2020.4/30(木)


今日も一日、よけいなことに終始。八文字屋も残念賞。
樫村愛子さんより、オンライン宴会をやったら!?とアドバイスあり。
7:00起床。
時間がある時は古川ロッパの昭和日記 昭和16年~昭和20年」の1日分をめくる。昭和18年4月30日の記述なし。FBに以下のことをアップ。
「八文字屋も開店から35年経過した。
僕もボケてきて、ほんやら洞のことばかり書いているが、35前のこともボチボチ忘れている。
少しずつ思い出して書いていきたい。
1986年頃の京都芸大音楽科の江頭さん(右)らの「パトストリオ」の2人写真でてくる。
江頭さんは今も岐阜あたりの大学の音楽科で教えているのだろうか?
当時、八幡市辺りで指揮者活動を始めた同級生の指揮者の佐渡裕と度々顔を出し「佐渡君、君始めた大きいのだから、もっと自信をもって大きく構えるべきだ」等の励ましの言葉を江頭さんらは佐渡にかけていた。
やがて、佐渡裕さんが脚光を浴びて八文字屋にも来れなくなると、江頭さんは佐渡さんのサインいりボトルキープのダルマ(サントリーオールド)をもってかえった。」
「SOS 長期継続コロナ禍から脱却のために、甲斐扶佐義ポストカード1点¥100販売キャンペーン。
ポストカードシリーズの解説。1990年白川北通狸橋(新門前通と古門前通を繋ぐ橋・バス停「知恩院前」西入ル)付近。8月中旬過ぎ。
スコールの後に、路地から大きな下駄をはいた1,2歳の愛くるしい子どもが手にタオルを巻きつけ、ひょろひょろと出てきた。川辺の雑草の多い花壇に入るのかなと見ていると、引き返し、おもむろにこちらを向いた。西陽が微かに差し、アスファルト道路がテカった。そこで、4カット程シャッターを切った。撮ると同時に、好きな写真になると確信。
早速、現像、プリントを済ませ、1番アップ撮影の紙焼きをこの子にあげようと、この子が出てきた路地にいった。僕は近くに住んでいた。路地には、2,3軒は住まいがあるはずなのに、どこの家にもひと気がない。狐につままれた気分になり、退散。
後日、通りの喫茶店のオーナー、椎葉村出身(で10数年前に帰村した)椎葉さんにその話をすると、その路地には着物縫いの名人のおばあさんが居て、丁度、僕が下駄の子どもに会った頃、親戚の方が弱ったおばあさんを引き取りにきたはずで、湖東の老人ホームに入っているはずだとおしえてくれた。
このおばあさんの腕と縫賃の安さは評判で、祇園、先斗町の芸妓が競って仕立てを頼みにきていたらしい。」

「51年前に「困難な革命」(合同出版)を走り読みして、スリーマイル島の原発事故以降、高橋武智さん訳で出た1980年の春、直ぐに買ったものの「出町ふれあい広場」の仕掛けで忙しくなってしまって読了せぬままだったアンドレ・ゴルツ著「エコロジスト宣言」(技術と人間)が焼跡の段ボールから出てきた。
ゴルツは、確か「脱学校化社会」「脱病院化社会」の著者のイヴァン・イリッチとも交流があったベイシック・インカム思想の草分け的存在だったのを思い出した。
「医療・健康・社会」についての章もあり、感染症について書いているはずだ、と思い調べたら、10数年前に連れ合いと心中したとあり、びっくり。
確か1923年ウィーン生まれで、スイスに亡命後、50年代にフランスに帰化とのこと。
時間を掛けてゆっくり読みたい本ばかり、出現して困っている。ゴルツには、中川五郎のアルバム「また、恋をしてしまった僕」と同じようなタイトルの小説もあった。」

ナッちゃんの5月10日八文字屋での9:00過ぎの「スナックなつこ」のやり方、要領を得ず。奈良井さんを引き込むつもりらしい。ハーバードのレベッカさんへのプリントの輸送料をしらべに郵便局に行き、月曜日から日米間の航空便が止まったと知らされる。
洛北阪急スクウェアも大半が閉まっていた。
きのうは蕗、今日は蕨の炊いたんを食べる。
三条木屋町に冨樫が立っていた。先に店に行ったがしまっていた、と言う。久しぶりに会う。

今日トップの冨樫ちゃんが0:30に帰ったので、ボチボチ帰るつもりが眠ってしまう。
祇園坊主バーの福井さんも来てて、坊主バーを丁度1年で閉店すると言う。八文字屋新人の雛元さんの京大の後輩の渡辺茂樹さん来店。狭山裁判では、被害者の足の傷痕について専門的見解を述べたという。荻野晃也さんの後輩にあたる動物学者だが、彼を知らず。母親のことを喋る。Takuちゃん来店。
2:00までうたた寝。
3:00帰宅。

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2020.4/29(水)

ハーバードのRさんより注文。
Rさんは、A1と言ってきたが、「傘投げ」は大きなサイズではキメが粗くなるので、A3にして貰った。
田中康之さんから、5月2日の山科の疏水ベリの宴会への誘いあり。
法然院、哲学の道散歩。ガラガラ。
昨日は随分久しぶりに蕗を美味しく炊けたが、生憎、片山さん、浅利ちゃんとで食べただけ。
早い時間に三月書房帰りの作家増山実さんが「大分無限物語」はまだ出来てないの?と来店し、増山さんの次の京都を舞台にした小説の肝の部分を問わず語り。シティ小説として出来上がるのだろうか?出版が楽しみだ。
もうひとりのお客さん、片山さんは福井、京都で演劇をやっていた青春を語る。
川㟢さん、チーちゃん、奈良井さん連絡なし。
2時過ぎに帰る。

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2020.4/28(火)

4:30起床。
11:00前に松屋。朝定食+テイクアウト牛丼ミニ。
ディレクターのNさんと三角州、出雲路、幸神社を散歩。ミスドで別れる。
夕食はインスタントラーメン。
結局、八文字屋は坊主。
片山さんが、カイちゃんの言いつけを守って、今日、45分日記を付けたと電話して来ただけ。

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2020.4/27(月)

松屋テイクアウト。
出町往復。
京大ルネ。
北口学さんから電話。

増山実さんからリレーされた「7日間のブックカバーチャレンジ」6冊目。
今日は積読本。クライブ・シンクレア「ユダヤ人の兄弟 アイザック・B・シンガーの兄」(晶文社)1986年

