の「幹事」は、2003年卒業の33,34歳のKazuya氏は、貴方のおよそ耐え難き喪失に対して、深甚なる哀悼の意を表しています。
この紳士と私たちは、個人的なメールを交わしながら、連絡を取り合っています。
N・Y, N・J地域との全会員とのメール交換とは別に、この私の新たな友人、Kazuya氏は、同志社入学時からのほんやら洞を思い起こしつつ、貴方に「元気で頑張って下さい」と伝えてくれと言いました。私と貴方の共通の友人、マーチン・リブリン氏も同様に、頑張って欲しいとのこと。
「陽は明朝も輝くだろう」
と言いました。氏は、私をも粘り強く、諦めず、励ましてくれている友人。
この数日、私は長い詩を二つ作りました。
その中で、同志社ベ平連を称え、岩国(ホビット)、ほんやら洞にも言及し、称えました。
貴方の魂は深く傷ついているでしょうが、私のような者も含め、彼方にいる者も、アメリカの反戦GI兵士に連帯し、彼らに寄り添い、立ち上がった貴方のような日本人の友人が多くいることを、どうか、思い起こし欲しいと切に切に願わずにはいられません。

「隣に脱走兵がいた時代」
関谷滋氏にも貴方の「炎上報告」を送ると同時に、貴方(我々)のほんやら洞に関するその私の悲痛な思いをメールを認め、送付しました。
私は、貴方がほんやら洞で如何に独力で「抵抗の情熱」を持続し、生の賛歌を歌い続けたか、知っています。2011年10月の訪問で、ほんやら洞が些か荒廃し、タガが外れ掛かっているのを、それとなく感じました。
私は、貴方に率直に言いたい。ほんやら洞は、ある意味、時代遅れになっている。

しかし
と同時に、古き良き時代の「立派な気持ち」は、持続していると感じました。
甲斐!素晴らしき貴方の存在、私への労を厭わぬ優しさ、供してくれたカレーの味、えもいわれぬアルコール飲料の振る舞い、なかでも、注目すべきは、京都市民の生活の詳細かつ膨大な写真による記録、、、猫町京都 本。

そうです そうです
貴方が想起させてくれたテリー・ホイットモアというアフリカ系アメリカ脱走米兵。
彼は亡くなったが、難事業を完遂させるためのベ平連・JATECによる周到な助力で秘密裡に見事にスウェーデン行きを成功した。
貴方が想起させる亡くなった我々共通の友人、ニコラ・ガイガー。彼女は人間の人間しての諸権利を擁護するために闘うと同時に良き教育的活動家。私は、この堂々たる風格のフレンド・ワールド・カレッジ極東支部学長という高官、ニコラの下にアシスタントの立場で1971年1月から同年7月末までの「野獣の腹の中《アメリカ》」へ帰るまでの期間、京都で仕えたのでじかに知っている。
貴方は過去を祝福すると同時に人生をも祝福する。
ぃた貴方の諸活動、人生は空っぽではない。いや、断じて、そうではない。
私は「炎上報告」をマーチンにまわした。
甲斐さん 親愛なる甲斐さん
諦めるな。貴方は、65歳という年ではない。貴方が現に有する「記憶の貯蔵船」に従って変わらぬコースを進んで欲しい。
また、すぐに連絡します。
当地、ニュージャージーにいる友人たちは、長年に私との会話を通じてほんやら洞のごっつさ、重要性、栄光を感知する我々、もしくは、私が、いずれ、いつの日か、貴方を応援する日が来ます。
闘争勝利!!
私は、のメールを、マーチンも含め、幾人もの友人に送った。
マサチューセッツのバークシャー山の麓にいる私の若い妹、アリスにも、同志社の「幹事」そして他の多くの友人にも。」

これ以降、サンディからは何度もメールがあったが、今日、4月22日まで応答しなかった。
これまでの数本の彼のメールには、1968年8月の京都宝ヶ池の「反戦変革のための国際会議」で反戦喫茶「空飛ぶ円盤」の成功事例を報告したバーバラ・バイという女性も、この度のほんやら洞炎上に心を傷め、とても悼んでいるとあった。この会議後、これにあやかり、日本でも青森県三沢市の「アウル」浦和市の「シタデル」岩国市の「ホビット」が誕生した。ほんやら洞は、日米豪等の反戦運動史上では、今なおその延長線上の存在とされている。
岡本安以子さんより、森秀人さんの二つの著作恵送さる。
「世界観で語る人物像ーーわが心の交友録」(明正社発行・七宝芸術社《取次所》)寺山修司、深作光貞、竹中労、三浦つとむ等々の記述が頗るおもしろい。
「復刻 甘蔗伐採期の思想 沖縄・崩壊への出発」(現代企画室)
名古屋の高山富士子さんとやり取り、行き違いもあるが、面白い。
出てきたポストカード、自費出版本が出てきたり、隠れたりする。
サンディの手紙改訳にも手こずる。
佐枝ちゃんグループ来店。
結局、八文字屋にずっといる。

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2015.4/22(水)


電話裁判の相手方から「一括払いだったら、4割カットで良い」てな提案があったり、する。こっちのことを何も分かっていないにしても甚だしい。
正文館展の準備。

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2015.4/21(火)


毎日、八文字屋に沈没している。
今日は、寒くて目を覚ます。見れば、猫を誘き寄せるための裏のドアを開いたままで、寒いはずだ。少し風邪をひいたが、この程度なら問題なし。正月から風邪をひいてない期間は、あんまりない。耐性が出来ている。
昨日は、正文館展用のポストカードを探し出せなかったが、ライブ後、ボストンバックから出て来て一安心したので、今日こそは、写真展オープン前に1,2時間寝に帰る。昨夜、ライブ後、九大から来た吾郷眞一立命大(法学)教授と石田潤一郎京都工芸繊維大(建築)教授が、京都新聞(文化部)記者2人に連れられて来店。「アジア法」なるものを巡って、京都新聞の京大哲学科出身記者の観念的な質問に失笑。吾妻先生が照らし出した分野、もっと勉強を要する。雷Gさんがくれた本も未読で、礼も言ってない。パリからの言い掛かりと言っても良い要請?にどう対処すべきか、混乱の中で手遅れにならないように、その方面に明るそうな方にも、一応、相談する。以下、簡単なメール。
「SS様
何時もお世話になっています。
事情が飲み込めないのですが、下記のような文書が届きました。
こういうのには、どう対処したら良いか、ご教示頂ければ、嬉しいです。
この会社が事業の失敗の事実を消したいのか、ま、汚点なんでしょうね。
僕としては、ここでやった事実は消せないし、大袈裟に言えば、実績に関わります。
忙しいのに、ご免なさい。
宜しくお願いします。」
これに対して余り、歯切れの芳しくないメールがあったが、省略。
中日新聞の森さんより電話。4月22~24日までの夕刊に、「ほんやら洞日乗」の紹介、名古屋のちくさ正文館での個展の案内をほんやら洞2Fで小田実さんを囲む会の写真を使って、記事するとのこと。
夕方、佐原明子さん、久しぶりに顔を出してくれる。竹ちゃんも久しぶり。「今迄、小山幸容さんと打ち合わせをしていたんや」と、「あっ、そう」としか言いようのない会話。
SにiPadで画像をアップするのに、ストレスフルなキットしかなかったのでやや高いのを買いに行って貰う。
福岡は、嘉穂高校出身の中国文学者の林田先生(昭和7年生)の登場は愉快だった。頭をシャッフルするには、丁度、よかった。昔懐かしい、以下の名とそれに纏わる想念が、頭の中を掛け巡った。上野英信、大井広介、亀井南冥、飯塚、鞍手、国東、日田、広瀬淡窓、田能村竹田、三浦梅園、帆足万里、、、、。先生も話の通じる人間に会って良かったと喜んでくれる。