幼い頃、岩波の写真文庫に偶々凝ったことがあった。
それ以降あんまり写真に関心はなかった。強いて言えば、親父が後生大事に軍隊時代のアルバムを誇らしく、かどうか正確には知らないが、大切にしていて、いつか、それについて一々質問をしてやろうとくらい幼心に考えていたと言える。自分の写真の志向は60年代末の「プロヴォーク」による中平卓馬ら「アレ・ブレ・ボケ」らを見つつ来たが格段影響を受けることはなかった。「ハプニング」等を展開するネオダダ系のアーチストの周辺にいた6歳上の兄が帰省の度に小田実著「何でも見てやろう」や唐十郎著「腰巻お仙」等を見せられたり69年に再び上京して千葉の検見川に住んでいた頃、7週間の間、毎日、「いなばの白うさぎ」のゼロ次元主宰の加藤好弘らと房総の海で遊んだり、新宿と千葉を往復している間に土門拳の家の在り処を一番町で教えられたりしても写真に触手がのびなかった。それは、自らの無知に対する自覚が根深かっただろう。写真の面白さ、貴重さを中川五郎フォークリポートわいせつ裁判の藤田一良弁護士に説き聴かされていた中に桑原甲子雄の写真集「東京昭和11年」、京都市立芸大生のニューヨークの地下鉄内のポートレイト集やダイアン・アーバスの写真集を見せられ、更にアイザック・シンガーの「ワルシャワで大人になった子どもたち」の口絵写真に用いられていたロマン・ヴイシニァックの写真に出会って、俺はこのラインだなとおもった。
その頃、写真でなく、ポール・グッドマンの「人民か人員か」「5年間 無用時代の思索ノート」と格闘していたが、その後、木村伊兵衛、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ブラッサイの写真にはまったが、元来、宮本常一の素朴な写真が好きで、野本三吉の寿町の子どもの写真群、小沢昭一の街角写真を見ても我が意を得た気持ちになって行った。ヴイシニァックはワルシャワでナチスに破壊されていくゲットーをナチスの服装で変装して撮影し続けた。彼の子どもたちを撮った写真が好きだったが、破壊される前のゲットーの世界に心ひかれた。東欧やロシアだけでなく、アルフレッド・ケイジンの「ニューヨークのユダヤ人たち」更に写真が気に入ったこともあり、ダイアン・アーバス伝をひとりで翻訳したりした。
シンガーのこの自伝的小説はヴァルター・ベンヤミンの「ベルリンの幼年時代」、ヴィクトル・シクロフスキーの「革命のペテルブルグ」等とテイストが似て好きだった。そして彼の「モスカット家一族」に挑戦しようとした。
しかし、八文字屋を経営し、家族も子どももふたり出来、そんな本に没入するのは、身の破滅への道だった。
かくして、積読の日々が続くのだった。同時に破滅の道も続いている。
本書は、ほとんど読めてないので、表紙紹介にふさわしいかも?シンガーの「奴隷」も好きだな。

NHKの中ディレクターに会う。岡本千津さん、北口さん来店。
遅く、福井さん。浅利ちゃんもおにぎりプレゼントに。
早くかえったら、タクちゃんよりメッセンジャー。「まだやっている?」
1:20帰宅。

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2020.4/26(日)


再読本 北沢恒彦著「家の別れ ある労働者自立論の出生」(思想の科学社)1975年4月25日刊行
目次
時代の風景
ノートI 米屋さんの夢と現実
地上より永遠に

ノートII 少年の運命
ケインズの読み方(パロディ)

戦闘性の構造
ノートIII 「コノリー」評注
民兵劇由来記

ノートIV 「資本論」再読
「職場社会学」擬記(もどき)

感性の基底
ノートV 『湖の伝説』余白に
家の別れ

この「家の別れ」を僕は軽々と読み通すことが出来ない。幾つもの難所がある。
5つのノート以外は、「思想の科学」誌上の初出時に読んでいる。
太田龍批判の「地上より永遠に」は1975年10月臨時号、「ケインズの読み方」は74年4月号、「民兵劇由来記」は75年5月号、「『職場社会学』擬記」は、77年2月号、「家の別れ」は74年10月号。
「ほんやら洞の青春」を書こうとしている僕は北沢恒彦の熟読しない訳にはいかない。このコロナ禍で相対的に時間があるときにしか読めないという思いとこれに深入りしたら、自分のものに集中出来ないかもとの恐れを抱いている。
今回は「米屋さんの夢と現実」を飛ばし読みして「『湖の伝説』余白に」と「民兵劇由来記」は普通に再読した。
北沢恒彦さんは、1999年11月に自殺した。12月に僕はほんやら洞の現場に復帰したのだが、自殺する2,3日前に偶然、寺町今出川で遭遇した。僕のカムバックを彼が一番喜んでくれると思った彼が沈鬱な表情で「栄枯盛衰だなぁ」と呟いた。精華大学での教え子と思しき若い女性と一緒だったので「えっ、何、それ」と突っ込まなかった。また会えると思っていたから。結局、80年代の昼間の時間の彼と最も長時間過ごしたと言える僕が彼と会う、それが最後となった。
通夜にも告別式にも出なかったが、告別式の前夜、彼とは長年別れ別れに住んでいた妻北沢徳子さんの伏見板橋のアパートに遺影を届けにいった。「遺影はこれにしてくれ!」と以前から本人が指定していた大宮通上御霊通付近の飴玉屋から柔かな表情で出てくる写真は探し出せず、結局、拙写真集「われらが仲間」収録のほんやら洞での小学生の息子黒川創とのツーショットをトリミングしたものにした。板橋の家の部屋には街子ちゃんが描いた素晴らしいデスマスクが立て掛けてあったので撮影すると黒川創が「カイさん、何かに出す場合、街子の許可を取ってよ」といった。
「家の別れ」に関しては、亡くなる数年前に「結局、あれは『人民とは何か』を書きたかったのだな」と問わずかたり、回想してか開陳したことがある。その時はボンヤリしていて、秋野不矩について書いた章かな、と思ったりしたが、今回、全体を見渡して、彼の言わんとしたことを納得した。
「米屋さんの夢と現実」では、石原吉郎や伊藤静雄の散りばめているので、またの機会に再読したい。この章のまつびで高橋武智さんについて触れたところがあるが、この記述は事実に反するという見解があるが、北沢さんはもういない。ただ、この章の狙いは虚実皮膜見せようとという構成がある気もする。
「余白」では、梅原猛をダシに、また、三橋節子をダシに、鴨沂高校の火炎瓶闘争の時に一緒に捕まったアキノイサムの母を論じている。
「民兵劇由来記」での「労働者解放団・野火」で「三大規律八項注意」をばら撒くに至る職場での経過が改めてよく理解できた。これも「ほんやら洞の青春」で詳述するが、あれは第一次オイルショックちょくこのことで彼には鬼気迫るものがあった。そのアジビラの次の文言には「もし、人々の記憶の中に生きつづけるために、そのことが必要なら、肉体の死をおそれない」とあるのにはかなわないなと思ったものだ。
「この野火の精神は、その後のSureにずっと生き続けているのだ。君も何か書きたくなったら、書いてくれ」と言い続け、晩年まで「革命的警戒心が足らん」と言い続けた。娘、息子らの小出版社「Sure」にはその遺志は息づいているのだろう。ここでは「三大規律八項注意」は書き出さないが関心のある方はどうぞ、本書を読んで下さい。
本書の末尾に、
昭和36年の春先のことだったと思う。「さようならーー鏡子」と表書きのあるははの辞世が見知らぬ人の手で届けられた。死因は自殺であることをぼくはすでに知っていた」書き、母の辞世の歌を引いている。
そして、最後に
「ぼくとは全く無関係に、また別のところで育った弟、秦恒平は最近一人の作家として少年期に「フクザツ」なおもいで避け通したこの「女の人」うへのおもいと、その作品「廬山」の「父が輝く大きな鶴になり母がその背に乗って劉という少年のまわりを、虚空を波打つようにに幾度も幾度も舞い翔類場面」ととかがかかわるいくつか反転していく動機に触れている。(秦恒平「生まれて、死なれて」『波』1974年6月号 新潮社)
母の悲願はこの作家の手で一つの芸術的結実をみたというべきかも知れない。
母の歌碑は郷里の線路わきに建つときくが、ぼくはまだ行ったことがない。