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2015.4/20(月)


今日は、ビルの消防署による点検に付き合い。この手の拘束が異常と言っても良いくらい苦手。
「この種の事から逃げることで自己形成」は過言でなし。
1:00からは、KG+の展示。(中川五郎さんのライブまで、雨の昼の木屋町まで、何人の客を引っ張れるか)
由布院へ本の発送、そしてちくさ正文館に、本とポストカード送り。
時間が許せば、外国からのメッセージをチェックし、翻訳を風媒社へ送る。
後は、ライブの宣伝に回りたし。
先の国会選挙に出馬した平智之さんより、18日のパーティの件も含め、ありがたいメッセージがある。感謝。
午前中は、歩く。
脚力の衰えは、数年前から自覚していたが、日々歩けば、回復するものと思い込んでいたが、そうではない。
歩いていて甚だしく、脚の肉が酸欠を訴えるのだ。
脚がこうなら、肺も心臓も似たり寄ったりか?
焼き魚定食を食べ、本屋さん回り、途中でDaiso、玉屋珈琲に寄る。
ジュンク堂四条店の本は動いてない。まだ在庫36とあった。
久しぶりに少しノンビリしている。
本屋では、高いけど、谷川健一他編「民衆史の遺産」(大和書房)の各巻が気になり、めくる。
「東京ブギウギと鈴木大拙」(人文書院)、中田考「カリフ制再興」(書肆刀水)も欲しかったが、増山実「空の走者たち」を買う。カリフ制はアナーキズム?
17:00過ぎに五郎さん登場。
中川五郎さんがダイアン・デ・プリマの「革命への手紙」の第4番(中山容訳)と
「KG+の一環イベントとして『写真』について」も歌う。
共にとても良い歌だし、客も良い感じて入った。

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2015.4/19(日)


8:15ベンチで目を覚ます。
隣には、青ちゃん。
彼は速攻、駅に向かう。
2時間、作業をして松屋で焼き魚定食。
三条大橋のたもとで、5紙買う。
朝日は、うろ覚え通り、市内版のトップに、昨日のパーティも含め、ちゃんと記事が出る。
吉田に戻り、片付けをしている内に、寝てしまう。1,2時間と思っていたが、3時間も寝てしまう。
KG+の入場者少し。
八文字屋客、さすがに昨日の今日だ、少ない。
名古屋展の準備。

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2015.4/18(土)