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2020.4/25(土)

p.p1 {margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; font: 12.0px 'Hiragino Kaku Gothic Pro'} span.s1 {color: #ff2600}
今日は天神さんもないのだろうな。
数年前、一年間、毎月数十から百万円の借金返済に追われて(部分的に大家の管理人に騙されていて、そいつは逃げたのだけど)いた時は、朝起きると先ず「さあ、今日は、担保のプリントを何処に持参して借金しようか?」と思案していたけど、今回のコロナウイルスの場合、何処にも行きようがない。接触禁止だし、皆、困っている。
また、親友の商店主がリタイアして引き篭もって何処にいるかも判らない。
動きようがない。ただ、祈りに似た気持ちを持つだけだ。「どうか、今日はお客さんが来ますように!」と。そんなの祈りじゃない!と叱られそう。
北沢さんの「家の別れ」再読開始。
午後、2時間余り散歩。
八文字屋はお客さん0人覚悟だったが、そんな日が続いているのを知って心配してくれている男性(日本人客)が五月雨式にひとりずつ来店。
最後に片山さんと福井さんが一緒になっただけで、他は、僕と一対一の対面に終始する。「この時期、公金を借りて乗り切った方が良い。こんな時でないと政府は簡単に金をかさない。俺は借りた。仕事がないのだもの。その金で従業員にある程度補償して事業規模を縮小する」と説くUさん、「甲斐さんは客が来ない八文字屋を閉店してまだ空きのあり家賃の安い出町に拠点を移した方がいい。出町なら甲斐ファンも通える。外国人にもプリント、写真集、ポストカード等提供出来るスペースに場を広く取った飲み屋をしたら良い。物販なら、大阪方面で甲斐グッズを売る場は僕らが確保する」とアドバイスしてくれる田中さん、「東京での芝居を止めて京都に戻った時は本当に泣いた。今の滋賀で社長代行での事業は近々縮小する。やっと売れる商品が出来たのに、中国で売るマーケットが狭められているんだもの」と言って、若い時分に付き合い走馬灯に思い浮かぶ往年の同志を語り「小説に挑戦したい。それと女房と天日矛のゆかりの地17ヶ所を回り、本を作りたい」という夢を開陳する片山さん、「京都の仏教寺院を総覧し、様々な仏教的な縁を詳述する大部な本を作りたい。いや、着手しているのだ」という福井さん。
なかなか濃い客のこの危機的状況でなければ、聴けない話ばかりだった。
昼はオンライン「スナックなつこ」を八文字屋で出来ないかというナッちゃんとメッセンジャーでやり取りした。

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2020.4/24(金)

昨日の売上は、¥1,700だった。
店の家賃(水光熱費込み)、住む家の家賃、月々の返済に要する金の合計金額は¥450,000(八文字屋の仕込代、食事代等一切含んでない)。
これを八文字屋の売上、ポストカード、写真集、プリント等の販売の売上で賄わねばダウンするしかない。
八文字屋も写真撮影活動も止めて、家賃3万円の生活にしろ!とのアドバイスを色んな友人から戴く。
基本的に、僕はそっちの方向を目指している。
そうすれば、家賃、月々の借金返済、食事代を足して20万を稼げばいい。店なしで月に20万は結構キツイが、職を選ばなければ何とかなるだろう。
今、その方向へと生活を縮小する道の途上にある。

僕が読んだ本
鶴見俊輔著「鶴見俊輔語録 1 定義集 警句・箴言・定義」(皓星社)¥1540
「鶴見俊輔語録 2 この90年 」(皓星社)¥1980

語録1,2ともピアスの「悪魔の辞典」より読み物になって面白い。
皓星社は、ハンセン病文学全集を出している出版社だ。

最近、八文字屋で知り合った20歳前後の京大生に訊ねると鶴見俊輔の名前をほとんど知らない。
それはそうだろう。僕が1968年の時点で、幸徳秋水、大杉栄、堺利彦、吉野作造、片山潜、荒畑寒村、石橋湛山らのことをどれだけ知っていたか?考えれば不思議でもなんでもない。
鶴見俊輔については、僕は、1967年11月14日のアメリカのベトナム戦争からの脱走兵「イントレピッド4」の存在を告げるテレビ放送の記者会見で初めて鶴見俊輔の名前を知った。数日後に杵築高校の図書館で偶然、鶴見の「プラグマティズム入門」(社会思想社の現代教養文庫)を発見してよんだ。68年上洛直後、月刊「展望」4月号の明治維新百年特集の「明治維新から何を学ぶか」という竹内好・色川大吉・鶴見俊輔の鼎談で鶴見を再発見してよろこんだ。
この出会いが決定的だった。
「明治維新から学ぶべきは攘夷思想だ。三里塚で座り込んで、攘夷運動を実践しよう」と鶴見俊輔が発言していた。これには狂喜乱舞とはいわないが、我が意を得たりとよろ、大学では陸上部に入って十種競技に挑戦しようかという思いを捨てた。実際は親の仕送りを拒否していたとで、部費の高さで諦めたのが実情だが。
これ以来、鶴見俊輔の名のあるものを片っ端から読んでいった。まず、「転向」(平凡社・上中下)これ、は73年までまいとし、正月によみかえした。次に「日常的思想の可能性」(筑摩書房)では、Black Panther党のフェザーストンと清水坂の人形師の高橋千鶴子の出会いを知った。以来、古本屋通いの毎日が始まり「思想の科学」のバックナンバーを買い漁った。「展望」バックナンバーで鶴見の「退行計画」で自分の落ち溢れを慰め、鶴見への親近感を強くした。大学のオリエンテーションで文連(学友会傘下の文化団体連合)主催のシンポジウム「転向とは何か?」にのこのこと出掛けた。参加者は3人しか居ず泡食ったが恐る恐る鶴見さんと初めて喋った。それでも、これは自分に相応しくない行動ではないかという思いから抜けられなかった。デモ通いの合間に図書館でF・カストロの「歴史は私に無罪を宣告するだろう」やエンクルマの「わが祖国への自伝」を借りてよんだら、貸出表の一番上を見たら、数年前に鶴見さんが借りた痕跡があり、その後が僕なのに、また、感動した。これも縁か!と思った(笑」。それは多分、鶴見さんの注文で図書館が取り寄せたに違いないと判断したのは、だいぶ後のことだ。それで嬉しくなってやった訳ではないが、当時はコピー機も普及してなかったので、入手不能と鶴見著「哲学論」という古い仮名遣いの古本を写経?した。
それよりもなによりも面白かったのは、鶴見俊輔さんの学友会の大衆団交の席上てろの身振りだった。本当に楽しそうでエロチックでさえあった。細かくは「ほんやら洞の青春」で述べる。
また、潜りで英書講読で聴くE・H・エリクソンの「幼年期と社会」もひと味違ってスリリングだったし、宗教センターでのゼミ「原思想と思想」の少人数でのやりとりは格別だった。ここでの発言の暗示に掛かって(笑)自分が自堕落になった?「フェザーストンが車の爆発で死んだ!追悼集会をやりましょう」と口説きに来たときの鶴見さんの表情を今でもありありと覚えている。
れはさて置き、定義集から、ひとつとりあげてみる。

「衝動」 オルダス・ハクスリー(1894~1963の小説家、随筆家)の『ルダンの悪魔』では、突然「天啓を受けた」と言って、みんなが見ている前で弟の首を切ってしまう。人間にはそういう衝動につき動かされるというものがあって、その歴史が繰り返されている。(『20世紀から』2001年)
余談だが、この『ルダンの悪魔』(人文書院)は中山容訳がある。容さんは、80年代後半から、鶴見俊輔さんに定期的に会う機会があって、会って、帰ってくると本当に嬉しそうに「鶴見さんが」こう言ったと喋ってくれた。

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2020.4/23(木)