6:00から13:00まで、次の「ほんやら洞日乗」出版記念パーティーの出席者のプロフィールを書く。
昼、郡司ペギオ幸夫さんから、やはり、大学の仕事とバッティングとメール。
出席者紹介
1. 青野真士:東工大准教授。「粘菌コンピューター」研究。元慶応高校ラグビー部。(p.スピーチ」
2. 浅井潤一 :玄亥舎社長。マリア書房時代、甲斐連載起用。
3. 阿部清一:杵築高校で同級生。卒業後2回目の再会。京大熊野寮出身。和歌山在住。(p.スピーチ)
4. 天川哲也:海洋周辺学?研究。漫画家。ほんやら洞個展開催。
5. 有田麻:元八文字屋バイト。二十歳前後と10年後。その間にテイチクレコード勤務。
6. 在田正秀:京都市教育長。火災前、甲斐ネガ寄贈の話あり。超レア客。(p.スピーチ)
7. 有本忠浩:毎日新聞(大阪)学芸部。黒木和雄存命中、甲斐写真の黒木映画への起用発言引き出す。未発。
8. 和泉豊:電通プロデューサー。五木寛之、鎌田東二ら担当。熊野の猿田彦神社に何度も誘ってくれた宿縁あり。
9. 板原和之:元KBS。ネガスキャン担当協力。八つの顔を持つ。「ほんやら洞日乗」では、「オイタさん」を役割演技。
10. 伊藤公雄:京大の先生(p.スピーチ『嫌われて?日乗登場少なし 路上すれ違い多し』)
11. 稲山聖修:教会理事長。同志社女子大等で宗教学担当。河上徹太郎は、叔父。(欠席)
12. 井上義雄:デサイナー。人生のグルメ。元京都精華大学講師。
13. 呉ジンカン:漫画文化誌「キッチュ」編集発行人。台湾出身。甲斐インタビュー鋭意構想。(p.スピ
ーチ)
14. 浮田潤:関西学院大学教授。心理学。「ほんやら洞が青春だった」と回想する貴重な証人。(p.スピーチ)
15. 臼杵稔:昨秋以来3度目の出会い。火災前後、ほんやら洞に関心を持つ。(欠席)
16. 内野太郎:京都工繊大建築学科M2。
17. 内村育弘:この一年、ほんやら洞・八文字屋の最大の実質的支援者。「脱国者ジョー《新島襄》」作曲者。電気屋兼シンガー。(p.カオリンのバック)
18.19. 浦上大輔/夕里 大輔氏は日大の先生。青野氏同様、郡司ペギオ幸夫氏の薫陶受く。今回は、東京ほんやら洞の中山ラビの(気持ち出席)使命を帯びる。夕里さんは奥様。
20. 岡西重治:建築家。京都工繊大卒。甲斐カメラメンテナンス全般ボランティア。
21. 岡村正史:「プロレス文化研究会」主宰。著書「力道山」(ミネルヴァ書房)。(p.スピーチ)
22. 岡本安以子:仮面作家。元人文 書院の落合氏の仲人。元八文字屋助っ人の寺村さんの叔母。(p後落合氏・三室勇氏に出席者名簿を見せ、『出席者名、隔世の感あり』との感慨を得る)
23. 奥田隆一:30年にわたり、奄美大島で農業運動?指導。出欠?微妙。(出席)
24. 尾崎眞人:京都市美術館学芸課長。「ほんやら洞日乗」寄稿。(欠席)
25. 折田泰宏:名物弁護士。京大の銅像「折田さん」は、祖父。(pで挨拶不能、残念)
26. 梶川芳明:「何必館」次期館長。「ほんやら洞日乗」後半、頻出。(pの二次会に荒れて登場、反省も)
27. 梶田信明:映画と音楽に造詣が深い謎の写真家?京都の街っ子。若き町田康を指南。ほんやら洞個展開催。
28. 片山恭平:IT産業勤務。鹿の内氏後輩。
29. 金沢洋史:銀行勤務。25年前、八文字屋の超常連。GFから何故か「長老」と呼ばれる。
30. 川井遊木:大山崎山荘美術館学芸員。「志村ふくみ展」企画プロデュース。
31. 川口正貴:元「松籟社」勤務。新出版社構想中。
32. 川㟢雅司:謎のマルチタレント。八文字屋の水曜日指定席確保。息子の小学校同級生の父親。
33. 川島温子:マルチ助っ人。日本画専攻。当日の八文字屋、奈良井さん準備の割烹着でバイト。
34. 神林 豊:月曜社。仕事を粘り強く待ってくれている編集者。(p.『甲斐本、年内出版』公言)
35.河原茂記:ライブラリアン
36. 北垣宗治:同志社大学名誉教授。白山映子さんと親交。ニュージャージー大学の異能のサンディのほんやら洞情報インフォーマント。(p.乾杯の音頭。唯一のほんやら洞非入店者)
37. 草葉 裕:三菱電機円満退職後、趣味の老後生活満喫。交響曲視聴に世界を股にかける。
38. 草間喆雄:テキスタイルアーチスト。グループサウンドの青春を謳歌。(p.スピーチ『美女本多数出席女性少なし』と慨嘆)
39. 久保実可子:共同通信記者
40. 越水利江子:芸術選奨新人賞、日本児童文学者協会新人賞受賞作家。
41. 佐藤寛子:元NHK山形アナウンサー、元琵琶湖放送勤務。
42. 佐藤正子:世界を股にかける写真展プロデューサー。植田正治写真美術館でのロベール・ドアノー展も企画プロデュース。(出席未確認故、スピーチお願い不能。ドアノーの孫・クレモンティーヌと甲斐とを引き合わせた)
43. 佐藤能史:「染色と生活」編集長。「ハリーナ」経営者は奥様。
44. 鹿ノ内勝也:IT産業勤務。越前大野出身。将来の夢の一つは、BARオーナー。八文字屋超常連。
45. 茂山あきら:伝統と革新を併せ持つ創造的大蔵流狂言師。ほんやら洞開店時からの客。(pの名スピーチを2紙が採用)
46. 島井佐枝:KG+(Kyotographie satelite event)事務局。
47.48. 白山俊介/映子 近代日本思想史研究者&幕末明治期の海外交流史研究者。定宿提供者。(p.竹村氏と同時スピーチ)
49. 申芳礼:日韓仏を股にかけるアーチスト。この一年の八文字屋のマドンナ。黒テント、新宿梁山泊の女優、故金久美子は叔母。(p.スピーチ。二次会も活躍)
50. 末川協:建築家。作事組。一昨年、祇園祭の大船鉾製作。ブータンの裁判所設計。(p.スピーチ)
51. 杉村昌昭:故フェリックス・ガタリ思想の紹介第一人者、代弁者。(p.スピーチ)
52. 杉本茂行:1970年前後の河原町京都書院勤務、生き字引。居酒屋「太郎屋」経営。
53. 鈴木正穂:1969年以来の同志。この4月12日、8期目の京都市議当選。(閉会と同時に到着)
54. 関口将夫:画家、詩人。前橋郊外在住。(p.スピーチ)
55. 関谷滋:弁護士事務所勤務。共編著「隣に脱走兵がいた時代」(思想の科学社)。永遠の反戦運動の補助者。(p.スピーチ)
56. ダアン・レオポール:気鋭のサブカルチャー、漫画研究者。京都精華大学研究員。ほんやら洞、八文字屋助っ人切札。エクサンプロヴァンス展補助。(受付に終始)
57. 高木鎭代:有田麻さんの母。連れ合いは、熊本在住の考古学研究者。
58. 滝本洋一:銘酒館タキモト専務。「開店以来最悪の客」と喝を入れられた事あり。
59. 竹内和久:「ほんやら洞の詩人たち」に登場。インドの吟遊詩人バウルやサタジット・レイ「大地のうた」の紹介者。ミス着物の娘あり。(p.出席未確認故、スピーチ不能)
60.61. 竹村洋介/関田まあさ:近畿大学講師。最首悟に師事。
61. 田中京子:朝日新聞記者。
62.田村精太郎:1969年5月京都「橋の下大学」提唱。元「錦水館」社長。(欠席)
63.64. 樽門豊&川口さん 両人、共に元島津製作所勤務、画家、甲斐支援者。樽門氏同郷。
65. 趙博:猪飼野在住の「浪速の唄う巨人・パギやん」、マルチタレントとして全国各地巡業。ブログ「黄土《ファント》通信」(p.『イムジン河』歌う)
66. 津田篤太郎:聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長、北里大学東洋医学総合研究所客員研究員。(p.スピーチ。パーティ後、河合家行き)
67. 坪野優太郎:甲斐の法律顧問。60年代、デモ出発時、氏の祖父、坪野米男事務所のTelを記したものだ。
68. 直山たかし:大分県の東京事務所勤務。(p.スピーチ)
69. 中川カッペイ:「タツノコ書房」(松本市)店主。岩国の「ホビット」マスターの故中川六平氏の弟。(急病故欠席)
70. 中川五郎:シンガー・ソングライター。パーティに間に合うか不明。4月20日八文字屋開店30周年記念投げ銭ライブ。(p.『大きな壁が崩れる』を歌う)
71. 中島雄次:プロレス文化研究会会員。
72. 永澄憲史:京都新聞の自称「アルパチーノ」。文化部長、編集委員。
73. 中村正澄:真実さんの友人。
74. 中村聡平:IT産業勤務。八文字屋ではジュンジで通す。元ヒップホップダンス奈良でのカリスマ。
75. 奈良井哲:神戸製鋼勤務。八文字屋助っ人頭。
76. 西川 勳:ギャラリー・マロニエ。立誠学区町つくり運動のリーダー。
77. 西田勝彦:写真家。元郵便局勤務。岡林信康の高校同級生。
78. 西村卓嗣:河原町グリーン商店街副理事長。甲斐写真展を再三企画して、実質的支援。
79. 西山ゆうた:神戸大学時代の郡司研究室の学生。
80. 長谷川ゆかり:フリーの編集者兼ライター。元白虎社。(パーティ司会に抜擢をミスる)
81. 濱崎実幸:10年「八文字屋の美女たち」デサイナーとして貢献。今夏、甲斐本デザイン予定。(pスピーチ)
82. 濱田信義:フリーの編集者。ピエブックス、コロナブックスを手掛ける。甲斐写真集「Kids」(京都書院)も。
83. 東理子:(株)権太呂四条本店取締役社長。
84. 日置恒人:陶芸家。
85. 星野高志郎:永遠の教育者。1983年7月7日成安女短大「サバサバフェスティバル」で遭遇以来、32年。
86. 堀口徹:立命大建築学科准教授。杉本秀太郎氏と同じ町内会。
87. 真実裕子:心理学者。40数年間の様々な人間関係が交差する運動家?
88. 増山実:作家。「勇者たちへの伝言」「空の走者たち」の声価は高まる一方。(p.スピーチ)
89. 松隈洋:京都工芸繊維大教授。「ほんやら洞日乗」中「甲斐アトリエ」で登場。京大熊野寮出身。(p.スピーチ)
90. 松村信人:澪標社長。甲斐本出版予定。
91. 松本和子:フリーデサイナー。北海道の恩師が甲斐兄、哲義知人。
92. 馬渕隆文:甲斐の「京都美術文化賞」授与元の中信の広報部次長。
93. 宮原麻美:高校美術教師。1980年前後のほんやら洞、精華大学を愛してやまない。
94. 三脇康生:仁愛大学大学院臨床心理コース教授。URCレコードの故秦政明氏の甥。(p.スピーチ)
95. 村澤真保呂:龍谷大学教員。趣味、フライフィッシュイング。パリの宿提供者。(p.スピーチ願い忘れ)
96. 村田真一:建築家。
97. 森井幸夫:元西武百貨店のアートディーラー。
98. 森重達裕:読売新聞記者。伝統芸能担当。
99. 森下光泰:NHKスペシャル「メルトダウンへの道」制作。(p.スピーチお願い、忘れ)
100. 森恭彦:読売新聞大阪文化部。(p.スピーチ)
101. 八代到:共同通信大阪。
102. 山田庄司:愛知県で新聞販売店経営。(欠席)
103. 安田英樹:青幻舎社長
104. 山本香利:シンガー(p.『Liscence to kill』を歌う)
105. 劉永昇:風媒社編集長(p.スピーチ)
甲斐扶佐義
浜田佐智子
欠席者からのメッセージも駆け足で紹介。
電報は、中信の布垣豊理事長。
メッセージは、荒巻禎一、杉本秀太郎、徳永恂、高辻知義、花崎こうへい、溝口薫平、田中国男等々。
なんとか、パーティは、終わる。名簿漏れ、浮田哲、久保まり、鈴木孝展の各氏。これ以外にもありそう。
欠席者からのメッセージも面白かったが、ここに記す余力なし。
2次会は、八文字屋。明子さんのポエトリーリーディングもあり、大いに盛り上がる。過去20年で、八文字屋客の入りは、最高。Dickも深夜、顔をだす。隅っこで愁嘆場あり。
八文字屋泊。パーティ、大西正彦さんに撮って貰う。大西さんと大倉いずみさんは、昔のカップルらしく、パーティによる再会を喜ぶ。二次会浅利ちゃん、助っ人。カゲロヲも「ほんやら洞のベンさん」をやるのは、思い留まる。