フェイスブックに以下アップ。
今日の僕の本にまつわる話。
1968年8月に、つげ義春は「ガロ」誌上に「ほんやら洞のベン」を発表した。
僕がつげ義春作品を知ったの68年10月?号の「展望」誌上で確か天沢退二郎がつげ義春作品「ねじ式」を「なんだ、前に来た街じゃないか」という吹き出しのある路地から機関車が出て絵がついていた。記憶だけで書いているので、微妙に違うかもしれない。
そして、1972年に岩国での喫茶店「ほびっと」作りに参加直後に京都市上京区今出川通寺町西入ル大原口町229番地に「ほんやら洞」を作るのだが、ここでは喫茶店の屋号を巡る論議を紹介する前に、僕が格好よく見え過ぎる「ほんやら洞の甲斐さん」(真如苑製作)という写真家甲斐扶佐義を紹介する29分間のムービーがあることも宣伝しつつ、ある青年がここで取り上げている「紅い花」を筆頭につげ義春作品を次々とフランス語に訳して本年初頭はつげ義春がフランスのパルムドール賞を受賞する機縁を作った青年レオポール・ダーンとエクサンプロバンスの市立図書館「メジャーン」のギャラリーZolaで出会い、つげ義春で意気投合して搬出も手伝ってくれ、火事で燃えるほんやら洞でも八文字屋でも彼が手伝ってくれ、八文字屋では彼は「ガキ帝国」「爆裂都市」等の映画祭を企画してくれたりもしたと自慢?しておこう。彼は夏場は、和歌浦の海の家「バグース」でバイトしていた。彼は古い千葉の方の漁師言葉とかのジャーゴンをよく研究したのは素晴らしいが、やや彼の周辺にいるバイリンガルのサポートする側の日本の女性のなかに日本の古語が得意でない方も混じっているのではないか?と日仏会館での講演会を聴きながら少し心配になった。
「ほんやら洞」と決める前の屋号候補には「同志社総本部」ないしは「本部」「足場」「ドグラ・マグラ」等があった。
同志社云々は中尾ハジメ案。さすが、のちに某大学になるだけある中尾案だ。当時「同志社総本部」という喫茶店を同大付近に作っても同大学はクレームをつけなかったと思うと同時に、今の同志社大学だったら、おそらく文句を言ってくることが予想され、ある種の感慨がある。「京都芸術大学」問題以上に紛糾するだろう。かっての同志社はもっとリベラルだった。
「足場」は当時のフォークの神様・岡林信康案だ。「雲隠れ」前後の「申し訳ないが気分がいい」「俺等いちぬけた」の頃の岡には高橋厳の「人智学」の神秘主義や農本主義的な志向があった。1971年の中津川のフォークジャンボリーの帰りに付近の林の中で彼が小屋を建てているというので行ってみたら、丸太で足場を組んでいた。「ほびっと」作りにも顔を出し、ほんやら洞作りでも、彼はやはり丸太で「足場」を組み、作業をした。勿論、ここを拠点にする、足場にするという含意はあった。「ほびっと」は「鶴見先生に頼まれて行った」(自伝的エッセイ「信康」)だけらしくラップ風の夢物語「ホビット!」に結実。美空ひばりが「月の夜汽車」的世界から、エンヤトットに行く「足場」であったかも。最近はほとんど「エンヤトット」はやってないらしい。やはり、これでは受けないと悟ったのか?
「ドグラ・マグラ」は当時、僕が夢野久作に嵌っていて、口走った。
結局、みんなが好きなつげ義春の「ほんやら洞」に落ち着いた。前年、岡林も含めて我が「移動大工工作集団」は金沢の平賀さんの喫茶店作りを請け負い、そこは「もっきり屋」なった。今出川を挟んで「ほんやら洞」の真ん前には、「ゲンセンカン」という喫茶店もあったし、京大農学部辺りには高城修三さんや高田公理さんらが拠る「もっきり亭」があり、ほんやら洞オープンと同時に「姉妹店になりませんか?」と電話でお誘いがあったが、ロッド空港の問題やなんやあっへ、当方に精神的余裕がなくお断りした覚えがある。ほんやら洞開店当時は東京芸大からほんやら洞で働きながら「アミタジュエリー」で仕事をしていた、のちの大阪芸大教授(彫金)が「ガロ」の創刊号から110号まですべてくれて、常備していた。
蛇足というか、新潟の方に質問。ほんやら洞の「ほんやら」の音は一般的ですか?教示願います。
僕は、素人考えですが、これは、「山椒大夫」の「安寿恋しや、ほうやれほ、厨子王恋しや、ほうやれほ、」と一脈通じるのではと思ってますが。

夕方、渡辺琢ちゃんが誕生日祝いをしてなかったと、山形の日本酒一升瓶を持参し、グラス一杯戴く。琢ちゃんは帰るのに、大切なものがいっぱい詰まったリュックを忘れて行く。3時間後に取りに来る。その間、当方はマリィさんのロック広場に行く。峰子さんはいたが、宗ちゃんいず。浅利ちゃんは、チーちゃんと三嶋亭の弁当企画が潰れたらしく、ひとり来て、チーちゃんを呼びだす。2人は後でG麺に行ったという。
広場から帰りに聴きなれぬ声で電話がある。金坂清則先生からだ。北海道の出版社から本が出ることになった。ついては、例の写真を使わせてくれ、と。
遅く、村八分の最後のギターリストの肥後ちゃんが死んだと聴く。享年52歳。付き合いは無かったが タケボウ絡みで知っていた。K-Keiとも親しかった。3月14日には汚点紫も死んだ。享年51歳。さむとの付き合いから彼を知る。と。どっちも闇子から聴く。

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2020.4/22(水)