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2015.4/17(金)


「パプアニューギニアは今」ロッキー・ローエ写真展@八文字屋始まる。
明日のパーティの司会、佐藤寛子さんの消息不明もあり、考えあぐねて、FBに書くと、切ちゃんが、井上章一さんか、キヨピーがいいんじゃない!?と書いてよこす。
電話裁判。和解ラインを提示されるも、どうしようもなし。
永澄さん、社内記者に声をかけるも虚しと。共同の久保実加子さんのOKを取りつけてくれる。
KG+のオープニングパーティの後に「何故来なかったの?」と佐枝ちゃん、仲間大挙引き連れ、詰り来店。ルパンらは、行った模様。
さんざんパラ飲み過ぎ後、2,3時間寝て、出席者プロフィールを無理して書く。

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2015.4/16(木)


朝方、リアル・エロティック・ロング・ドリーム。書きたいが時間なし。
ウッチーからスポットライト、一つ6800円との連絡入る。
真実さんは友達と出席、大阪共同の八代さんも出席メール。
八文字屋暇。富山NHKの山田カズタカ、行きたい!とメール。
パーティー控えか?八文字屋客なし。仕方ない。図書館司書の河原茂記氏、ヒルゲートで「ほんやら洞日乗」を買ってからサイン求めて来店。会出席即決。パーティー返信ハガキに「被害者面ばかりで、火元責任としての詫びがなくケシカラン」と一通。この2,3日「行く」「行かん」を繰り返す方もあり。草間さんからの返信は、嬉しかった。
中谷健太郎さんは、ノッピキならぬ来客とバッティング。
八文字屋の壁のポスターを20数年ぶりに、KG+展に備えて剥がす。
夜中、3:30ドア叩き客あるも無視。

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2015.4/15(水)


昨日は、「ほんやら洞日乗」入手3週間にして、初めて八文字屋で1冊も売れず。客は2人。2人とも購買済み。2日続いて、超暇。
今日は、まず、散歩して松屋で焼き魚定食を食い、頭をスッキリさせて、午前中に東京地裁への答弁書を書き、Faxで提出後は、一休みしてパーティー参加者漏れをチェック。ルネへ山下さんの応否確認行。生憎、氏、休み。545円で食事を済ませ、2:00に中日新聞の森耕一さんのインタビューに応じる。4月18日の会場取材依頼あり。取材中、酒谷宗男さんが来て「日乗」5冊買って行く。後は、八文字屋の掃除(ロッキー・ローエ展準備)に、プロフィール書き。神田さんから4月18日OK通知あり。讀賣記者、「関西フォーク 後編」の記事掲載紙持参。紙上、橋爪紳也さんが「ほんやら洞には、関西フォークの伝道師がいた」と喋っている。本当は「何も知らん」と言ったらしいが、彼の監修らしく、記者が作文したもの。Sと打ち合わせで三条の讃岐うどん。
八文字屋のトップ客は、楠木しんいちさんとデモ仲間(一澤信三郎さんと啓光学園の同級生)、DVD持参の梶田さん。川㟢さん、オイタさん、ウッチー&カオリンと続く。このカップルには、一人分で良いので、司会・受付をと頼む。暫し、パーティーのシュミレーション展開。

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2015.4/14(火)


天気が悪し。
5:00からオープン、誰も来ず。名古屋正文館本店での「ほんやら洞日乗」出版記念個展のDMが届いただけ。この天気が続くと、中谷健太郎氏上洛が危ぶまれる。大分からは県庁の直山たかしさんだけか?
八文字屋の客、鹿さんともう一人のみ。
パリの関わりのある企業の弁護士からの変なメールあり。

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2015.4/13(月)


朝から雷Gさんから、八文字屋オープン記念の梁民基氏プレゼントのホン・ソンダム版画作品のぞんざいな扱いの末の紛失に関して、真っ当な指弾あり。
若き友人の文弘樹さんの出版社(クレイン)から出版の「カステラ」が翻訳大賞に輝いた。文弘樹さんは、1980年代半ば、梁民基さんを補佐して、ハンマダン(東九条マダンの前身)運動のリーダー的役割を演じていた。
末川協さん、やっと捕まえる。パーティOK。色んな荷物が八文字屋に集まり、何をやっているのか、分からない一日になる。
夕方、玄月さんが来ると言うので、とっ散らかり物をゴチャゴチャと固めたり、なのに、彼は来なかった。Dickさんが関空から重いプリント200~300枚、シーボルトハウス展の芳名録と共に運び込んでくれる。名古屋で、北京で、使えるか、確認のために広げている最中、段ちゃん、先斗町のひろ作の不調風なセッちゃんが来店。が、11:30には、皆、居なくなるも、2:30まで開ける。Sは、名古屋用にプリントの画像処理するが、一部複写もあり、大きくすると、画像が粗くなるのを憂慮。
来客数、プリントにも問題はあるが、パーティーの出席希望者が、苦労の末、やっと100人を超え、ほっとして、散らかしたまま帰宅。
現金なもんで、100超えた途端に、血圧は、薬を飲んでないのに、グッと下がった。あとは、裁判書類をやっつけ、ロッキー・ローエさんの搬入、パーティー出席者のプロフィール作りかな。ポストカード、掃除、、、、気にしたらキリなし。
大分合同新聞に「ほんやら洞日乗」の記事が次のように出たのを知る。

名物喫茶の足跡残す 県出身の甲斐さん日記まとめる
『ほんやら洞日乗』を出版した大分市生まれの写真家・甲斐扶佐義さん 県出身で京都市在住のカメラマン、甲斐扶佐義さん(66)が著した「ほんやら洞日乗」が風媒社から発刊された。経営してきた京都の名物喫茶「ほんやら洞」が1月に全焼したが、焼失を免れた直近1年間の日記をまとめたもの。帰省した際、大分合同新聞社を訪ねた。 甲斐さんは1949年、大分市に生まれ、山香町(現在の杵築市)で育った。杵築高校卒業後、同志社大学に進学。同大を除籍となった後、72年に仲間と一緒にほんやら洞を開店。フォークソングの演奏会や詩の朗読、反原発運動といった対抗文化の拠点として全国に情報発信してきた。 火災は1月16日未明に発生。ほんやら洞の歴史そのものを記した日記の大半や、写真家として撮りためた20万こまに及ぶネガなどを焼失。親交のあった哲学者の鶴見俊輔、作家の水上勉両氏らから寄せられた文献資料も含まれていた。 日記には、来店者や活動などを克明に記載。古里大分からも多数訪れている。フランスの作家で映画監督のジャン・フィリップ・トゥーサンさんらのほんやら洞を惜しむ言葉も収めた。 甲斐さんはモノクロ写真で子どもや女性、市井の京都人らを撮影してきた。これまでに写真集40冊以上を出してきたが、単著は初めて。甲斐さんは「ほんやら洞の歴史を記録しようと書きためてきた膨大な日記を焼失した。もう再建できないが、同書の第2弾を出すなど少しずつ歴史を振り返りたい」と話している。全657ページ、2160円(税込み)

FBに井上志津子さんとケネスとのほんやら洞前でのツーショットをUPすると神田さんから「今でも、井上志津子さんと付き合いがある」と連絡あったので、
「井上志津子さんは『通学路』という詩でしたか?印象に残ってます。気に入りの二人の写真のプリントを半切パネルにし、彼女が来店すれば、プレゼントすべく、スタンバっていたが焼けました 」とUP。

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2015.4/12(日)


レオ用に桜井哲夫の「廃墟の残響ーー戦後漫画の原像」(NTT出版)を探す。電話料金請求書、裁判所提出書類、血圧計もない。このボケは何処まで行くのやら?家で探しても血圧計しか出て来ない。作業後、出掛けようとして、今度はメガネを紛失。仕方なく、メガネなしの外出。
出町で買物後、KG+の事務局に寄り、やすらい祭りへ。メガネなしのチャリ、危なくて、とばせず。お陰で、到着時には、行列は出発せんとしていた。後の祭りだ。
見物に来ていた谷川渥さん&人形作家のM人形さんに遭遇。
統一地方選の結果を見て、在野真麻さんとやりとり。京都党が増加要因に関してFBに私見記す。
「全国的現象かも知れぬが、京都に関しては、『そうだ、京都へ行こう!』的マーケティングで架構された幻想的な愉楽世界?のお零れであれ、おこぼれに与かれるという安心網に、地に足がつかぬ層は、絡め取られ、網の目の埒外層はアパシーに陥っている。諸々の分析が、後追いになり、相変わらず、外国人、学生、センター機能を持つ寺社仏閣が醸し出す利益に浴する層が京都党の支持基盤。財界のセールストークにも裏打ちされて。それをどう食い破るか、それが問題。」
PNG大使への招待状の文言をMayumiさんに訳してもらう。
NHKの森下さんからのメール、ホッとする。

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2015.4/11(土)


一日、八文字屋ホームページへのリクエスト者への対応、佐藤真由美さんとのメールのやり取り、島井佐枝さん、Sとのメール及び電話の受け答えに終始する。
朝、11:00前にロッキー・ローエさんのプリント用の額到着で、八文字屋へ急行。

この一週間の課題。
1. シマウマ書房へ置いて頂くポストカード、ほんやら洞通信、自費出版系写真集の選定、発送。
2. ロッキー・ローエ写真展用プロフィールの張りパネ。展示工夫、掃除。要レール?
3.「ほんやら洞日乗」出版記念個展@正文館千種店(名古屋)用40点プリント。
4.「ほんやら洞日乗」出版記念パーティー用出席者プロフィール書き。
5.「ほんやら洞日乗」出版記念パーティー用、写真集、ポストカード袋詰め。
6. 出版記念パーティー@平安ホテル司会進行役選定、受付係及び「ほんやら洞日乗」のホテル搬入者探し。(司会、受付の方には、DVD「ほんやら洞の甲斐さん」及び「燻製写真集」を進呈。

5に関しては、4月15,16日午後、八文字屋にて作業。6に関しては、自薦他薦あり。本とプロジェクター運びもある。
会場では、趙博さん、中川五郎さん、カオリンが歌い、小沢明子さんが朗読を確認。
TV番組「ほんやら洞の甲斐さん」(30分)を常時放映。
茂山あきらさん、尾崎真人さんは、早く抜け、中川五郎さん、津田篤太郎さんは遅く到着。
郡司ペギオ・幸夫さん、青野真士さん(東工大、粘菌コンピューター)、杉村昌昭さん、村澤真保呂さん、松隈洋さんらは、時間通り。このメンツが揃えば、パーティらしくなるか。
小山鉄郎さん、脇坂崇平は、未定。見切り発車。
久しぶりに6:00に自宅に居た。もう明るい。
出町で慌てて買い物。
7:15八文字屋入り。
8:00に山崎譲二さん、松本和子さん、おトミさん、片山健ら6人、雷Gさんが、開店準備も出来てない店内になだれ込む。
ジャスト温ちゃん到着。M人形&谷川渥さんも。

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2015.4/10(金)


ずっと雨。
作業進行せず。佐藤真由美さんは、ロッキー・ローエさんの個展案内を英訳してくれる。
「アサヒカメラ」に、連絡なしに若干、取り上げられているのを、清水哲男さんが、FBにUPしてくれる。
「伏見」に行く。「ほんやら洞日乗」を5冊買ってもらう。
Sと名古屋正文館千種店個展のプリントチェック。
高山富士子さんは、シマウマ書房で、ポストカード類を予め、早めに販売出来る段取りを整えてくれる。
八文字屋は、稲山聖修さん(『日乗』買う)、奈良井さん、あさひちゃん、竹ちゃんのみの淋しい夜。稲山さんは、奈良井ハウス泊。11:10には、誰も居なくなる。

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2015.4/9(木)


7:30起床。
薬を飲んで寝ると、145になる。血圧が低くなると、いくらでも寝れる。
12:00に姉からの電話があるまで寝てしまう。
姉は、「北京行きまで、もう一度帰って来い!すき焼でも、鍋でも出来たのに、思いつかず、何もしてあげれず、悔しい。その代わり、生活保護費が出た翌日位にしてほしい」と。
神田さん、やはり、「仕事で欠席。酒を送る」のメール。プロジェクターを借りることにした。その代わり、嬉しいメールもある。
去年は京都工芸繊維大学の学生さん、10人余りの来訪があり、少しお話しする機会があった。後日、「写真家甲斐扶佐義アトリエ」なるものの、学生の何れも素晴らしい模型を見せにほんやら洞来店という愉快なハプニングがあった。賀茂川(東岸)北大路橋下がる200メートルの100坪位の賀茂川と比叡山の間を涼しい風が通り抜ける絶好のロケーションだった。各学生の模型に対する思い、狙い、意匠についてのしっかり説明も聴かせて貰い、ああ。これが、現実に僕のアトリエだったらなあ、としみじみとなり、夢心地させてくれる模型が幾つもあった。その後、その中から、ほんやら洞で実際に短期バイトをしてくれる女性学生が2人出るというオマケ?もあった。何れも2回生ながら、粒揃いの学生たちで、喫茶店の店主としても、写真家としても、周辺(やや遠いが)の若者との「これが理想的な関係だ」という一瞬の夢を見たものだった。京都は、こういう可能性を孕んだ街なんだ、と深く感得した。この学生たちを指導したのは、松隈洋先生だった。かつて、熊野寮生だった松隈洋さんが、4月18日の「ほんやら洞日乗」出版記念パーティに出席して下さるそうだ。嬉しい限りだ。
京大の農業経済学の先生から、FBの友達リクエストあり。
パリのWu Haoから、彼が6月に北京に戻る時には、甲斐写真展@北京日本文化会館のタイトル、写真選定等を決定したいとのメール。
今日は血圧を低く維持した分寝過ぎた。
そして、倹約も維持。
ルネで、376円。仕込みも880円+830円。
京都新聞が無反応なのに、気になって、こんなメールを入れる。

N様
今日は、ケータイも持ってないけど、八文字屋はオープン。
勿論、いま。万一、樺山さんが、僕が掴まらず、怪訝に思っていたら、そういうことです。
「陶然亭」がスタンバイしてます。
よろしくお願いします。
「ほんやら洞日乗」の件では、朝日、毎日の取材の仕方を老婆心ながら、報告します。毎日大阪は、学芸ベテランのA記者が、パーティに出席しつつ書きます。
朝日は、やはり、18日のパーティを楽しみつつ、出席者にインタビューしながら、書きます。
読売新聞は、Mさんが、経費出席の後に、一計案じてくれると思います。
京都が、トップ取材にならないのは辛いですね。
よろしく。
甲斐