12:00までに帰れるのがこんなにも楽なのかと痛感。
今日は結構寒い。

次のKyotographieでの甲斐扶佐義の展示場の1つが「出町青龍妙音弁財天」の外壁の石垣を利用する予定だ。
9月18日からの予定だが、本当にそれまでにコロナウイルスがある程度収束しているか、少々不安だ。
この出町の弁財天を意識し始めるのに紆余曲折があった。
先ず岩国の「反戦喫茶ほびっと」の工事に中尾ハジメさんと72年正月に行き、2月20日前後に帰洛したのだが、岩国ではずっと私服刑事にマンツーマンの尾行を受け、その時々ヌッと出て来て「買った物をみせろ!」やられたりして不快そのものの日々だった。京都では浅間山荘の事件のドンパチを尻目にほんやら洞工事に入るのだが「なんだ、ヤツらは連赤と一緒くたにやるつもりだったんだ!?」と納得して、一応、安堵したのだが、今度は5月30日のほんやら洞の開店の日にテルアビブのロッド空港での日本赤軍の岡本公三の銃の乱射事件があり、直ぐにまたぞろこれと関係があるとのデッチ上げ事件に巻き込まれ、ほんやら洞を経営は相当用心せねば危ない!地域的紐帯をキッチリ保とうとの自覚を迫られ、カメラを持って周辺をほっつき歩き日常的な付き合いを始め「ほんやら洞通信」では地域の事や名所の紹介も取り入れようと思った時に真っ先に、取り上げと思ったのが「幸神社(さいのかみやしろ)」「白梅図子」「出雲路の三車大菩薩・白鷹明神」とならんで「出町青龍妙音弁財天」だった。
まわりくどくなったが、桂宮とか伏見宮とか中山大納言を調べていると弁天さんは、伏見宮と関係があるとか、江戸時代は京都七福神の1つとして、出町の弁天さんが栄えたと、俄かには信じ難い言説が飛び交っているのを解明しょうと伏見宮貞成の「看聞御記」や相国寺の鹿苑院の「蔭涼軒日録」等を読んでいると、元来、空海伝来の弁財天は、西園寺家から伏見宮に伝わる念持仏で、歌舞音曲、特に、琵琶の守り本尊で、金閣寺や伏見大亀谷から転々した末に「青龍妙音弁財天」となったのが判った。その内実は出町の繁栄とかなんとか言っているが、それも短期間で120年前くらいまであった「煮売茶屋」という表看板の「出町白梅図子」の伏見宮(後には相国寺大光明院)の敷地内での下等遊女や客の信仰の対象ということになったのだろうとほぼ察しがついた。
端折って言えば、僕が青空写真展「出町界隈あなたも写っていませんか」展を連続的に打っている頃、上京区中、小売店主たちは商売そっちのけと言えば大袈裟になるが、「大店法反対運動」にトチ狂っていて、出町地域にも亀裂が入っていた。これは面白くない。これをネタに芝居を演ろうと、東九条マダンの仕掛け人でほんやら洞朝鮮語教室の先生でもあった梁民基さんとも相談して「彷徨う弁天さん」という芝居を演ろうと相談した。
その時にもっともらしい素材がいると思い、当時限定200部で定価は¥38000の宮内庁書陵部編の隆円談「文机談」(国書刊行会)という巻物の本を買った。後白河法皇、藤原定家と同時代の隆円自身が凄く記憶力の良い琵琶奏者で自身の師匠の藤原孝時が正当な後継者とする語りの物語で、へなへな文字なので無手勝流な読み方で、琵琶法師と尼のやり取りで展開されているのだけは判り、この尼役に合うような女優がいないか?京まち子みたいな女性がいいな、とか言うだけで、台本書きもまともに出来ず、練習の端緒にもつかなかった。「黒テント」に演技を請う予定も流れた。8ミリのムービーでおっさんらのデモを撮っており、デモに登場する劇中劇「彷徨よう弁天さん」という構想もも不発に終わり、河原での黒テントの「西遊記」公演を皮切りの第一回「出町ふれあい広場」は始まったという経緯があった。
今年になって、岩佐美代子全注釈「文机談」が出たので、当時の街を想像しながら、少しずつ読んでいる。
岩佐自身が「雅楽も、音楽理論も、正規の歴史研究や書誌研究の方法も、何一つ知らない私を、文机談研究に駆り立てたものは、そこに赤裸々にあらわれた「人間」の面白さでした。妙な回り合せで、幼い時から何事もご遠慮、自己犠牲、ひと様の御よろしいようにと教育されて来た私にとって、ここに登場する楽人達の我利々々亡者さ加減は実に爽快で私を魅了しました」とあとがきに記しているが、確か面白い。注釈者の岩佐美代子さんは2ヶ月くらい前に95歳で亡くなった。渋沢栄一の孫かひ孫らしい。
この研究会には、現同志社大学の学長も参加していたようだ。
「妙音堂」も最初は、四条室町にあったようだ。

昼、徳之島の奥田さんが顔を出すだけ。淡交社から電子本1,2冊しか売れてなく、入金なしの連絡あり。
戸城君の知人の高木透逸君が、クラウドファンディングやるのなら手伝いますよ、ときて、ポストカード類を整理してくれ、ジンジャーエールを飲んで帰る。
チーちゃんが来て、あれこれ、お土産を食わせてくれる。ビール6杯のんで帰る。浅利ちゃんも来る。11時閉店。12:30帰宅。

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2020.4/21(火)


70年代末から愛読した大岡昇平の「成城だより」が3巻本の文庫本になっており、また欲しくなり買う。八文字屋のチャイ用に牧商店で固形カルダモンを買う。
16:00にシルヴァン・カルドネルさんがアンドレアス・クレッシグ「パンダルマ」展の搬出に来て、ワインの2本とドライ無花果(トルコ産スルミナ種Figue Blanche) の差し入れ。20:00頃、ファニー、拾得、初期劇団維新派ファンの大阪の男が京大病院に入院している奥さんの見舞い帰りに寄る。下田逸郎&下村洋子の組合、藤原勝&松倉如子ファンだといい、魅力を語って行く。
その後、ふたりの今、干上がっているガイド業のバーミンガム出身のアダム(35歳)とコロラド出身の男が来て、じっくり写真集を見て、3~4冊買っていく。アダムバーミンガム大原野に住んでいるが、近々離婚するという。
自分の写真を見てくれというので、ここで展示会をやったら良いという。中仙道をやる。
もうひと組、前に予告していた松村ゆいさんが母を連れて来店。やはり、ゆっくり写真集を見てくれ、ポストカード34点買ってくれる。2年位前のブログで京大の体育館を設計した前田さんが来ていると読み、来たという。連れ合いが京大の建築の後輩という。人長さんも知っていた。京都は、狭いですね、と。ハジメさんとも研究会で一緒とか、石田さんの名前も出る。えらいキレイな奥さん。若い時分はどれだけ、キレイだったろうか。ほんやら洞も一度行ったが、開いているのに誰も居ず、そのまま帰ったことがあるという。今日は写真をやってて良かったとか、八文字屋も捨てたもんではないなとの感慨あり。
今日も12:00前に帰宅。

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2020.4/20(月)

今朝方、6:00過ぎに八文字屋を出れたのに、濡れそぼるのを厭うて、7:50にして松屋朝ご飯定食¥460にした。
店を出たら、雨は大ぶりだ。 急ごうとしたら、チャリの後輪がいつの間にかパンクしている。
慌ててパンク車に乗るとチューブがタイヤからはみ出るが、無視。しばらくしてチューブが車輪の軸に巻きついてしまう。ここで、雨は土砂降り。結局、濡れそぼり、重いチャリを今出川のEirinまで押す。お陰でびしょびしょ。
パンク修理に折れているリムを変えるより、車輪ごと換えた方が速いと思い、交換といったら、1時間掛かるという。店内で待つこと、30分。交換代¥8915。今日はたまたま、八文字屋で少し収入があったからいいようなもので支払いが出来た。コロナ状況下の普段売上は¥2~3000ではとても払えない。中古自転車が買える値段だ!ズブズブのまま10:50に帰宅。7:00の段階で帰った方がマシだった。
八文字屋はカフェバーに復活で午後3時から営業するので、ちょっと掃除をするつもりで、今日も3時にオープンして皆さんのおいでをお待ちしています。
チャイを作ったのだけど、「やまや」にカルダモンを売ってなく、今日のは、カルダモン抜き、京都のどこで売っているかな?

「増山さん、今日の本をアップしますね。いっきにもう5冊アップした方がいいが良いのか?
指示は無さそうなので、適当にやる。7回終わっても、まだ自分ひとりで続けそう。
著者は僕とほぼ同世代の立派な写真家。去年の「京都詩情展」@二条城には、行くと連絡を貰い、来てくれたのだが、ほとんどなんの話もせず、そのままお別れした。日本中を舞台にして、愉快かつ貴重な仕事をしている藤田洋三さん。
僕が、京都に居ず、大分で生活をしていたら、こんな素晴らしい仕事が出来ただろいか?」
とFBにアップ。
3:00過ぎに在日のお医者さんが先日以来、久しぶり。朴ちゃんの田中に住んでいる友人。外資系銀行勤務の方。ジョナサンさんが、昨日切らしたギターの弦の張り替えに来てくれる。後は、もう一人のジョナサン&ソフィー&播州屋旅館の息子・pinopino(越川しょうた)がちょい寄り。飲み過ぎで飲めない、持ち込みのサンドイッチ&菓子を食って良いか?と言って食う。ソフィーは将来的に八文字屋を譲ってくれないか?という。
ひょっとしたら、チーちゃんが顔をだすかな?と心待ちしたが、来そうもないので、早くかえる。

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2020.4/19(日)


深夜、帰宅して増山実さんの粋な計らいにタジタジになったまま寝入ったが、増山さんも宣伝してくれた通り、今日は、八文字屋の開店記念日。
本来なら、パーカッショニストの田中康之さん、舞踏のデカルコマリィさん、妖怪画家の山本宗さんの呼びかけで多くのミュージシャンが糾合して祝宴を延々と展開してくれるはずだったが、距離を保ったままの細々とした会を。
小俣一平さんと佐藤義詮を巡るメールのやり取りをする。