結局、Nさんは来ず、杉村さん一行様。
村澤真保呂さん、森元斎、元プラメイク、いま、人文書院の編集者が、出版の意思を示さないのが、杉村さんから攻められる。
普段は、八文字屋の食物に散々悪態をつく御大、「芋なしの肉ジャガでもいい、出せ」と言い、皆、糸こんにゃくと肉ばかりの丼にがっついていた。
村澤さんは、パーティ参加。編集者は、「日乗」買う。
隣の席は、先日、カメラを持って来てくれた内野輝明さんが、工繊の建築M2の息子、太郎君同伴。英語が得意で、それを活かした就職をする太郎君(建築史専攻)が、パーティに名代として参加。
深夜、誰も来ないと思っていたら、とても濃いメンツ3人がやって来た。
「介護者たちは、今」の著者、渡辺琢ちゃん、最新の本屋大賞の作家の作品にも引用された「漢方水先案内――医学の東へ」(医学書院)の著者(森まゆみさんの原田病の主治医としても有名な)津田篤太郎さん、京都市美術館の尾崎真人さんで盛りあがる。尾崎さんは、市長あてに「ほんやら洞日乗」に執筆した件で、書類提出の必要あり、とかで、チェック。3:00まで。

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2015.4/8(水)


8:00起床。
10:18「ほんやら洞日乗」追加分届く。
家探しに明け暮れる。
結局、その訴状なしでもOKと相談に乗ってくれた斎藤弁護士さんが言ってくれ、斎藤さんにこの件を頼もうと思っていたのだが、自分でやった方が安上がりだ、アドバイスしてくれた。
数時間のたうち回ったが、それでも、やれると分かり、ほっとした。
後は、血圧を下げることに専念。
読売新聞の夕刊を買って、ヨドバシカメラに、ロッキー・ローエ展用の額縁買いに行く。新聞は、神田さんがUPしてくれる。
アバンティブックセンターにも品揃えを見に行く。ここ1年ずっと、400メートル走って、酸欠で腿割れを起こすのと同じ現象が、僕の両脚に起きて、歩くにもピッチが上がらない。
Sは、その事に、初めて気づいたのか?どっか悪いの?脚、引きずっているよ、と言う。
7:45には、梶田さん&ヨッシーが、既に些か酔って来る。ヨッシーは、相変わらずで、「インチキ甲斐料理」とか吠えていた。それが、何のガスか知らないが、彼のガス抜きになるのならば、よし、ヨッシー。
「梶田さんの家に、泊まりに行きたい!」
浅利ちゃんが、そう言い、誰かが「もう一人のサッちゃんも一緒!?」と言う。
奈良井さん、川嵜さん、岩本俊朗さんしか来ず。
客待ちするも、町に人影なく、寒くもあり、他所も次々と店仕舞い。
寝て行くつもりが、寒くて帰宅。
村屋に寄ろうと思ったが、3:00なのに閉店済み。
帰って血圧を計れば、180。大人しく寝る。

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2015.4/7(火)


松屋、焼き魚定食。
ルネで「ほんやら洞日乗」2買う。
ディック、白山さん、川口さんからメール。
ディックさんは、タイトなスケジュール。関学での講義の後か前かになるが出席したいと。関空までシーボルトハウス展搬出プリントを持って来て、それを宅急便で送り込んでの後に。
白山映子さんは、股関節の手術を終えたばかりで、松葉杖なのに、旦那さんと共に神奈川から出席。
川口さんには、24日搬入の日の日中に足代を支払い、名古屋まで行って貰うことにする。
FBで、布野修司さんが、自分の歓送会&竹山聖京大教授就任パーティーで上洛と知り、今日、来店かなと思う。
部屋の片付けに帰宅し、上京か左京か、選挙区、微妙だな、と思っていたが、左京と判明した。片付け作業をするも花冷えで寒む過ぎて、すくに布団に潜り込み、一瞬微睡む間、ほんやら洞の2階にまだリュック、トランク等の貴重な荷物がある夢を見た。北側に大きなガラスが張られ、モミジヤさんとの間も漆喰で固められた塀があった。床もスカッとしていた。背後から、オイタさんが「これから、如何すればいいのだろう」とつぶやいていた。それだけの夢。
怠いので、血圧を測ると、185あったので、暫く、横になったまま、手練れのノンフィクションライター、最相葉月の「ナグネーー中国朝鮮族の友と日本」と桜井哲夫「廃墟の残響ーー戦後漫画の原像」を交互に読む。
読みつつ、10月の北京行きまで、時間がないとの思いが浮き彫りになって行くのを感じる。中国の勉強をしなければ、と気がはやってきた。
家を出たところで、選挙カー内の鈴木マサホに鉢合わせ。「ちょうど良い所で会った。撮って、フェイスブックアップして!」と言う。
出町では、肉ジャガ用の買い物。
戻り、東京地裁での先方提出の書類に目を通す。とても、つらい。T司法書士にメール。明日、会ってもらうことにする。4月18日の件で、徳永恂さんより、返信。
「気ばかり強くても身体の方はさすがにガタが来て、京都も遠くなりました。私は八文字屋だけでほんやら洞は知らないのですが、聞けば火災に遭われた由。灰の中から飛び立つ不死鳥であらん事を!!」
Sが、ロッキー・ローエさんのプリント用の額を「フォトハウス」でチェックしろ、というので、急行し、モノクロのネガ、数本回収。中には、日高六郎夫妻&青島で日高さんが小学校の同級生だった女性の息子、佟夫妻の記念写真もある。画像をFBにUPしようとするが、不首尾。
7:45に女話をしながら、「昨日は、ヘリングは坊主だ!」と叫ぶルパン、谷川渥さんとやって来て、武田好史さんも加わる。25年前のルパン写真披露。そこから、一転して4月12日の「やすらい祭り」の話に、やがて、祇園ミキハウス行きへのアクションとなる。
谷川渥さんは、自著「幻想の花園~~図説 美学特殊講義」(東京書籍)と交換しようと言うので、三島論たる「幻想の花園」を貰う。
呑海龍哉さんが藤平窯についてFBにUPしていたので、懐かしく書き込みを入れる。
小岸昭さんの友人の桜井ショウイチロウさんより電話。小岸昭さんのことを書いているのだが、八文字屋に出入りしていた京大関係者の名を、歴代、どういう人がいるか、教えろ、と。
誰も居なくなって暫くすると、高山佳奈子さんが「Noon訴訟判決を活かした風営法改正を求めます!ーー音楽・ダンスを愛する全てのみなさんへ」というフライヤーを持参。そして、直ぐに帰る。
それから、数十分後に川井遊木さんが来店。志村ふくみさんの用があったらしく、瀟洒な和服姿。撮影。
さらに間髪を入れず、予感通り(約束通り)布野修司さんが古阪秀三准教授同伴。顔を見るなり、「カイさん、太ったなあ、昔の面影が、ないじゃん、これでも陸上選手だったんやぜ(笑)」という相変わらず精悍な布野さんだった。10年ぶりだろうか。嘉田さんは来た事ある?今度、連れて来ようか。滋賀の鮒鮨もねえ、他所からだったり、鰻も台湾からとか大きな声で言えないけど、宍道湖の蜆はホンマモンだが……と歓談。「ほんやら洞日乗」2冊を買ってくれる。火事以降、布野さんの中国について書いた本を送ってくれたらしいが、戻って来たと言う。古阪さんは、豊富な中国人脈があるので、北京に行く前に連絡しろと言う。二人に遊木さんを紹介する。記念写真も。京大建築には、大崎先生がカムバック。
喋っていると、ルパン、谷川さん、武田さんが、ミキハウスから戻ってくる。
「ボトルを入れる」と言ったら「もう閉めます」と言いよるんや、と谷川さん。
布野さんとバトンタッチ。
谷川さんは、不調そうで何度もトイレに行き、早々に切り上げたがる。ルパンは「はるか帽」が行方不明と騒ぎ、直ぐに、皆引き上げる。ルパン、武田さんは、ろくでなしへ。
ロックして、本を読んでいると、狂言の茂山あきらさんがRyuという茶山の照明屋さんらを連れて来る。ベルギービール。
これで、お終いと横になっていると、ルパン登場。
閉店は、4時過ぎ。

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2015.4/6(月)


8:00起床。不調。朝は、松屋の焼き魚定食。
恵文社を往復しただけ。昼は、また、松屋のカレー。
ルネには、山下さん居ず。
先斗町のいろはの植南草一郎(京都造形芸術大教授)に案内持参。親父さん(名誉教授?の小名木さん)が出てくる。「ひろ作」に入る赤木先生(仏大心理学)に出くわす。
三条大橋たもとのスタバ初入店(いや、スタバその他含め、初)。
佐藤真由美さん、北口学さん、ロッキー・ローエさんのプリント持参。
佐藤真由美さんは、祖母を失い、もっと話を聴いておくべきだったと、悔やんでも悔やみきれない様子。虚脱感に捉えられている。祖母の家は、弘前藩の藩医の家で、重要文化財(伊藤家)で、そのメンテナンス等についても考えねばならないらしい。
トップ客(最後迄いた)山田拓広さんが、少し興味を示す。山田さん、佐藤さんは「ほんやら洞日乗」を買ってくれる。
冨樫が2度めだが、パリのポリさん(父が、大分の竹田出身)同伴。冨樫が消えた後、田中君来る。
肉ジャガを作ったが食べたのは、僕とSのみ。Sは「甲斐さんの煮物は美味しい」といつもながら、褒めてくれる。
その点は、水上勉さんも同意見だった。
早く、落ち着いてお客さんにもいつも食べて貰える生活に転換したい。
もう少し綺麗にして、もう少し店経営をちゃんとしたいが、ままならない。

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2015.4/5(日)


血圧のせいで不調。
10:30松屋で焼き魚定食。
錦を経てジュンク堂へ。
錦小路は、朝から身動き出來ないほどの観光客で溢れている。あっちこっちで中国語が飛び交い、思い思いに記念撮影をしていた。
ほんやら洞を失って、毎日、昼間、歩き回れるようになったのを喜んだ。もう10年前から歩く生活をすべきだと。これで、弱った脚も徐々に回復するだろうと。が、さにあらず、脚は更に弱っていて、回復なんてない。それにめげず、歩き続けるしかない。
日曜日なので、五紙買う。
毎日の書評欄では、堀江敏幸さんの鬼海弘雄著「誰をも少し好きになる日ー眼めくり忘備録」で気に入った箇所。

「それにしても、のまなざしと距離感はなんだう。懐かしさではない。同情や非情でもない。そこに触れてないと、存在のいちばん奥にあるものがこわれてしまいそうな部分を、写真家は真正面から見つめ、銀塩のフィルムを現像するように、ゆっくり言葉に移し替える。『撮りたいものなどめったに写らないことを知って写真家になったので、手間がかかるプロセスを抜きにしたら自分で何を撮ったらいいのか分からなくなるような気がしている』という自己観察は、書くこと全般に適用しうるだろう。書きたいものなどめったに書けない。それを承知で愚直に出会いを繰り返すだけなのだ。もちろん、別れも。」

そう、老化が進行するなか、僕は歩いて歩いて、歩き回り、撮って行くのだ。
昨日、アスタルテ書店を覗いたが、やはり佐々木さん、痛々しかった。
岩澤侑生子さん、早々と顔を出す。静岡の劇団のオーディションに合格し、ほっとして、来店。ウッチーは、カオリンと別行動で来たが、かなり酔っていたかな?
「綺麗な女の子のライブに行こう!」
誘ってくれたが、止す。浮かれている場合ではない。
彼の知人の同志社の広報部の方へメールで、生協書籍部に「甲斐日乗」プッシュを頼んでくれる。管轄外だが、了解、と言ってくれたらしい。
ウダウダしていると、チーちゃんが、宇治時代の後輩同伴。そこで、浅利ちゃんが、ルパン、鹿さんに「チーちゃんが居るよ!」と電話。
その二人が到着したときには、チーちゃんはチファジャへ。
松ちゃんが来て、25年前の「松ちゃん弟&ルパン」写真を松ちゃんに見せたが、松ちゃんは、ルパンをルパンと同定できず。
海人彦が後輩3人連れて来る。鹿さんとルパンしか居ない時に岡本良治さん&リエさんが来て、記念撮影。何時に閉店か、覚えてない。
姉は、僕が帰った後、散々うごいたので、寝込んだようだ。
僕の寝場所を作るための片付けでも大変だった。疲労困憊したのだった。悪いことをしたもんだ。

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2015.4/4(土)


11:30起床。
血圧の加減の進行をチェックしながら、外に出る。
B&Cは今日も閉店。
天気は持ち直し、出町三角州、御所は大賑わい。
PNGの写真展のDM配りと「ほんやら洞日乗」の書店での扱われ方チェックと血圧降下促進を兼ねて周遊周覧で2時間潰す。大垣書店三条、ジュンク堂三条、ブックファースト、ジュンク堂四条。「桜湯」の取り壊し中、工事責任者で「ゼロコーポレーション」の表示有り。薬局がやたら流行っているのを目撃。中国からの観光客の目当ての一つらしい。
柳小路の「松本」で蕎麦。
八文字屋に戻り、パーティー客チェック。
6:00過ぎに、あさひちゃん、同級生の小学教師、岸さんと来店。二人とも早く結婚したい、良い男を紹介して!と。あさひの母も友達二人つれて来店してゆっくりして行く。
ヌルコ、無断欠勤。70年代ほんやら洞の客だった元近畿ツーリストの三宮さん、10何年ぶりかて来店。アダムの連れ合いの「とんがり帽子」の中西さんの仲間が「カイさん、この女の子も、25年くらい前にカイさんが、写真を撮ってんねんぜ」と同伴。三宮さんは、今、トラックドライバーで、他人の気持ちを忖度しなくていいので、楽だ、と言う。紀井さん、奈良井さん、片山茂樹さんも。
さらには、火事の次の日、1月17日に着物で初来店美女、黒田美穂さん来店、依田高典先生と喋る。どうやら形成外科医者らしい。4月18日のパーティに誘ったが、その日は伊勢・志摩のハーフマラソンに出場するので、ダメとのこと。依田さんには、前嵩西一馬さんのメールアドレスを訊く。依田さんは、小谷野敦に絡まれたことがあったらしい。「桜祭り」東大の馬場さん、ガールフレンドを連れて初来店。後輩の香川出身の片山恭平君同伴。本を買わせ、パーティー出席作戦。遅く、K社のM記者が後輩二人同伴。Mさんは、パーティ出席。
八文字屋泊。

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2015.4/3(金)


「ほんやら洞日乗」発売になったようだ。
家で、ゴロゴロする。日販は未だで、東販、大阪屋OK。
東京地裁の封書取りに左京郵便局。
出町で、豆腐、揚げ出し豆腐、納豆、漬物の買い出し。ルパンの店にDM持参。
S休み。劉さんが4月18日の名古屋版の朝日に、今度の本に触れて書いたものが出るとのこと。
井上章一さんは、パーティ欠席。
八文字屋、超暇。佐用南美ちゃんから電話。「テイコさんに会ってます?私、前、マキでバイトをしていたんだけど、テイコさんはそこの客で……」
「困っているわけね。」
「そ、そうなの」
最近は旦那のTさんは、あまり来てないので、直ぐに役立つことはなかった。
ミルトン、一冊買い、ナツコという女性と消えて行く。
呉ジンカンさん、4月18日の出欠は微妙と。ルパン独特接近法で、呉さんと契り。
外国人客1人、10:00にウッチー&カオリン、ウッチーの次男、知人、佐々木米一さん、新海みどりさん、中川五郎さん。亥辰舎の浅井潤一さんは何時もの女性社員二人と。深夜、新井勝憲さんがパーティ欠席とわざわざ言いに来てくれる。新潟の小林茂さんが良さげな橋本紘二写真集「雪国春耕)をFBにUP。
5:00前にルパンが、はるかちゃんから貰った記念の帽子を忘れたとかで、取りに戻り、一杯飲みに出て後また帽子がないのに気づき再来店するも、また、分からなくなって帰って行く。明日、温ちゃんに会いに来ると嘯きながら。
7:30就寝。