田中康之さん、デカルコマリィさんが出演。
早い時間は、コロナビール、八文字屋名物ジンジャージュース、チャイを用意して待つ。
35年も続いたとは自分でも驚きだ。
朝から息子が母親に内緒で僕の家に半年間投宿していたが、出る際に持ち出し忘れた「コレラの世界史」(1994年晶文社刊)を朝からチラチラ見ている。
さあ、うごかなくっちゃ。

田中さんは大阪御幸の森商店街の「イカキムチ」「ジャコととんがらしをタイタン」の差し入れ、宗ちゃんはタコスの差し入れ。マリィさんは入念にメイク。東京元NHKの高橋宗和さんは伏見稲荷の奥ぶかさに驚いたといい、マリィさんの動画を2分撮ってくれる。木須井さんは入社6年目の後輩記者の松田智之(さとし)さんを寄越す。京大文芸同人誌「モノシャカ」の3人、裏寺町の極楽寺の鵜飼和尚が「おやじ極楽純訡」の清酒の差し入れ、井上輝久さんカップル「ツーショット」「京都の子どもたち」を買ってくれる。勝野峻平君はこの日を控えてひと月家でおとなしくしていたという。舞踏が終わったあとにノア、バスチャンが来る。ヴィクトリアはこれないけど、八文字屋に相応しいクラウドファンディングを探すとメール。浅利ちゃんは遅くに顔を出す。K-Keiも来て楽しげに振る舞う。スナフキン&闇子さん、片山さん、ジョナサンも来て、「パルプフィクション」を弾き弦を切らす。K-Keiとジョナサンが深夜、たのしむ。

秦恒平さんの兄、北沢恒彦さん(大佛次郎賞受賞作家黒川創の父)は開店前から、開店後もずっと僕に「八文字屋憲法」を作れ!と言い続けたもので、憲法とはいかないが、ひそかにこういうことは守ろうと思ったが、ここでも秘しておきましょう。開店前は人文書院の編集者の落合祥堯さんが「地球屋」を参考に!と案内してくれたし、出町以来の年長の友人の武市常雄さんはリラ亭の前のの「つるいち」みたいな店はどうだ!?と言い、花政の藤田修作さんは「VAT69」ばかり置いているバーに案内し、こんな店はどう?と言い、酒屋の酒谷宗男さんはオレは飲めないがお茶漬けを出す店はどう?と言い、看板に揮毫してくれた「カナ子の場合」の作家日高暢子さんは貯金は中期国債ファンドよ!と言い、現北大教授の渡辺浩平さんはIWハーバーを置かなくっちゃと勧めたり、いろんな方があれこれアドバイスしてくれたのを懐かしく思い出す。
開店の日に熊本から「宮崎滔天」(葦書房)の著者の上村希美男さんも駆けつけてくれたのに、その後、上村さんとの付き合いがないまま、今日まで来たということにも感慨があります。
開店から3,4ヶ月はほんとうに苦しかったのを、「玉乃光」を推奨した水俣の運動をやっていた印刷屋の谷口文利さん、岩国から来て美人局に引っかかったりした嶋田与毛一さんというマッサージ師が梅雨時でもよく支えてくれた。
ヤポネシアン・カフェバーの由来とか、八文字屋は8つの言語が飛び交う店といい、リベラシオン、ル・モンド、ロンドン・タイムス、沖縄タイムス、東亜日報等の日刊紙、香港の月刊紙「90年代」、韓国の「マダン」で1,2年はあふれていた。ロンドン・タイムスはベネシアさんが読みにくるだけだったとか。
まあ、書きたいことはいっぱいある。色々輻輳するが「ほんやら洞の青春」(月曜社予定)上梓後にしよう。

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2020.4/18(土)

昼飯は、誕生日なので、Sがご馳走してくれる。
ついでに、ケーキも。
インスタグラムに「朝のお務めのサトル君」をアップ。ひとりくらい飲みに来ないかなぁ。
17:40八文字屋入り。
オープンしていると思って、国に帰れない、最近の3,4人の常連さんが顔を出すかも知れないので、一応、23:00まで白ワインでも舐めながら、要求されている原稿を書こうかな?
いうか、ひとりくらい飲みに来ないかなぁ。

1:00帰宅。途中で牛丼でも食おうかと松屋に入ったけど、20:00以降はテイクアウトだけと言われ、注文せずに帰った。
今日は八文字屋では、イタリアンの学者と、イスラエルとフランスからの旅行者にあっただけ。
三条大橋のたもとではサルトルを読みたいと言っていた「金魚亭」のバイトのヨシ(鈴木義久)に3週間ぶりに会ったので古本屋「ヘリング」で貰った「自由への道」をプレゼントするよと伝えたが「コロナが怖いので飲み歩いてない」と応答で本のことなんかうわの空だった。アバンギルドのRyotaroに会う。「どう?」と訊いたら「大変だ」と。

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2020.4/17(金)

杵築市山香町山浦の氷川神社にここの由来を書いた看板はまだ残っているだろうか?
僕はこの神社に纏わる秘密を書こうと思って23年まだ書けずにいる。
焼け残りの中からチョンレの写真を発見したがゴミがくっ付いているので、ゴシゴシやって、失敗!もっと用心深い人にやって貰うべきだっは。
高橋宗和さん、闇子、スナフキン、玉岩さん来店。
サッちゃんが誕生日プレゼントに洛北阪急スクエアでアップシューズを買ってくれる。

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2020.4/16(木)

苦境の中の長丁場経理も終え、今日の朝の内に確定申告。
例年は、1月末からチェックが始まりギリギリ3月15日に申告して、それから4月18日の誕生日まで何があるという訳ではないが、一年で一番の解放感に浸った。1972年以来、3,4年を除けば、そうだった。
それが今年は4月16日に終え18日までの束の間の解放感。いや、19日の八文字屋開店満35年記念日もある。
コロナウィルスとの闘いの期間とかぶり、どうやって行くか、結構、課題も抱えたままだが、何故か嬉しさに変わりはない。
確定申告終了の日がほんやら洞、八文字屋を始めてから一年で一番解放感のある日だが、誰もいない。独酌をたのしむか。
リカマンに行ったら、全国で20:00以降の営業自粛令がでたでしょ。オタクはどうするのですか?と訊かれる。八文字屋にはノア、ソフィー、ジョナサンノア誰の姿もない。
代わりに、KGから近況を2,3画像付きでメッセージをくれ!との連絡が入る。
今日は坊主か!?

確定申告を終え、ひと眠りして、多分、32年ぶりの銭湯。
銭湯はいいねえ。
東山湯のお兄さん(昔)は憶えていて、今、どこに住んで居るの?というので、吉田というと、由井正雪みたいにお兄さんだったオッちゃんが「また、来てよ!」ときた。
気持ちいいので、たまには行こう。

ボロニア大のMicolさんが今日、2年前の画像を送ってくれる。なんと、額縁ショー。
全国に緊急事態宣言を発令したという、ラジオニュースあり。5月6日まで、と。
京都も20日間、営業停止???

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2020.4/15(水)

八文字屋でお菓子持ち込みして軽く飲みながらスカイプで国外の恋人と交信光景あり。

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2020.4/14(火)

確定申告作業。
前年の確定申告書写し探しの作業中に思わぬプリント発見。申告書作りは遅々として進まず。
部屋の掃除に少しつけたところ。ネズミの巣の中からいまやネガのないプリントも出てくる。
申告はなんとしても、間に合わせますよ。
今井ヒロユキさんがくる。
ソフィーと話し込む。ユーのチェリオの客、あさりは3月に行って、テツという男がいたとか「ユー・クー」の「ユー」は3月いっぱいで祇園チェリオをやめたらしい。
昨夜はファミリーはルーマニア出身で本人はジュネーブに住む映画監督のソフィーの作品 “Geikei Kakocho”(鯨鯢過去帳)の一部(ショートムービー)を見たがポエジーで本質に迫るカメラワーク、サウンドとも堂に入ったもので、才能を感じた。和歌山県太地町にひと月住み撮影したしたものだが、どう仕上がるのか、楽しみだ。
藤原辰史のコロナ論を読む。

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2020.4/13(月)

なにも出来ず。銀座Siaccaの大木章子さんへポストカードを送る。
結構、降ったな。午後もまだ降るようだが、ハガキの発送を済ませて確定申告の書類をゴミの下から探し出さねば。締切まで時間がない。発見出来れば2日でなんとかなる。
今日から数日間、ジンジャーマンのバスチャンが旅に出るので、客ゼロもあり得る。
甲斐扶佐義ポストカードをご所望の方、宜しくお願いします!
竹内和久さんより「先程観てたNHKの魯山人の番組で、甲斐さんの写真が。」との投稿がありました。
今晩も再放送がある筈です。
写真が1点出るだけだとおもいますが、魯山人に関心がある方、どうぞご高覧下さい!

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2020.4/12(日)

鬱陶しい空模様、でも出掛けねば。
朝から井上久にはっさく買い。封筒、スパゲティ買いに行き、コロナビールを持ち帰る。
寺町通り、木屋町通も午前から正午にかけて見たことがないくらい閑散としていた。
また、なにも出来ず。大西祐司君の友達がプリントが欲しいと言って来る。
ナッちゃんがオンラインスナックをやると言って来る。
K-Kei、沢口シンさん、京大建築の松ちゃんが心配して来てくれる。
バスチャン、布野さんの教え子の魚谷繁礼さんが慶応の建築の男を連れてくる。

1:00帰宅。
滑り込みセーフ、いや、1時間の余裕があったか。
明日から頑張ろう。
大久保さんの貴重なアドバイスもあったし。

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2020.4/11(土)

風邪気味。
おとなしくする。
2019年カレンダーの「対抗文化の中のほんやら洞」の原文(自筆日本語)をFbにアップ。
クロネコヤマトの宅配、5月6日まで休業。
今日、久しぶりに元毎日新聞記者の桑田潔さんから連絡があった。
とても大変な日々を送っている。
今日、日文研にいたアリステア・スウェール客員教授は急遽ニュージーランドに帰国したとのこと。皆さんに宜しく!とのことです。

もうぼちぼち閉店します(0:00前に客なし)が、今日は嬉しい夜だった!
ウィスキーを値切るアフリカ人やツマミはひとつくらいは当然タダだろうと勘違いをするイスラエル人が居たりしたが、ヒデタロウがコロナビールのみの友人を同伴。
バスチャン、片山茂樹さんが来て、予約します!と連絡のあった茨城県の高橋修さんは、最初からカンパするつもりで来たようで戴く。ノアは千紘という丹後大宮市の(イギリスへワーホリで行く算段の)の26歳の女性を同伴。片山さんはバスチャンご馳走。バスチャンはポストカードを買ってくれる。

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2020.4/10(金)

今日から、4,5日で確定申告作業だ。
八文字屋もこういう時でないとゆっくり掃除が出来ないので、午後ぼちぼち掃除をしています。
八文字屋で16:00から電気点検らしい。
何とか家賃終わる。山形君に感謝。清水花菜さんもジン代先払い。
夕方、町をタラタラ歩いて回ったが、死んでました。
Siaccaの大木章子さんが5万円(ポストカード代)振り込んでくれた。清水花菜さんがジン代入金。
昨日から始まった釜ヶ崎に住むスイス人のヤン・ベッカーの写真展 「人生の深み」“Intimacy”@ 河原町蛸薬師の三条サクラヤの6Fのギャラリーに行ってきた。
コロナビールが倒産すると小耳に挟んだので、コロナビールを買ってきました。
親しいタトゥーを施したヤクザの男やSMの女性達を撮影。この続編も予定中。
おりからのコロナ騒動で来場者は少ないようだが「さっき、バルバラの何とかちゃんが来た!」と嬉しそうなヤンさんは鷹揚に構えている。
今日は2人のお客さんがありました。
アイヌ、沖縄に関心を持ち活動し続けている元教師の横浜の教師の沢口さん相手に上西晴治、笹森儀助のことについて口走ってしまった。
もう1人はジョルジュ。久しぶりで誰か判らなかった。彼は毎週火曜日に出町柳の「風の音」でバーをやっているという。
2人の共通点は千葉大学出身だった。

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2020.4/9(木)

Siaccaの大木さんから救いのメール。5万円分のポストカードをおくれ!と。
もう少しでクリアーできる。
コレクションでコーヒーそして夕飯をルネで。
今晩は久しぶりに2つの勢力が合体して八文字屋を盛り立ててくれた。
ターニャ(ロシア・京大建築今年からD1)が本来ならバイトだけど、店があまりにも不景気なので、孟さん(中国、海洋生物学・京大D)とシェーンさん(京大D・オーストリア)を引き連れ、お土産持参の上、孟さん、シェーンさんに写真集を買わせゆっくりのんで行ってくれた。もうひと勢力は壮年アーチストパワーのデカルコマリィ(舞踏)、宗ちゃん(妖怪画家)、田中さん(パーカショニスト)等たち。それに最近の連チャン客のバスチャン(フランス)とノア(イスラエル)という2人の旅人が投宿の宿の関係者も呼び込んでくれた。それに28年前から京都に住む東京出身の年に2,3回来る不動産屋さん。しかも、孟さんは最近は暇だからと言って2019年の甲斐扶佐義カレンダーの前書き「カウンターカルチャーの中のほんやら洞」を中国語に翻訳するとのこと。ターニャ、孟(「先輩」)様々だ。帰りに松屋でゴロゴロチキン(¥590)。ナッちゃんから、実験的にオンラインスナックをやるつもりだと連絡あり。ベートーベンの「運命」を聴きながら眠りにつく。

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2020.4/8(水)

朝から秦恒平選集に目を通す。
「人魚の戯れ」のサイコさんよりのメッセージ。
わたしの知りうる作家、編集者の皆さまへ(歴史学者 磯田道史からのメール)
  作家を守れ!との命を受けて。
  耳にタコかとおもいますが。サイコ
前文
薄いゴム手袋。ゴーグル。核汚染時の避難用に備蓄していたN95マスク(未使用は医療機関に既に寄贈、接着剤工作で使った既使用廃棄品を使用)の装備。この装備でコロナ対策番組などは新幹線で上京帰洛してました。文学関係者では最も厳重なことをやってるつもり。

本文
磯田です。家から出ないのが一番。しかし、やむを得ない外出時の新型コロナの感染防止対策を書いておきます。
1,外出はマスクだけでなく、アルコール系消毒液の噴霧器持参で。適宜に、手を消毒する。
2,重点消毒対象。スマホ、ドアノブ、便座、スイッチ、お金。買った物。冷蔵庫のドア。
3,靴の泥を落とす。できれば靴底を消毒する。
4,帽子をかぶる。ウイルスを髪につけない。脱げる上着も着て移動する。できれば手袋も。
5,コート上着、ズボンは玄関や決まった場所で脱ぎ、アルコールを噴霧。できれば服は洗濯するかしないなら3日以上あけて着る。(ウイルス付着生存日数が3日はあるため)。