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2015.4/2(木)


8:00起床。
歩いて松屋に焼き魚定食食いに。
木屋町の桜、全開。散り始める。
血圧を用心する生活への転換のために何をすべきか熟考を要する。
先ず、血圧計買いにD2へ。
途中、チャリの日向太と擦れ違う。「お父さん!」と叫んで去って行った。髪は、黒かった。火事の現場から無言で去って行って以来初めて姿を見た。ゆっくり喋ったのは10月のみ?
家で洗濯、入浴。東京地裁からの手紙の不在配達票あり。出町で玉葱、トマト、豆腐、揚げ出し豆腐を買う。
ルパンのヘリングへ「ほんやら洞日乗」持参。高橋睦郎さんの「詩人の食卓」を貰って帰る。前に読み掛けていてなくなった本。平安神宮、白川、鴨川、高瀬川周辺では、人が溢れかえっていた。
ロッキー・ローエさんはパプアの人でも、新人でもないことが判明。プリントは、青森から大阪に戻ったら、佐藤さんが持参とのこと。
夕方、「虹」での申芳礼さんの個展に行く。
歩いて戻る。
ロッキー・ローエの「パプアニューギニアは、今」のDM届く。
「ほんやら洞の再建を願う会」と僕と関係あるとの誤解があるようなので、臼杵さんにメールを送付。
そして、FBにも僕には、再建の意思はないとの明言をUP。
バタバタしているところに、元ほんやら洞・八文字屋バイトの沖縄在住の朴豊子が、15年ぶりに、奥田以在さんとともに来店。松ちゃんとのツーショットの名作が有る事を言い忘れた。
二人に続いて、武田好史さんはチョイ寄り、真実さんは「ほんやら洞日乗」買いに来て「在田さん、ほんまに、教育長になったね」と笑う。知人の中村さんも出席?「昨日、チーちゃんが来たのなら、来れば良かった」と述懐する鹿さん、オイタさんと続き、更には、10年ぶりにノルウェーの建築家、オギさんが、18歳のバイオリンをやる娘、ナナちゃんと来店。
喋っていたら、去年も来たと言う。「来たいので旅館を紹介しろ」とメールが有ったきりで、来なかったものと思い込んでいたが、来たのか?長男は、イギリスでアニメーションをやっているらしい。27,8年前に一緒だったマリさんも元気と。「東郷摩矢ちゃんは、どうしている?」と言う。彼が八文字屋によく来た頃、東郷健の娘、摩矢ちゃんが出入りしていたことも話題になる。
ザッパ、Zakkubaranにもよく通ったらしい。
早速、写真を撮り、タリエ・グローニンに送る。ナナちゃんが「路地裏の京都」をほしがり、買う。
皆居なくなり、冨樫が来るのでは!?と思っている矢先、はたして、彼、登場。
しんどいと言って、1杯で帰って貰う。
ただ「一昨日、荻野晃也さん、尾崎真人さんに会った」興奮を語りたかったようだ。
ろくでなし、石丸商店、村屋にDM持参。
ろくでなしでは、調さん、磔磔の水島さんに会う。
石松商店には、ツトムさんが居て、柳小路の松本や近藤和見のことが話題になっていた。
村屋では、ジンギスカンを食う。

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2015.4/1(水)


8:45起床。
経済的には貧しいが、慈母、慈父の如き兄姉の歓待を受ける。兄には、どうしようもなく父親像を美化する傾向がある点にはややゲンナリ。それだけ辛い日々を送っているのだろう。狭間町では、桜は満開。朝イチに八女の次姉が恵送してくれた鹿肉と、入りたてのなけなしの年金?で、帰る前の弟に食わせようと長姉が買ってきた食材で仕込んでくれた貝汁、寿司等々を食し、腹いっぱい。兄は兄でトランクス、靴下、ラーメン等のお土産をくれる。姉には、読み終えた鶴見俊輔さんの「もうろく帳」を置いて帰る。前に預けた「アラブから見た十字軍」を持ち帰りたかったが、読む時間がないので、よす。パネルは、3週間後に送って貰う。
14:28向の原駅発のJR。
15:15大分発のスーパーソニック。
大分、別府、日出、杵築、山香、立石、宇佐、中津、小倉とずっと靄に包まれたまま。見えるか見えないか曖昧な思い出の地が車窓から後景へとフィルムに巻き込まれるように消えて行く中、俺は、何をしに大分くんだりまで帰って来たのかと、故郷に対する思いの変遷をさっとなぞる。
「無能の人」がその家族、親戚とその兄姉が住む町に如何なる郷愁に駆られて訪れのか。無能の人とその先祖たち。65年もの宙釣りの人生?を生きて来た……。その生活一年を日記本して意味があるのか、と言う意見は、ちゃんとした他人の口から、必ずや出るに違いない。「潰れたも同然な店がたまさか火事で燃えたからと言って、その一年を表現したからと言って、顕彰してどうする。それが、とてつもない表現ならともかく、半端もんじゃないか」
姉がいみじくも言った。「弟三人の旅の仕方を見ても一番分からないのがアンタだ。Aは、40数年カナダに住んで帰ってきて狭い世界で利用できるものは利用し尽くして今も生きている。Tは、あっちこっちさんざんぱら見て来て、田舎に戻り、慕って来る自慢話をしながら、苦し紛れででも大家然として狭い世界を生きる。アンタの旅なぁ……」
僕が16年前に離脱したほんやら洞に何故帰還したかを(それは、『ほんやら洞通信』0号にちゃんと記した。)知らない人は多い。そして、その目論見は数年あたった。また、焼け落ちる前の数ヶ月のほんやら洞はやっと望ましい方向へ向かっていたのを知らない親しい知人もいる。このほんやら洞の活動と大分をリンクさせることも成功しつつあった。が、今の現実を風景に溶け込ませて、生きるようなことはすまい。きっちり苦しくても撮る、書く、という日常は確保せねば。一刻も早く高血圧から脱しよう。
小倉発15:49ののぞみ。
八文字屋着7:40。
「Numero」「月刊むすぶ」届く。紀井さん、アバンギルドのイベントの写真で「パリの友人…」とSが書いて送信しているのに、バリと書き換えて、笑わせてくれる。
パーティ参加者増えず。ちょっとヤバイ。連絡忘れ、総浚いしなければ。
浅利ちゃんバイト。S、清水哲男さんは、直ぐに来店。
梶田さんは、昨日も清水さんと一緒だったらしいが、今日も会いに来る。「ほんやら洞日乗」も買う。チーちゃんも友人と来店。「ほんやら洞日乗」を買い、太っ腹ぶりを披露。
このメンツで、熊本ラーメン、干物、明太子を食う。
12:00過ぎに誰も居なくなり、客待ちしている間に眠る。
3:00に物音がして、目を覚ますが、客が去った後。で、3:30にドアを閉めて寝る。

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*1〜3月は、ほんやら洞のホームページに移動します。2015年以前の日乗は、ほんやら洞のホームページよりご覧下さい。








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