京都新聞によれば、近々、バーにも営業停止要請があるかも、と。
喫茶店「コレクション」にて写真アップ作業ばかりで、原稿捗らず。

大阪大学の木戸さんからのメール。
「昨年5月末、たいへん慌ただしくはありましたが、フランクフルトでお会いできて、とても嬉しかったです。
私は、ボーフム大学での授業・採点を終え、3週間前に帰国しました(本当は帰りたくありませんでしたが)。予定どおりのフライトだったのですが、前後の日が欠航になるなど、結果オーライの滑り込みセーフでした。
さて、永澄さんから、19日にオープン35周年記念パーティーを開催されると伺いました。本当ですか? 正直に言えばおやめになった方がいいと思いますが、もし挙行されるのであれば、web中継されますか? そうしたら、私は自宅で祝杯を挙げることにします」。
鹿児島大学の信友先生からキャビネプリント6点注文あり。河原さんにプリント買いをお願いする。OKの言質を取りホッとする。山形君に無心する。どうなるかな?
コレクション。
「オフノート」の神谷一義さんから「旅人類」が送られて来る。
バイトの浅利ちゃんは今日から大阪阪急が休みで来る。
代わりに日曜日休み。
熱海に行ったチーちゃん&奈良井さんの写真を見せてくふれる。奈良井さんは帰ってきてダウンしているので、来れないとメール。チーちゃんは更に東北を目指した(両親が、職場が休みなら旅に出ろ、と金をくれたらしい)。
闇子さんの家に投宿している佐伯先生と大西さんが来て、大西さんのヒルゲート展中止。1Fも同様と聴く。来店すると言明してたノア来ず。トップはエリオ。
来ないかな?と思っていた川嵜先生22:00前に姿を現わす。秦恒平さんの自筆年譜を見せる。片山さんも12日ぶり?K-Keiも来る。イルソンも。
深夜、オタクバーの店長が来て、自店の保険で修理出来ないというので、結束して大家に対処することを確認。

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2020.4/7(火)

9:00前に起きて、金作のためにFBに画像をアップするが、反応なし。
連日、八文字屋はフランスのアーチストのお客さんばかり、日本の客がいてもアート関係の若い人たちばかり。
ルネで飯。八文字屋オープンと同時にバスチャン&ノアくる。フランスのカップルエリザベート&男。
元フランス映画祭のボワトーさんら3人来る。ヨシレイさんの代理人も来る。セバスチャン・レゼーと友人も。それで客切れ。10:40。

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2020.4/6(月)

生鮮館の寿司。ヨシレイさんが3万円でプリント買いと言う。間にサエちゃんが立ってくれる。
三浦孝宣君¥5000入金。電子本¥1113。
樫村愛子さんと遣り取り。アバンギルドは危機対策上手。
ルネでターニャ&先輩に遭遇。
18:50オープン。
20:30になっても客なし。
非常事態宣言を明日、PMが出すと言う。
22:00琢ちゃん、チキン差し入れで来店。オレが此処で飲んでいるのがバレたらヤバイかなぁ、と言って2時間以上飲む。
山形さんが来たので「プリントを!」と頼むが部屋が汚な過ぎて飾る場所がないという。「資本と戦争」を半額で売ってくれ!と言う。最悪、万策尽きた場合、少し貸せるが、貸したくない。もっと金持ちから借りて欲しいと言われる。
閉めようと思ったら、大阪の女子学生つれの男が来て10分いる。

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2020.4/5(日)

プリント販売を思い付く。作業開始。
管理人からの電話にうっかり10日まで入金と言ってしまう。
高野川を歩く。
フランスのエリザ来店。後でノア、バスチャンと合流。更に後に冨樫も。
浅利ちゃん&チーちゃん同伴出勤、K-Keiも来る。チーちゃん&奈良井さんが熱海に一緒に行くと言う。奈良井さんは猫穴でアドちゃんと。佐伯さんもヨシも来ず。
寺本遥君が「追憶のほんやら洞」代入金。
原稿書けず、「大分夢幻物語」を出すと宣言。

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2020.4/4(土)

帰宅が4:00過ぎて12:00までダウン。
八文字屋管理人から電話があり、慌てる。
午後散歩。友川カズキの映画の看板等を撮る。
21:00まで客なし。ポスター買いの5年ぶりの男性あり。ポスターがネズミに齧られており、カレンダーにする。
エリオがトップ客。毎日ありがたし。
昨夜も来てくれた闇子さんの家に泊まって居る61歳の佐伯さん(弘前所縁)が闇子さんと来て、更にスナフキン&吉田寮に10年家族と住んで居る初来店の女性あり。
途中、滋賀に住んでいる槙島中学校のボクシングをやる29歳の数学教師も初来店。
3:20に閉店。すき家で鰻丼食って帰る。

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2020.4/3(金)

ルパンから「自由への道」第一部「分別ざかり」、花田清輝の「鳥獣戯画」「俳優修業」「冠者伝」収録のを著作集7巻を貰う。
14:00から八文字屋入り。
長丁場になる。
閉店間際に別々に「ろくでなし」「ファルーカ」等が閉まるというのでシャットアウトされた佐伯さんという闇子宅泊まりの61歳ともう1人が見えて閉店が3:15を過ぎてしまった。誕生日のノア、バスチャン、エリオ、シルヴァン(晩メシ、高島屋の寿司をご馳走してくれる)。
深夜の2:00までは日本人はサエちゃんと冨樫ちゃん、竹ちゃんだけという寂しい店。
相当にコロナウィルスを当り前だけど警戒している。辛うじて売上1万円。
木屋町通の森閑としていること。
潰れないで生き延びなくっちゃ。

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2020.4/2(木)

8:00起床。
雨、眠い。
安けない生鮮館ナカムラの寿司で朝昼兼ねた食事。
えりお、ノア、バスチアンのみ。
シルヴァンからアラン・ルマットが昨日死んだと連絡あり。

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2020.4/1(水)

鬱陶しい雨が一日中続く。
18:40八文字屋。
ベトナム経由来日のイスラエルのノア、パリ西部からのバスチャン2人共旅行者。ノアはカメラの安いの買って直ぐにかえらないと金がなくなると。バスチャンは天候を見計らって熊野古道に行く予定。6月いっぱいパリに入れないという。2人とも3時間かけて全ポストカードを見てしまう。
川嵜さんは21:00過ぎに国際交流会館帰りに来店。
浅利ちゃんが来た時の客は以上。
冨樫は連ちゃん。
今日が結婚20周年記念日で来店。結婚20年でうまくいかなかったら、別れようということで結婚したそうだ。2人とも教育者なので、SNS上に2人の変な写真はアップしないでね。写真集だったら、いいよ、と仲が良さそうな2人。アンドレアスの展示搬入打合せ。佐枝ちゃんに書き掛けの原稿を少し見せ、満州の話をする。珍しく水曜日なのにK-Keiも。
周平さん、奈良井さんも来店。
3:00過ぎまで冨樫とK-Keiが居る。

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更新情報

(5/22更新)

八文字屋募金」のページを作成しました。こちらのページよりカンパをお願いします。
--

(5/4更新)

●ポストカード、写真集、カレンダー(関連商品)、プリントの限定販売をしています。八文字屋存続のため、ご協力をよろしくお願いいたします。カンパも大歓迎です。
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カイ日乗(4/1〜30)を更新しました。

近日のイベント・展覧会情報

●7/26〜31 銀座のギャラリーSIACCAにて甲斐扶佐義写真展開催予定。大小さまざまな作品を展示予定。
5月よりギャラリーSIACCAでは「甲斐コーナー」で写真集、ポストカードを販売中です。

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期間:5/22〜6/30

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2019年




2018年




2017年




2016年




2015年





*2015年1〜3月は、ほんやら洞のホームページに移動します。